
2026年9月20日(日)、年間第25主日の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、イタリア語で次のように述べた。 親愛なる兄弟姉妹の皆様。 ソ […]
2026年9月20日(日)、年間第25主日の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
ソマリアの一部の地域で発生している人道危機を深い懸念をもって見守っています。この地域では暴力行為と異常気象により、住民、とくに女性と子どものすでに不安定な生活状況が悪化しています。このわたしたちの兄弟姉妹に必要な支援が欠けることがないように、国際社会が寛大な関与を行うことを願います。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。
今日の典礼の中で、主は預言者イザヤの口を通してわたしたちに深い希望の理由を与えてくださいます。主は、わたしの思いはあなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なるといわれるからです(イザ55・8参照)。確かに神の計画は、罪によって特徴づけられたわたしたち人間が思い、想像することができるものよりも無限に偉大で、いわばより「人間的」だといえます。それゆえ預言者の呼びかけはこれまでにまして現実的な意味をもって響き渡ります。ゆがんだ道を捨て、あわれみとゆるしそのものである主に立ち帰りなさい(6-7節)。
福音の中で、イエスのたとえ話は、神がわたしたちのために蓄えてくださったものの新しさを述べます。同時にそれはわたしたちがより寛大な正義とより大いなる愛を示すことに対して一般的に抵抗することも示します。とくに今日わたしたちが耳にするのは、ぶどう園で働くように招かれた労働者の物語です(マタ20・1-16参照)。彼らのうち、ある者はまる一日働き、ある者は数時間だけ働き、ある者は日没間際に雇われます。しかし、たとえ話の中心は報酬を受け取るときです。主人は午前9時に雇った労働者との約束を守って取り決めどおりに支払います。しかし主人は彼らに自分のいつくしみを示そうと望んで、その目の前で、最後に雇った労働者も同じように扱います。
実際、見過ごしてはならない重要なことがあります。主人は監督に対して守るべき正確な順番を示します。労働者たちには「最後に来た者から始めて、最初に来た者まで」(マタ20・8)賃金を支払わなければならないというのです。それゆえ、まる一日働いた労働者の反発を避けるのは簡単でしたが、これは意図的に行われました。なぜなら、神のいつくしみの啓示は、一部の人だけでなく、すべての人に向けられたものだからです。神は、自分が第一で、自分が稼いだのであり、達成した結果に対して報われるのは当然だと考える人々に対しても、異なる道と、新しい思いをもっておられます。しかし、愛の法が計算の法を中断し、あわれみの経験が功績の経験を広げ、平和のたまものが競争を止め、わたしたちを感謝のうちに近づけるとき、わたしたちは皆、喜びと知恵とよりよい未来を味わうのです。
兄弟姉妹の皆様。神の協力者となり、神のぶどう畑で働き、神の正義と平和の国に奉仕することはなんという恵みでしょうか。神の新しさがあふれ出るところに、ねたみや分裂の入り込む余地はありません。それゆえ、主を尋ね求めましょう、見いだしうるときに。主を呼び求めましょう、近くにいますときに。ゆがんだ道と邪悪な思いを離れましょう(イザ55・6-7参照)。
至聖なる聖母に目を向けようではありませんか。聖母はわたしたちと同じ造られた者ですが、汚れがありません。ですから、わたしたちが神に希望を置き、神のあわれみに身をゆだねることができるように助けてくださいます。こうして神の道はわたしたちの道となり、神の思いはわたしたちの思いとなるのです。
