2013年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ(2013.9.22)

2013年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ 「移住、それは信仰と希望の旅」 親愛なる兄弟姉妹の皆様  第二バチカン公会議は、『現代世界憲章』の中で次のことを思い起こさせてくれます。「教会は……全人類とともに歩み」 […]

2013年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ
「移住、それは信仰と希望の旅」

親愛なる兄弟姉妹の皆様

 第二バチカン公会議は、『現代世界憲章』の中で次のことを思い起こさせてくれます。「教会は……全人類とともに歩み」(40条)ます。それゆえに、「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもあります。真に人間的なことがらで、キリストの弟子たちの心に響かないものは何もありません」(1条)。神のしもべ教皇パウロ六世も同様に、教会は「人間の問題については深い関心をもって」(『ポプロールム・プログレシオ』13)いると述べました。さらに、福者ヨハネ・パウロ二世も、人間は「自分の使命を果たすにあたって、教会が進まねばならない第一の道……であり、キリストによって線を引かれ」(『新しい課題-教会と社会の百年をふりかえって』53)た道であると述べました。先人の跡をたどり、わたしも、回勅『真理に根ざした愛』の中で、「教会全体は、その全存在と全行動において、つまり宣言するときも、礼拝するときも、愛のわざを行うときも、全人的発展の促進に従事している」(『真理に根ざした愛』11)ことを強調しようと努めました。わたしは、さまざまな理由により移住を経験している何百万もの人々にも思いを寄せます。移住は実に、「関係する人々が膨大な人数になっているため、また引き起こされる社会、経済、政治、文化、ならびに宗教上の問題のため、そして国家および国際共同体に突きつける劇的な課題のため、顕著な現象になっています」(同62)。なぜなら、「すべての移民は、人間として、すべての状況ですべての人によって尊重されなければならない基本的で不可侵な権利を有して」(同)いるからです。
 したがって、第二バチカン公会議開幕50周年、使徒憲章『エクスル・ファミリア』発布60周年、さらには、全教会が新しい福音宣教という目標に情熱を傾ける信仰年にあたり、わたしは、2013年世界難民移住移動者の日のテーマを「移住、それは信仰と希望の旅」とすることにしました。
 よりよい生活を心から求め、暗い未来への「絶望感」を何度も打ち消そうとしている多くの移住者の心の中で、信仰と希望は分かちがたいものです。彼らの多くは、その旅路において、神はご自分の子どもを決して見捨てないという深い信頼によって支えられています。この確信により、彼らは祖国を追われた痛みと別離の苦しみに耐え、さらには、いつか故郷に戻れるという希望を得ることができるのです。移住者の多くは、次のような認識のもとに、自分の所持品とともに信仰と希望をたずさえています。信仰と希望があれば、「わたしたちは現在に立ち向かうことができます。現在がたとえどれほど困難であっても、わたしたちはそれを生き、受け入れることができます。そのためには、現在が目標へと導いてくれるものでなければなりません。わたしたちがこの目標を確信できなければなりません。そしてこの目標が、労苦して目指すだけの意味をもつものでなければなりません」(教皇ベネディクト十六世回勅『希望による救い』1)。
 移住という広大な分野において、教会は、さまざまなしかたで母としての配慮を示しています。一方において、教会は、移住に伴うはかり知れない貧困と苦痛を目の当たりにします。それらは、しばしば痛ましく悲劇的な状況をもたらしています。それゆえ、個人、団体、ボランティア組織や活動、小教区や教区の団体は、あらゆる善意の人と協力して、惜しみなく救援の手を差し伸べ、危機的状況に対処するために取り組んでいるのです。教会はまた、移住がもたらす建設的な側面、可能性、資質に光を当てようと努めます。こうした方向性のもと、移住者、庇護を求めている人、難民を受け入れるための態勢や施設が築かれてきました。その目的は、彼らが自分の生き方の基本となる宗教的側面をおろそかにすることなく、新しい社会的、文化的状況に完全に適応できるよう助け、支えることです。教会はキリストから福音宣教をゆだねられているのですから、この側面にこそ、とりわけ注目し、配慮しなければなりません。それは教会のもっとも重要で固有の務めです。世界各地から来たキリスト者に対しては、諸教会間の対話や新しい共同体のケアに宗教的配慮を向けるべきです。一方、カトリック信者に対しては、地域の教会共同体の生活に完全に参加できるようにするために、何よりも、新しい司牧のしくみを作り、さまざまな儀式を尊重することに宗教的配慮を向けるべきです。人間は、「世の唯一の救い主である主に対する誠実で新たな回心への」(教皇ベネディクト十六世自発教令『信仰の門』6)道を開く霊的な交わりとともに成長します。教会は、キリストとの出会いへと人々を導くとき、ゆるぎなく信頼できる希望への道を開く素晴らしい贈り物を、つねに与えているのです。
 移住者と難民とのかかわりにおいて、教会とさまざまな教会組織は、慈善的な奉仕を行うだけでなく、彼らが本当の意味で社会の一員となれるよう助けるべきです。その社会においては、あらゆる人が積極的な一員となり、互いの福利に責任を持ち、大いに独自の貢献をし、正当な権利をもって同じ権利と義務を分かち合っているのです。移住者は信頼と希望を抱いています。その信頼と希望が、人生によりよい機会を求めるよう彼らを動かし、支えているのです。しかし、移住者は経済的、社会的、政治的状況の改善だけを求めているわけではありません。移住体験は実際、しばしば恐怖のうちに始まります。とりわけ迫害や暴力のために移住する場合はそうです。移住体験はまた、生き残るために何としても必要だった財産と家族を残してきたというトラウマのうちに始まります。しかし、希望と勇気をもって新しい国で新しい生活を築くという夢は、苦しみ、深い喪失感、時に生じる不確定な未来への戸惑いによって壊されるものではありません。移住者は、実際、彼らが受け入れられ、連帯と助けを得られると信じています。そして、人の不幸や惨事に共感し、その人がもたらす価値や可能性を認め、貧しく恵まれない人と進んで人間的、物的な分かち合いを行う人々と出会うと信じているのです。「人類の連帯という事実は、わたしたちにとって利益あるものですが、同時に義務も課します」(教皇ベネディクト十六世回勅『真理に根ざした愛』43)。このことを実感することが大切です。移住者と難民は、困難に直面しながらも、新しい友好的な人間関係を体験し、その中で自分の専門技術や社会的、文化的伝統を用いて、新しい祖国を豊かにすることができます。また、彼らの信仰のあかしが、古くからキリスト教の伝統のある共同体に新たな力といのちを吹き込み、キリストと出会い、教会を知るよう人々を招くことも珍しくありません。
 あらゆる国家は、確かに、移住を規制する権利と、共通善の全体的な必要に応じて政策を決める権利を有します。ただし、その際にはそれぞれの人間の尊厳が尊重されることがつねに保障されていなければなりません。第二バチカン公会議の『現代世界憲章』65条に記されているように、基本的人権の一つである移住する権利のもとに、人間は、自らの能力を生かし、願望や計画を実現させるために最良と思われるどんな場所にも住むことができます。しかし、今日の社会的、政治的状況においては、移住権以前に、移住しない権利、すなわち故郷に留まる権利を再確認する必要があります。福者ヨハネ・パウロ二世が述べているとおりです。「母国に住むことは基本的人権の一つです。しかし、この権利は、人々を移住へと駆り立てる要素がつねに管理されている場合にのみ有効です」(「第4回世界難民移住移動者司牧会議での挨拶」1998年10月9日)。今日、現実に多くの人が不安定な経済、必需品の欠如、自然災害、戦争、社会不安のために移住しています。そのとき、移住は信頼と信仰と希望で満たされた旅ではなく、生き残るための試練となります。そして、人々は、移住を決断する責任を担う主人公ではなく、むしろ犠牲者となってしまうのです。その結果、一部の移住者は新しい社会環境に順調に溶け込み、満足のいく社会的地位としかるべき生活レベルを確保しますが、それ以外の大多数の移住者は社会の片隅に追いやられ、しばしば基本的な権利を悪用されたり奪われたり、受け入れ社会に害を及ぼす行いにかかわったりしています。移住者が社会の一員となる過程には、権利と義務、そして彼らが尊厳ある生活を送るための気遣いや配慮が伴います。また、移住者自身も、現在、自分が一員となっている社会の価値観に注意を払う必要があります。
 この点において、わたしたちは非正規滞在の問題を見過ごすわけにはいきません。特に女性や子供に対する人身売買や搾取のかたちで行われる場合、それはなお一層、差し迫った問題となります。これらの犯罪は、明確に非難され、罪に問われなければなりません。一方、移住政策が、国境管理の強化、不法移住者に対する制裁の徹底、入国を阻止する措置の執行だけにとどまらなければ、少なくとも、多くの移住者が人身売買の犠牲となる危険を制限することができるでしょう。緊急に必要とされているのは、移住者の母国の状況に対する組織的かつ多角的な介入、人身売買をなくすための効果的な対策、合法入国を管理する包括的プログラム、そして、個々のケースを政治的亡命者の保護よりも人道的な保護を必要とするものとして積極的に受け入れることです。法体制の整備に加えて、意識と良心を高めるためにつねに忍耐強く努力することも必要です。これらすべての点において、人間の全体的な成長を促すために、教会団体や他の諸団体の間の理解を深め、協力関係を強めることが重要です。キリスト者は、社会的、人道的な取り組みは、福音に忠実であることから力を得ると考えます。「完全な人間であるキリストに従う者はだれでも、自らいっそう人間となる」(『現代世界憲章』41条)ことを知っているのです。
 親愛なる移住者の兄弟姉妹の皆様。この世界難民移住移動者の日が、いつも傍らにいてくださる主への信頼と希望を新たする助けとなりますように。移住という巡礼の旅の途中で親切な行いに出会うたびに、そこにおられる主に出会い、主のみ顔を仰いでください。喜んでください。主は近くにおられます。皆様は、多くの人々の開かれた心と歓待を胸に刻み、主とともに障害や困難を乗り越えることができるでしょう。「人生は、歴史の海を旅するようなものです。歴史の海はしばしば暗く、荒れています。この海を旅するわたしたちは、海路を示してくれる星を探し求めます。人生のまことの星は、正しく生きることのできた人々です。この人々は希望の光です。イエス・キリストが光の中の光、すなわち太陽であることはいうまでもありません。この太陽は何よりも歴史の暗闇の上に昇ります。けれども、キリストに達するために、わたしたちに近い光も必要です。すなわち、キリストの光によって輝き、わたしたちの道を導いてくれる人々が必要」(教皇ベネディクト十六世回勅『希望による救い』49)なのです。
 わたしは、皆様一人ひとりを、確かな希望と慰めのしるしであり、わたしたちを導く星であるおとめマリアにゆだねます。マリアは、わたしたちの人生のあらゆる瞬間において、母としてわたしたちのそばにおられます。わたしは愛情を込めて皆様すべてに使徒的祝福を送ります。

(訳注:上記本文中、第二バチカン公会議文書の引用は、間もなく発行予定の改訳に従っており、これ以前に各教区に配布されたものとは異なります。2013. 9. 04)

バチカンにて
2012年10月12日
教皇ベネディクト十六世

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