教皇ベネディクト十六世の208回目の一般謁見演説 二つの偉大な托鉢修道会―フランシスコ会とドミニコ会

1月13日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の208回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2009年2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する […]


1月13日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の208回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2009年2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話の第26回として、「二つの偉大な托鉢修道会(フランシスコ会とドミニコ会)」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

謁見の終わりに、教皇は、12日(火)にハイチで起きた大地震について、イタリア語で次の呼びかけを行いました。
「ここでハイチの悲惨な状況のために呼びかけを行いたいと思います。わたしの思いはとくに、数時間前に大きな破壊をもたらした地震により深刻な被害に遭った人々に向かいます。この地震は甚大な数の人命の喪失、多くの家を失った人、行方不明者、そして膨大な物的損害をもたらしました。すべての人にお願いします。この大惨事の犠牲者と、その死を悲しむ人々のために、わたしとともに主に祈ってください。わたしは、自分の家を失ったかた、そして、さまざまな形でこの災害の影響を受けたすべてのかたに霊的に寄り添うことを約束します。そして、神が彼らを慰め、苦しみを和らげてくださるよう祈り求めます。すべての人の寛大な心に呼びかけます。窮乏と苦難の時を過ごしているこの兄弟姉妹が、わたしたちの具体的な連帯と国際社会の効果的な支援を欠くことがありませんように。カトリック教会も、慈善団体を通して、ハイチ国民の緊急の必要にこたえられるよう、ただちに行動します」。
12日午後4時53分(日本時間13日午前6時53分)頃、カリブ海の島国ハイチで起きたマグニチュード7.0の地震では、大統領宮殿をはじめとする多くの建物が倒壊しました。ルネ・ガルシア・プレヴァル大統領は13日、地震の死者が数万人に達する恐れがあると述べました。この地震では首都ポルトープランスのヨーゼフ・セルジ・ミオット大司教(63歳)も死亡しました。

なお、謁見の後、教皇は、昨年12月24日晩、降誕祭ミサの入堂行列で教皇を転倒させ、エチェガレイ枢機卿に重傷を負わせたスザンナ・マヨロ嬢との謁見を行いました。教皇庁広報部の13日の発表によると、教皇は一般謁見の後、パウロ六世ホールに隣接した部屋でスザンナ・マヨロ嬢との短時間の個人謁見を行いました。マヨロ嬢は先月の主の降誕の夜半のミサの初めに起きた事故について遺憾の意を表明しました。教皇はマヨロ嬢へのゆるしと、心からの気遣いと、彼女の健康のために祈ることを表明しました。スザンナ・マヨロ嬢には2名の家族が同伴しました。バチカン市国の司法当局が継続中の調査は終了に向かっています。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  新年の初めにあたり、わたしたちはキリスト教史に目を向けます。それは、歴史がどのように発展し、また新たにされうるかを見いだすためです。わたしたちは、歴史の中で、神の光に導かれた聖人たちが教会と社会の生活を真の意味で変革したことを見いだします。ことばによる教師、模範による証人であった聖人たちは、堅固で深い意味での教会の刷新を推進することができました。なぜなら、彼らは自らが深い意味で新たにされており、世における神の現存という、真の意味で新しい要素に触れていたからです。あらゆる時代に聖人が生まれ、創造的な刷新をもたらしてきたという、この慰めをもたらす現実が、教会の歴史につねに同伴してきました。たとえ教会が、その歩みにおいて悲しみと悪い側面のただ中にあってもです。実際わたしたちは、世々にわたって変革と刷新の力が生まれるのを目にします。なぜなら、神の新しさは変わることがなく、前進するための新しい力をいつも与えてくださるからです。13世紀にもそれが見られます。13世紀には托鉢修道会が生まれ、特別な発展を遂げたからです。托鉢修道会は、歴史の新たな時代における偉大な刷新の模範です。托鉢修道会という名は、彼らの特徴である「托鉢」に由来します。「托鉢」とは、清貧の誓願を生き、福音宣教の使命を果たすために、人々に謙遜に経済的支援を求めることです。当時生まれた托鉢修道会の中でもっとも有名かつ重要なのは、フランシスコ会とドミニコ会として知られる、「小さき兄弟会」と「説教者兄弟会」です。二つの会の名は、その創立者であるアッシジのフランチェスコ(Francesco; Franciscus Assisiensis 1181/1182-1226年)とグスマンのドミニクス(Dominicus 1170頃-1221年)に由来します。この二人の偉大な聖人は、知恵をもって「時のしるし」を読み取り、当時の教会が立ち向かうべき課題を見抜くことができました。
  第一の課題は、さまざまな信者のグループや運動の拡大に示されました。これらの運動は真のキリスト教的生活に対する正当な望みに促されたものでしたが、しばしば教会の交わりの外に身を置きました。彼らは、まさに修道制の興隆によって発展した、豊かで美しく飾られた教会に激しく反対しました。最近行った講話の中で、わたしはクリュニーの修道共同体について考察しました。クリュニー修道共同体はますます、若者と活力とともに、財産や富をも引き寄せました。こうして当然のことながら、初めに豊かな財産と土地をもった教会が発展しました。このような教会に対置されたのが、キリストは貧しい者として地上に来られたのだから、真の教会は実際に貧しい者の教会でなければならないという思想です。こうして、キリスト教の真に本来あるべき姿への望みは、現実の教会の実態と対置されました。そこから、いわゆる中世の清貧運動が生まれました。この運動は当時の司祭や修道士の生き方を厳しく批判し、彼らが福音を裏切り、初期キリスト教徒の清貧を生きていないと非難しました。そして、この運動は司教の奉仕職に、自分たちの「並行する位階制」を対置しました。さらに彼らは、自分たちの選択を正当化するために、カトリック信仰と相容れない教えを広めました。たとえば、カタリ派やアルビ派の運動は、古代の異端を再提示しました。すなわち、物質世界の過小評価と軽蔑――富に対する反対はすぐに物質的現実そのものへの反対となりました――、自由意志の否定、そして、二元論、すなわち、神と同等のものとしての第二の悪の原理の存在の主張です。これらの運動はとくにフランスとイタリアで成功を収めました。それは、彼らが堅固な組織をもっていたためだけでなく、教会の現実の無秩序を非難したためです。この無秩序は、聖職者のさまざまな代表者の模範的とはいえない態度がもたらしたものでした。
  これに対して、フランシスコ会とドミニコ会は、創立者の足跡に従って、教会から離れないでも福音的清貧と福音の真理そのものを生きることができることを示しました。彼らは、教会が福音と聖書のまことの真正な座であり続けることを示しました。こうしてドミニクスとフランチェスコは、まさに教会と教皇との深い交わりから、彼らのあかしの力を引き出したのです。これら二つの修道会の会員は、奉献生活の歴史の中できわめて独自の選択を行いました。すなわち彼らは、古代から修道士たちが行ってきたのと同じように、個人的な所有物を放棄するだけでなく、土地や不動産までも共同体の名義とすることを望みました。こうして彼らは極度につつましい生活のあかしを行うことを目指しました。それは、貧しい人々と連帯し、摂理だけに信頼し、日々、摂理に従い、信頼をもって自らを神にゆだねて生きるためです。托鉢修道会のこうした個人また共同体としての生活様式、またその教会と権威者の教えとの完全な一致は、インノケンティウス3世(Innocentius III 在位1198-1216年)やホノリウス3世(Honorius III 在位1216-1227年)といった教皇から大いに評価されました。これらの教皇はこの新しい教会の経験を完全に支持し、そこで聖霊が語っていることを認めました。それは多くの実りを生み出しました。教会から離れた貧者のグループは教会との交わりを回復し、次第に自らを見直して消えていきました。現代、「ある」ことよりも「もつ」ことがしばしば優先される社会で生活する人々も、信者が勇気ある決断をもって示す、清貧と連帯の模範を敏感に感じ取ることができます。現代においても同じような取り組みを数多く目にすることができます。すなわち、本当に福音の新しさから出発して、現代において福音を徹底した形で生き、隣人に仕えるために神に身をゆだねる運動です。パウロ六世が『福音宣教』の中で述べたとおり、世界は、教師が同時に証人でもあるときに、教師に進んで耳を傾けます。告げ知らされたことをまず生き、神の愛を映し出す鏡となること。これこそが、福音宣教活動の中で忘れてはならない教訓です。
  フランシスコ会士とドミニコ会士は証人であるとともに、教師でもありました。実際、当時広く認められたもう一つの急務は、宗教教育でした。急激に拡大しつつあった都市に住む少なからぬ信者が、深く霊的なキリスト教的生活を送ることを望んでいました。それゆえ信者は、信仰の知識を深めること、そして、困難ではあっても心を引きつける聖性への道を歩むための指導を求めました。幸い、托鉢修道会はこの要求にこたえることができました。福音の素朴さ、深さ、偉大さを告げ知らせることが、托鉢修道会運動の一つの、おそらくは主要な目的でした。実際、托鉢修道会士はまことに熱心に説教を行いました。多くの信者が、それもしばしば真にことばどおりの意味での群衆が、教会や野外に集まって、説教者のことばに耳を傾けました。たとえば(パドヴァの)聖アントニウス(Antonius Patavinus 1195-1231年)を思い起こすことができます。説教者たちは人々の生活に密接にかかわるテーマ、とくに対神徳や倫理徳の実践について、わかりやすい具体的な例を用いて語りました。さらに彼らは、祈りの生活や信心を深める方法も教えました。たとえば、フランシスコ会士は、主に倣うわざを通して、キリストの謙遜に対する信心を広めました。ですから、多くの男女の信者がフランシスコ会とドミニコ会の修道士に、評判の高い霊的指導者、聴罪司祭として、キリスト者としての道に同伴してもらうことを選んだのは、驚くべきことではありません。そこから、聖フランチェスコと聖ドミニクスの霊性に促されながら、この霊性を自分たちの生活の状態に適用する、信徒の会が生まれました。これがフランシスコ会またはドミニコ会の第三会です。いいかえると、「信徒の聖性」への呼びかけが多くの人の心をつかみました。第二バチカン公会議が述べるように、聖性への招きは一部の人に限られたものではなく、普遍的です(『教会憲章』40参照)。どのような生活条件においても、おのおのの必要に応じて、福音を生きることができます。現代においても、すべての人は、どのような生活条件のもとにおいても、「キリスト教的生活の高い基準」を目指さなければなりません。
  托鉢修道会の重要性は中世においてますます大きなものとなり、世俗の組織、たとえば労働者の団体、古くからの同業組合、さらに国家機関までもが、しばしば托鉢修道会の会員に霊的助言を求めました。それは、自分たちの規則を作成し、場合によって内外の紛争を解決するためです。フランシスコ会士とドミニコ会士は中世都市の霊的指導者となりました。彼らは深い洞察力をもって、社会の変革のための司牧戦略を実行しました。多くの人が農村から都市に移動したため、修道士たちは修道院を地方ではなく都市に置きました。さらに、人々の霊魂に益する活動を行うために、司牧的必要に応じて移動することも必要となりました。もう一つのきわめて革新的な選択として、托鉢修道会は、古代修道制の伝統だった、定住の原則を放棄しました。それは、別の生活様式を選ぶためです。フランシスコ会士とドミニコ会士は宣教への熱意をもって方々を旅しました。そのため、彼らは大部分の修道会とは違う組織を作りました。すべての修道院が自治を認められていた伝統に代えて、托鉢修道会は、修道会自体、および総長、そして諸管区から成る組織を重視しました。こうして托鉢修道会士はいっそう普遍教会の必要にこたえられるようになります。この柔軟性のゆえに、特別な宣教地の拡大に合わせて修道士を派遣することが可能となり、托鉢修道会は北アフリカ、中東、北ヨーロッパにまで達しました。こうした柔軟性によって宣教の力が新たにされたのです。
  もう一つの課題は、当時起きていた文化の変化によって示されます。さまざまな新たな問題が、12世紀末に誕生した大学の中で活発な議論を引き起こしました。フランシスコ会士とドミニコ会士はこの任務もためらわずに引き受けました。学生また教授として、当時のもっとも有名な大学に入り、研究機関を設立し、高い価値のある著作を書き、真に本来の意味での思想の学びやにいのちを吹き込み、盛期スコラ神学の代表者となることによって、彼らは思想の発展に大きな影響を与えました。もっとも偉大な思想家である聖トマス・アクィナスと聖ボナヴェントゥラは托鉢修道会士でした。二人はこの新しい福音宣教の力をもって活動し、思想と、理性と信仰の対話をも新たに勇気づけました。現代においても、「真理への、また真理に基いた愛」、「知性的な愛」を実践しなければなりません。それは、知性を照らし、信仰と文化を結びつけるためです。親愛なる兄弟の皆様。中世の大学におけるフランシスコ会士とドミニコ会士の幅広い活動は、知識を生み出す場に身を置くようにとわたしたちを招きます。それは、尊敬の念と確信をもって、人間と人間の尊厳、人間の永遠の使命にかかわる根本的な問題に福音の光を当てるためです。ある修道士は、中世においてフランシスコ会士とドミニコ会士が果たした役割、彼らが促した霊的刷新、彼らが世に伝えた新しいいのちの息吹を思い起こしながら、こう述べます。「当時、世界は老いていた。二つの修道会が教会の中に生まれ、そこから教会は鷲のような若さをよみがえらせた」(ウルスベルクのブルカルドゥス〔Burchardus Urspergensis 1177以前-1231年〕『年代記』:Chronicon)。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。年の初めにあたり、教会が永遠に若さを保つ恵みを聖霊に祈り求めたいと思います。どうか聖霊が、福音を一貫性と勇気をもってあかししなければならないことをわたしたち皆に感じさせてくださいますように。多くの聖人が与えられますように。これらの聖人が、とこしえにしみもしわもない、清く美しい花嫁である教会を輝かせ、世をキリストとその救いへとあらがいがたいしかたで引き寄せることができますように。

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