第37回「世界広報の日 (2003年5月25日)」教皇メッセージ

第37回「世界広報の日 (2003年5月25日)」教皇メッセージ 『地上の平和』に照らし真の平和に奉仕する広報メディア 愛する兄弟姉妹の皆さん、 1.冷戦の暗い日々に、福者ヨハネ23世教皇の回勅『パーチェム・イン・テリス […]

第37回「世界広報の日 (2003年5月25日)」教皇メッセージ
『地上の平和』に照らし真の平和に奉仕する広報メディア

愛する兄弟姉妹の皆さん、

1.冷戦の暗い日々に、福者ヨハネ23世教皇の回勅『パーチェム・イン・テリス―地上の平和―』(以下『地上の平和』)は、善意の人々にとっての希望のしるしとして登場しました。真の平和を築くには、「神の定めた秩序を全面的に尊重」(『地上の平和』1「緒論 宇宙の秩序」)する必要があると宣言した教皇ヨハネ23世は、平和な社会への4つの柱として、真理と正義、愛と自由を指し示したのでした(『同』37「一 人間相互間の秩序 義務 神は倫理的秩序の客観的土台である」参照)。
 現代において広報メディアの力が増大していることは、この回勅の重要な背景の一つでした。教皇ヨハネ23世は、特にメディアには心を留め、科学技術によって可能になった「民族の相互認識を助成普及する」多くの手段を使用するにあたって、「明朗な客観性」を求め、「真理と正義とに反して、特定の民族の名声を傷つけるような報道の仕方」を厳しく非難しました(『同』90「三 政治共同体間の関係 真理において」)。

2.今日、わたしたちは『地上の平和』の発布40周年を祝います。対立するブロックに人々が分裂していたことは、ほとんど過去の痛ましい記憶になりましたが、いまだに世界の多くの地域で、平和と正義、社会的安定は実現していません。テロや中東地域とその他の地域での紛争、威嚇の応酬、不正義、搾取、誕生以前と以後の人命の尊厳と聖性への攻撃は、わたしたちの時代の重苦しい現実です。
 その一方、人間関係の形成や政治・社会生活への影響という面で、良かれ悪しかれ、メディアの力は強大なものになっています。こうしたことから、第37回「世界広報の日」のテーマに選ばれた「『地上の平和』に照らし真の平和に奉仕する広報メディア」は時宜を得ていると言えるでしょう。世界とメディアは今でも、福者ヨハネ23世教皇のメッセージから学ぶことが多いはずです。

3.メディアと真理。すべてのコミュニケーションに道義上要求される基本的なことは、真理の尊重と真理への奉仕です。真実であることを追求し表現することは、人間のコミュニケーションには欠かせません。それは事実と情報に関してだけでなく、特に、人間の本性と行く末について、社会と共通善について、そしてわたしたちの神との関係について言えることなのです。この意味で、マスメディアには逃れられない責任があります。それと言うのも、現代ではマスメディアこそが、多様な思想が行き交い、人々が相互の理解や連帯のうちに成長する場になるからです。これが、教皇ヨハネ23世が、社会的平和の必要条件として、「真理を探究する」権利、そして「倫理的秩序と共通の利益との要求に反しない限りにおいて、思想の表現と流布との自由」への権利を擁護した理由です(『同』12「一 人間相互間の秩序 倫理的・文化的価値に関する権利」)。
 事実、メディアはしばしば、勇気をもって真理に奉仕することもあります。しかし時にメディアは、宣伝や情報制限の代行者となってしまい、狭量な利害関係や、国家や民族、人種、宗教に関する偏見、物質的強欲、さまざまな傾向の偽りのイデオロギーに組みすることさえあるのです。メディアをこのような過ちへと追いやる圧力に対して、何よりも必要なのは、メディアそのものに携わる人々の抵抗ですが、またそれだけでなく、教会や責任ある立場のグループによる抵抗も欠けることがあってはなりません。

4.メディアと正義。福者ヨハネ23世教皇は、『地上の平和』の中で、人間のための世界的共通善について雄弁に語っています。それは、「世界共通善、すなわち人類家族全体にかかわる善」(『同』132「四 個人および政治共同体と世界共同体との関係 公権の現在の機構は世界的共通善を保障するには不十分である」)で、すべての個人とすべての民族に享受する権利があります。
 メディアの世界規模での広がりには、この点に関して、特別な責任が伴うことになります。確かにメディアは、しばしば特定の、私的または公的な利益団体に属するものですが、それが実生活に及ぼす影響の本質的な性格は、あるグループを他のグループと敵対させるようなものにならない必要があります。そのようなことには例えば、階級闘争や、誇張された国家主義、人種的優越性、民族浄化の名のもとに行われることなどが挙げられます。宗教の名のもとに、ある人々を他の人々と敵対させることは、真理と正義に対する、特に重大な過ちです。それは同様に、宗教的信条による差別的扱いについても言えることです。こうしたことは、人間の尊厳と自由の最も深い領域にかかわることだからです。
 メディアには、出来事を正確に伝え、問題を適切に説明しつつ、多様な見解を公正に紹介することによって、社会のすべてのレベルにおける人間関係のうちに、正義と連帯をはぐくむという、重要な責務があります。それが意味するのは、不正や分裂をないがしろにすることではなく、むしろその根底に分け入り、理解といやしを促すことなのです。

5.メディアと自由。自由は真の平和の前提条件であると同時に、その最も大切な実りの一つでもあります。メディアは真理に奉仕することによって自由に奉仕するのです。しかし逆に、メディアが真実から逸脱し、それが偽りの情報を流布するか、出来事に対する不健全な感情を醸成するような行為によるなら、メディア自体が自由を阻害することになってしまいます。真実で十分な情報を自由に得ることができるようになって初めて、社会は共通善を追求し、この点に責任がある公的権威を支持することができるようになります。
 メディアが自由に奉仕しようとするなら、メディアそのものが自由で、その自由を正しく生かさなければなりません。メディアに与えられる特権的地位は、単に商業的な関心事を超越して、社会の真の必要と利益のために奉仕する義務を伴うものです。共通善のためのメディアの公的規制には幾つか適切なものもありますが、政府による統制は不適切です。特に、記者や解説者には、道義的良心に従い、富める人々または政治的権力の要求を満たすために真実を「脚色」しようとする圧力に、抵抗するという重大な義務があります。
 具体的には、社会で弱い立場に置かれている人々に、個人的・社会的開発のために必要な情報を提供するだけでなく、そうした人々が、メディアが伝える内容を決め、広報活動の構造と方針を決定づける上で、力と責任のある役割を果たすことからも除外されないようにしなければなりません。

6.メディアと愛。「人の怒りは神の義を実現しない」(ヤコブ1・20)。冷戦のさなか、福者ヨハネ23世教皇は、平和への道が必然的に意味する、この素朴ながら深遠な考え方を強調しました。「それは、軍備の均衡が平和を招来するという定理を、人びとの間の真の平和は相互の信頼のなかにしか確立することができないという原則に替えることによってのみ、可能となり得る」(『地上の平和』113「三 政治共同体間の関係 軍備廃止」)。
 広報メディアは、今日の世界においては重要な地位を占めており、そのことへの信頼を築く重大な役割があります。メディアの力は、ほんの数日のうちに、出来事への世論の反応を、彼らの目的に合うように、否定的にも肯定的にも動かすことができるほど強いのです。理性的な人々は、こうした強大な力には、真理と善への熱意を伴う最高の標準が必要とされることに気づくはずです。こうした意味で、特にメディアに携わる人々には、全世界での平和実現に貢献する義務があり、それは、不信感の障壁を打ち破り、他者の見解への配慮をはぐくむこと、そしていつも、人々や民族を共に相互の理解と尊重に、そしてさらには、理解と尊重よりも先にある、和解といつくしみに向かわせるよう尽力することなのです。
 「憎しみと復讐への渇きに支配されている所、戦争が罪もない人々に苦しみと死をもたらす所には、人々の感情と心を落ち着かせ、平和をもたらすために、いつくしみの恵みが必要なのです」(教皇ヨハネ・パウロ2世、2002年8月17日、クラクフ=ワギエフニキ「神のいつくしみ大聖堂」での説教、5)。
 これらすべてのことは難しい課題であり、何よりもメディアに携わる人々に、あまりにも多くを求めるものです。召命として、そして職業として、彼らは真理と正義、自由と愛を推進するよう呼ばれています。それは、「真理の土台の上に立ち、正義によってきずかれ、愛によって生かされ、完成され、最後に、自由において有効に表現される」(『同』167「五 司牧上の指針 平和の君」)社会秩序に向かう重要な働きによって貢献していくことです。以上のようなことから、今年の「世界広報の日」にあたって、わたしは祈ります。メディアに携わる人々が、彼らの召命である世界的共通善への奉仕という課題に、いまだかつてないほどに取り組みを強めることができますように。彼らの自己実現と、世界の平和と幸福は、このことに大きくかかっています。神が彼らを祝福し、光と勇気を与えてくださいますように。

2003年1月24日
聖フランシスコ・サレジオの記念日に
バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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