「槍で刺し貫かれたイエスの脇腹(ヨハネ19・34参照)を礼拝しながら観想することにより、わたしたちは、人びとを救おうとする神のみ旨を感じることができるようになります。・・・・『槍で刺し貫かれた脇腹』の内に神の限りない救いのみ旨が輝いています。ですから、この脇腹を仰ぎ見ること(み心の信心)を、過去の礼拝ないし信心の形と考えてはなりません。刺し貫かれた心という象徴に歴史的な信心の表現を見いだした神の愛の礼拝は、神との生きた関係にとって不可欠なものであり続けます」。