教皇ベネディクト十六世の2006年9月24日の「お告げの祈り」のことば 年間第25主日にあたって

教皇ベネディクト十六世は、9月24日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイ […]

教皇ベネディクト十六世は、9月24日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」のことばの中で、教皇は、当日の年間第25主日の聖書朗読箇所について解説しました。また、教皇は、一週間前の9月17日(日)にソマリアの首都モガディシュで射殺された、レオネッラ・スゴルバーティ修道女(享年65歳)を思い起こしました。スゴルバーティ修道女は、慰めの聖母宣教女会から派遣され、2002年からソマリアの看護士養成学校で教えていました。教皇がスゴルバーティ修道女の名を告げると、中庭にいる信者から大きな拍手が起こりました。
また、「お告げの祈り」の後、教皇は、次の木曜日(9月28日)に行われる「世界海事デー」について、次のように英語で述べました。「次の木曜日は世界海事デーです。わたしは皆様に、航海に従事する人びととそのご家族のために祈ってくださるよう、お願いします。船員司牧の活動について主に感謝します。船員司牧は、長年にわたって、困難と問題の多い船員生活を送る人びとを、人間的にも霊的にも支えてきました。わたしは特に、最近、国際海事機関(IMO)が、貧困と飢餓との戦いに貢献する取り組みを行ってくださっていることを歓迎します。海の星である聖母が、船員とそのご家族、また彼らの人間的・霊的必要のために働く人びとを、愛をもって見守ってくださいますように」。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日の主日の福音の中で、イエスは弟子たちに、再び自分の受難と死と復活を告げます(マルコ9・30-31参照)。福音書記者マルコは、イエスの思いと十二使徒の思いの大きな違いを際立たせます。十二使徒は、師であるかたのことばがわからず、師であるかたが死に向かっているという考えをはっきりと拒みました(マルコ8・32参照)。そればかりか、彼らは、自分たちの中で誰が「いちばん偉いか」を議論し合っていました(マルコ9・34参照)。イエスは彼らに忍耐強く自分の考え方を説明します。それは、愛に基づく考え方です。この考え方は、自分自身をささげるまでに仕えることを含むものでした。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」(マルコ9・35)。
 これがキリスト教の考え方です。それは、神の像として造られた人間の真理に対応するものです。同時に、この考え方は、原罪の結果である、人間の利己主義に反対します。すべての人間の人格は、愛へと引きつけられます。愛は、究極的に、神ご自身だからです。しかし、人間はしばしば具体的な愛し方において失敗を犯します。そのため、当初は善いことをめざしていたにもかかわらず、罪の汚れのために、そこから悪い思いと行いが生まれることがあるのです。
 今日の典礼では、聖ヤコブの手紙も朗読されます。「ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、さらに、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません」。使徒はこう結びます。「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです」(ヤコブ3・16-18)。
 このことばは、多くのキリスト信者のあかしを思い起こさせます。彼らは謙遜と沈黙のうちに、主イエスのために、他者への奉仕に生涯をささげています。こうして彼らは、愛に仕え、平和を「実現する人」として、具体的に働きます。ある人は最高の血のあかしをささげることも求められます。たとえば、数日前、暴力の犠牲となった、イタリア人の修道者の、シスター・レオネッラ・スゴルバーティに起こったようにです。ソマリアで長年の間、貧しい人と子どもたちに奉仕したこの修道女は、「わたしは赦します」といいながら亡くなりました。これが、もっとも真実なキリスト信者のあかしです。それは、憎しみと悪に、その反対のものが、すなわち愛が打ち勝つことを示す、平和のしるしです。
 キリストに従うのがむずかしいことであるのは確かです。しかし、キリストがいわれたように、キリストのため、その福音のためにいのちを失う者は、それを救い(マルコ8・35参照)、自分の人生に最高の意味を与えるのです。キリストの弟子となるための、ほかの道はありません。キリストの愛をあかしし、福音的完徳をめざすためには、この道のほかはないのです。
 わたしたちは今日、憐れみの聖母であるマリアに祈り求めます。マリアの助けによって、わたしたちが、喜びと聖性の神秘である神の愛に、わたしたちの心をいっそう大きく開くことができますように。

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