WYDケルン大会の参加者から |
WYDケルン大会の参加者から、帰国後に寄せられたレポートをご紹介します。
ご聖体の年のワールドユースデー
(長崎教区) 中野 健一郎(30代)
今回のワールドユースデーは、「来て見なさい」そのものだったと思います。思い切って行ってみたら、思っても見ないすばらしい体験ばかりをすることができました。世界中の青年が集まっていても、とても友好的な雰囲気で、また、ケルン教区との交流会もあり、長崎教区だけでなく、日本の各教区からのたくさんの方々と出会うこともできました。また、とても大きな感動の体験は、教皇様を間近にお見受けすることができたことでした。20〜30メートル位の近くから手を振ってくださる教皇様に、力一杯手を振ったことは忘れられません。また、教皇様のミサのときには、小学4年のとき、あまりの吹雪に泣きながら行った長崎でのヨハネ・パウロ2世教皇様のミサのことを思い出し、感慨もひとしおでした。
思い出深い体験がたくさんありますが、今回とてもすばらしかったのは、司教様方によるカテケージスと、グループ活動でした。特にグループとの交わりは、その体験を通して「教会ってこんなところなんだろうな」ということを教えられたように思います。
私たちの基本グループは12名で、その中には京都の大塚司教様と、インドネシア人の神父様、それから、仙台、東京、京都、大阪、高松などからも集まった仲間たちでした。加えてケルン大聖堂への巡礼のときに合流した髙見大司教様も加わってくださいました。
ギター伴奏のできる人、一芸に秀でた人、芸術のセンスのある人、場を盛り上げ、みんなに心配りがよくできる人・・・など、一人ひとり、みんな違ったよさをもっていました。また、10代の大学生から、20代や30代で職業も様々など、年齢も出身地も立場も得意なことも性格も、みんな違う私たちでした。
何か一緒にいて特別なことをたくさんしたという訳ではありませんが、一緒に巡礼に出かけ、食事を分け合って食べたり、輪になってよく歌ったり、分かち合いをしたりしていつも一緒に過ごし、とても幸せでした。
私は人の話の輪の中に入るのが下手なので、無口でまわりの人は話しにくいのかもしれません。
それでも、ありのままの私を受け止めてくれて、メンバーの一人として大切にしてくれたグループの仲間たちに感謝しています。
「どこでイエスに出会いましたか?」との問いを、ふりかえりの間に思い返していましたが、何人かでふりかえりの分かち合いをしているときに、仲間の分かち合いを聞きながら気づいたことがあります。それは、お互いのこの交わりの中に実はご聖体であるイエスさまはいらしたのではないかということでした。私はこの仲間たちの間で、ご聖体のイエスさまに出会ったのではないだろうか。そして、仲間たち一人ひとりの中でも、それぞれに違った形でそれぞれの心に、キリストが働きかけておられたのではないかと。そして、そのようにしてそれぞれが出会ったものが、お互いに働きかけ合って、また新たにキリストに出会ってきた。これが、WYDの中でのわたしにとって一番大きな体験だったと思っています。
共同体の交わりの中にイエスさまがいらっしゃる。この交わりのように、これからまわりの人たちと関わり、このような交わりを広げていくこと、これがもっと深くキリストにお会いする生き方なのではないかと。体験してみなければ分からなかったこと。本当に「来て、見なさい」でした。本当にこのWYDに参加してよかったと思っています。そして、今年はご聖体の年でした。この仲間たちが「ご聖体」や「教会」を説明してくれたように思います。生まれも育ちも年齢も違う仲間と出会い、食べ物も時間も思いも分かち合った貴重な時を過ごせたことに感謝します。
カテケージスの中で、大塚司教様や溝部司教様は、「聖体」とは他者へと向かうダイナミックなものであると教えてくださいました。「教会が生かされるのは、聖体によってである。それは具体的には人のために生きようとする人によってである。『自分のすべてを捧げて、キリストのように、人のために生きる』ということが、ミサの意味である。キリストのように自分のいのちを他の人のために差し出すことができる人、このような人になるように、あなた方は招かれているのです」。
新たな巡礼の旅は、始まったばかりです。松浦司教様が「WYDで得たことを、日常の場でもう一度捉え直して歩んでいきましょう」とおっしゃったように、この体験を生かして日常の務めに心をこめていきたいと思います。
終始若者と一緒に行動してくださった髙見大司教様をはじめ、お世話になった皆様、ありがとうございました。
World Youth Day in Koln 2005 レポート
(長崎教区) 竹山 侑希(20代)
ワールドユースデーに参加した夏も終わりをつげ、身近に秋の足音が近づいてきました。そんな今日この頃、私は今一度あの素晴らしい体験を自分の中で振り返り、皆様にもぜひ一緒に分かち合って頂きたいと思います。
初め、この大会に参加すると決めた理由は、海外で行われるという事が一番大きな要因でした。私は英語を勉強している為、海外に行けるということは私にとってものすごく意味のある事だったからです。このように、初めは巡礼を意識した参加目的ではなく、さらに最近は祈りや教会に行く時間も以前よりは設けていませんでした。出発の日が近づくにつれて教区や学校でWYDの為の勉強会が行われるようになり、そこでこの大会の意味と大きさを知り、自分が長崎からの初参加のメンバーに入れたことに大きな喜びと同時に責任を感じるようになりました。このような気持ちで、私は今回のWYDへと旅立っていきました。
ルクセンブルクまでの移動は、決して容易なものではなく慣れない土地での長距離の移動が体力も精神的にも活力を奪っていきました。そんな中たどり着いたのが、ホームスティでの滞在先の家庭でした。彼らは私たちにこの国の歴史や現状などを教えてくださり、家族として私達を迎え入れてくださいました。また、滞在中に行われた多くのプログラムの充実さにも驚きを覚えました。これも街の人々の理解と協力があったからこそ成り立ったものだったのだと、今改めて実感しています。
またこのような日々の中で常に感じていた事が人との出会いでした。この大会に参加してからは、毎日といっていいほど新しい人々との出会いが待っていました。それは、日本の巡礼団の中での出会い、そしてこの大会に参加するために集まった世界の人々との出会いです。最近はなかなかそのような体験も少なく、私にはものすごく新鮮な事のように感じられました。今までは、新しい人との出会いに少し抵抗があったのですが、この大会でこんなにも人との出会いが自分を変えてくれるのだと実感し、出会う事の素晴らしさを再確認しました。これも、寝袋に包まり肩を並べてみんなで一緒に寝泊りし、人数分の食事が確保できなかった時に皆で分け合って食べ、辛い道程を歩む時ともに励まし合ったからこそ、一つになれたのかもしれません。
次に、印象的だったのがミサです。それぞれの教区が担当するミサにはその県の特徴というか、その県の色が出ていて、とても感動的でした。カテケージスと、分かち合いも一つの大きな経験で、このような事を含んだミサを各地で展開していけたら、きっともっと多くの人が、自分がミサに参加する意味を見つける事ができるのではないかと思いました。私は、ミサというとどうしても固く、決まった事を繰り返すというイメージがあり、もちろんベースとなる部分は変えようがありませんが、信者の方々一人ひとりが“私はこのミサに参加している”という意識を持てるようなミサがあればと感じました。
また、参加者の方々との分かち合いの中で、信仰への想いがこんなにも様々な形であり、同年代の人々が活動を起こしていることを目の当たりにし、自分の中で強く動かされるものがありました。私は、神によって導かれてきたのに、私が神の為に何かしたことがあったのか・・・知らない間に私はこの質問を自分に投げかけるようになりました。WYDの期間中私は、共に旅する仲間を見つけることができました。その仲間の存在は、この旅の中で一番重要なパートを占めていました。そして同時に生まれたのが、その仲間を思いやる心でした。また、自分が動くという事の大切さも自然と身に付いてきました。“自分が動く…”これは、人の為に自分が行動する。
いわゆる、神さまのために自分が行動するということにつながらないでしょうか。相手を思いやる気持ち、相手の事を考える。これらは本当に些細な事かもしれませんが、現代の人々が忘れがちになっている事だと思いました。この気持ちを与えてもらったのだから、今度は自分が人にこの気持ちを伝えていかなければと思いました。
最後に、マリエンフィールドでの教皇ミサについて述べたいと思います。ここまでの道程は基本グループで協力しながら道を探し、目的地へとたどり着きました。この大会で初めて出会った仲間は、いつの間にかなくてはならない存在になっていました。
マリエンフィールドは、150カ国から参加した約100万人の人々でいっぱいで、私は教皇様を直接拝見することはできませんでしたが、そこに集まった教皇様、人々、そして神様の想いを感じることができ、皆で祈り歌ったその時を今でも忘れることができません。
またこの旅の最後にライン川を下ることによって、この地をゆっくりと思い返す時間を持つことができました。この旅では、自分達がしたことを振り返る時間が設けられていたため、何をしてきたか、何の為だったのかとゆっくりと自分と向き合う事ができ、本当に充実していました。
このように私達はドイツでの素晴らしい体験を胸に、日本への帰路につきました。帰りながら、私達長崎教区はこの旅をきっかけに知り合うことができ、ここからがスタートだと認識し、青年達による活動を活発化させていくことを決意しました。長崎は、平和という点においても後世代の人々にいかに伝えていくかが今後の課題となっています。これらも含め、今この経験を生かした行動を起こしていくことが、私達参加者が各地ですべき事だと感じました。その為にも、自分とじっくり向き合い、この大会を振り返る事が大切だと思っています。 分かち合いの奇跡 −五つのパンと二匹の魚−
(横浜教区) 大島(20代)/根岸(30代)
巡礼というだけあって、現地での日々は、これが巡礼プログラムでなかったら到底耐えられなかったろうと思われるようなものでした。寒い体育館で、ひしめきあって寝袋で寝る生活、限りなく広がる畑の中での野宿、洗面所で髪を洗う生活、昼食の列に1時間も並んだ揚げ句に、追加の食料が届かないから昼食の配給はしないといわれる生活、早朝から夜遅くまでつまっているスケジュール、世界各地から集まった巡礼者でごった返した町で乗る電車も分からず途方にくれたり、突然駅が封鎖されるといったことが続く毎日でした。
そのような不自由な毎日でしたが、その中にたくさんの出会いと気づき、喜びがありました。この大会を通して、私たちが得た一番の喜びは、仲間を通して、体験を通して、祈りを通してキリストと出会ったということです。(私たち)2人が共通して体験したひとつのエピソードをお話したいと思います。
ドイツに入って最初の晩のことです。これから数日を過ごす体育館に着き、寝袋も広げたころ、夕食の配給が始まりました。袋に入っていたのは、パン一つと缶詰、りんご、ソーセージでした。さあ食べよう、と思ったところ、「日本人のみなさん、夕食の数が足りません。よかったら、袋を戻して、近くの人と分け合って食べてください」というアナウンスが入りました。何人かの人が返しに行きました。皆で分け合って食べるのもいいものだねと言いながら食事をしました。30名分程不足していたと思いますが、多くの人が返しに行ったため、逆に余ってしまいました。
次の日の朝、朝食に並ぶ列で、後ろにいた韓国人の青年に「昨晩の夕食は聖書の中の“5つのパンと2匹の魚”の話のようでしたね」と声をかけられました。
その青年に声をかけられ、初めて自分たちが聖書の話を実体験したことに気づきました。さらにミサでは神父様は「パンと魚を増やす奇跡の話は、ただイエスさまがなさった奇跡だという考え方もできるが、昨日のように、皆が分かち合った体験ではないか。個人で持っていたものを周りの人に分け与える、分かち合いの奇跡ではないか」とおっしゃいました。この体験を通し、自分が気づかないことを仲間を通して知る喜びを感じました。また、たとえ話を実際に体験し、その中で生きる喜び、仲間とともにいることで味わえる幸せを教えていただいたように思います。
最後に、この大会における体験や喜びを日常の中で生かしていくことを考えた時、私達はすでにカトリック校の教員であり、皆で宗教教育に取り組もうとしている学校の教員の一員であることに幸せを感じました。これからは、キリストを知り、伝えていくために、色々な形で信仰を深め、キリストに出会うことは喜びなんだということを人々に伝えていくことができればと思っています。
WYDケルンを振り返って
(高松教区) 松田栄作(30代)
帰りの飛行機の中では、心地良い疲れにまどろみながら、大会中の出来事を振り返っていました。神様から頂いたたくさんの恵みを取りこぼさないように、胸に焼きつけるように思い出をいま一度かみしめていました。あふれんばかりの人が同じ所を目指して歩んだこの旅路。外見も衣装も感性も気質も文化も違う人々が、違いを抱えたまま、違いを乗り越えて、同じキリストに向って歩んだ数々のプログラムに、私はこの大会のシンボルマークで表されたCの形に思いを寄せました。このCは、全世界と教会を包み込むいつくしみ深い神のみ腕を表現しています。神様は懐(ふところ)が深く、ご自分の所に来るすべての人を決して拒んだり追い返したりせず優しく包み込んでくださいます。目標は同じでもそこに至るためのやり方は色々あって、それぞれの文化や感性にあった仕方で神様に近付いていいんだと感じました。そして、言語の違う人々と挨拶を交わし微笑み合いながら同じ目標を目指したこの体験に、国籍を越えたカトリック教会のパワーと偉大さに酔いしれていましたが、松浦司教様の「罪について」の話で、ある重要なことに気づかされました。私たちの目的は、教会が発展することにあるのではなくて、教会が世界の平和と一致の道具になることにあるのだという言葉を聞いて、自分の視野がカトリックこそ最高だという排他的な内向きのものに向っていたことに気がついたのです。この松浦司教様のお話と、溝部司教様のカテケージスは非常に評判でした。多くの青年達の人生や召命を導いたものと思います。
最後に、このケルン大会中、テゼの創設者ロジェが帰天されました。テゼの音楽が典礼の中で美しい黙想の時を与えてくれたこともあり、典礼や黙想に美を織り交ぜてくださったロジェに感謝しつつ、ご冥福をお祈りいたします。
WYDケルンを終えて…
(東京教区) R・A(30代)
私は今、WYDを終えてまたあの時とは違う気持ちでWYDを思い出しています。私がこの大会に行こうと決めたのは、何か教会のイベントに参加したいという思いからでした。教会での事で何かしたいけれど、何からしてよいのかわからず、もやもやした気持ちを抱えていた私にとってこれはまたとないチャンスでした。不安もありましたが、神様が私を引っ張って下さっていた気がします。そうして行く事の出来たWYD。世界中からケルンを目指してやって来た人達と共に寝袋で生活し、ご飯を食べ、寒い中を遠いシャワーへ行き…。生活には不自由もたくさんありました。でも日を追うごとに何が辛いのかその価値観が変化してゆくのを感じました。後で人に話すと驚かれたことでも、その時はもう辛いとは思わなくなっていたのです。逆に辛いと感じたのは多くの人に話しかけたり、様々な事に挑戦する元気がなかった事でした。元々体が弱く、行く前から体調の悪かった私は本当に多くの人のお世話になってしまいました。その時はそれがとても申し訳なく、辛く感じられました。ですが今思い返してみると、それによって私が得たものはとても大きかったのだと思います。私もまた人を助けてゆきたいと感じました。私が今大会で最も印象に残った言葉「私達はここに集まり、また違う道を通って全世界に派遣されてゆくのです」というメッセージが私への答えのように思われました。帰って来てから私はまた元通りの生活を送っています。でも行く前と全く同じという訳ではありません。私の中で大きな何かが変わったのだと感じています。この気持ちを大切に、WYDに協力して下さったすべての方に今またお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。
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