教皇ベネディクト十六世の227回目の一般謁見演説 キプロス司牧訪問を振り返って

6月9日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の227回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、6月4日(金)から6日(日)まで行ったキプロス司牧訪問を振り返りました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日わたしはわたしのキプロスへの使徒的訪問についてお話ししたいと思います。この使徒的訪問は多くの点で先に行った聖地とマルタへの訪問と連続しています。神のご加護のおかげで今回の司牧訪問はたいへんうまくいきました。幸いにも訪問の目的を遂げたからです。この訪問はそれ自体として歴史的な出来事です。実際、聖パウロと聖バルナバの使徒的活動によって祝福され、伝統的に聖地の一部と考えられてきたこの地をローマ司教が訪れるのは初めてです。異邦人の使徒の足跡に従いながら、わたしも福音をもたらす巡礼者となりました。何よりもまずカトリック共同体の信仰を強めるためです。このカトリック共同体はキプロス島で小さいけれども生き生きとした少数者です。わたしはまた、このカトリック共同体に、キリスト者、とくに正教会の兄弟との完全な一致に向けた道を歩み続けるよう励ましました。同時にわたしは、精神的な意味で中東のすべての民を抱擁し、主の名によってこの民を祝福し、平和のたまものを神に祈り求めることを望みました。わたしは心からの歓迎を受けました。わたしはこの歓迎をいたるところで経験しました。そこで、この機会にまずキプロスのマロン典礼教会のヨセフ・スエイフ大司教と、フアド・トワル総大司教、そしてその協力者の皆様に心からの感謝をあらためて申し上げます。お一人おひとりの使徒的活動をあらためて有り難く存じます。次いでわたしは、キプロスの正教会の聖なる主教会議、とくにネア・ユスティニアナと全キプロスのクリュソストモス二世総主教に感謝致します。クリュソストモス二世総主教と兄弟としての愛をもって互いに抱擁できたことをうれしく思います。また(ディミトリス・フリストフィアス)キプロス共和国大統領とすべての政府当局者、さまざまな形でわたしの司牧訪問の成功のためにご尽力くださったすべてのかたがたにも感謝致します。
 今回の使徒的訪問は6月4日、古代からの都市パフォスから始まりました。わたしはこのパフォスで、キリスト教の二千年の歴史を目に見える形で要約するような雰囲気を感じました。考古学の発見は、ここに古代の輝かしい霊的遺産があることを示します。この霊的遺産は今でもキプロスの生活に強い影響を与えています。感動的なエキュメニカル集会が、アギア・キリアキ・クリソポリティッサ教会で行われました(同日)。考古学的遺跡の中にあるこの正教会の礼拝堂はカトリックと聖公会の人々にも開放されています。正教会のクリュソストモス二世とアルメニア教会、ルーテル教会、聖公会の共同体の代表者のかたがたとともに、わたしたちは互いの後戻り不能なエキュメニズムへの決意を新たにしました。わたしはこの思いを、総主教館で行われた、クリュソストモス二世総主教との心温まる会見でも表明しました(6月5日)。この会見の中でわたしは、キプロス正教会がキプロス国民の運命と固く結ばれていることを確認しました。キプロス国民は、だれからもキプロスの父また恩人とみなされる故マカリオス三世総主教(1913-1977年、キプロス総主教在位1950-没年、キプロス大統領在任1960-1974、1974-没年)への尊敬と感謝の思いをもち続けています。わたしもマカリオス三世の記念碑の前にしばし立ち止まって、敬意を表そうと望みました。正教会共同体は、このように伝統に根ざしはしても、それがカトリック共同体とともにエキュメニカル対話に決定的な形で取り組むことの障害とはなりません。正教会共同体とカトリック共同体は、ともに西方教会と東方教会の完全な目に見える一致の回復への心からの望みに促されているからです。
 6月5日、キプロスの首都ニコシアで、キプロス共和国大統領を訪問することにより、わたしは訪問の第二の段階を開始しました。大統領はわたしを丁重に迎えてくださいました。政府当局者と外交使節団との会見の中で、わたしは、実定法の基盤を自然法の倫理的原則の上に置くことの重要性を強調しました。それは、公共生活の中で道徳的真理を推進するためです。これは理性への呼びかけです。理性は、倫理的原則を基盤としながら、現代社会の緊急の課題にこたえる使命を帯びています。現代社会は、多くの場合、自らの基盤である文化的伝統を認めないからです。
 聖マロン小学校で行われたみことばの祭儀は、キプロスのマロン典礼教会とラテン典礼教会に属するカトリック共同体との集会の中でもっとも感動的なものの一つとなりました。この祭儀によって、わたしはキプロスのカトリック信者の使徒的情熱を目の当たりにすることができました。この使徒的情熱は、数十の組織による教育・福祉活動を通しても表されます。これらの活動はすべての人に奉仕しており、政府当局や全国民から評価されています。祭儀は、多くの子ども、青少年と若者の熱気に促された、喜びと祝いのときでした。祭儀は記念の要素をも欠いてはいませんでした。この記念の要素は、マロン典礼教会の心を感動的な形で感じさせてくれました。マロン典礼教会は、今年、創立者である聖マロン(410年没)の没後1600周年を記念するからです。このことに関連してとくに意義深かったのは、キプロスの4つの村の出身のマロン典礼教会カトリック信者が参加したことです。これらの村に住むキリスト者は、苦しみ、また希望しているからです。わたしはこのかたがたの願いと困難な状況に父としての理解を示そうと望みました。
 同じ祭儀の中で、わたしは、ラテン典礼教会共同体の使徒的取り組みをたたえることができました。この共同体はエルサレムのラテン総大司教の配慮とフランシスコ会聖地準管区の司牧的情熱によって指導され、絶えざる寛大さをもって人々に奉仕しています。愛のわざの領域できわめて活発なラテン典礼教会のカトリック信者は、労働者と最貧困者に特別な関心を注いでいます。わたしはラテン典礼とマロン典礼教会のすべてのかたがたに対して、彼らを祈りのうちに思い起こすことを約束しました。そして、こう勧めました。キリスト者と非キリスト者間の互いの信頼に基づく忍耐強い活動を通しても福音をあかししてください。それは、キプロス国民の中に永続的平和と一致を築くためです。
 わたしは、キプロスの司祭、奉献生活者、助祭、カテキスタ、信徒の諸組織・運動団体代表者が参加して、聖十字架小教区教会でささげられたミサの中でも、信頼と希望への招きを繰り返して述べました(同日)。わたしは十字架の神秘の考察から始め、続いて、中東のすべてのカトリック信者に向けて悲しみのうちに呼びかけました。大きな試練と、わたしたちがよく知っている困難の中にあっても、失望と移住への誘惑に負けてはいけません。あなたがたが中東地域にいることが、かけがえのない希望のしるしだからです。わたしは中東のカトリック信者、とくに司祭と修道者に、全教会が愛をもって深く連帯すること、そして絶えず祈ることを保証しました。皆様がいつも地域にとどまり、活発に平和をもたらすことができるよう、主が助けてくださいますように。
 今回の使徒的訪問の頂点が、中東のための世界代表司教会議(シノドス)特別総会の「討議要綱(Instrumentum laboris)」の公布であったことは間違いありません。「討議要綱」の公布は、中東のさまざまな教会共同体の総大司教と司教が参加して、6月6日(日)、ニコシア競技場でささげられた感謝の祭儀の終わりに行われました。神の民は声を一つにして歌いました。「喜び歌い感謝をささげる声の中を、祭りに集う人の群れとともに」。詩編(詩編42・5)が述べるとおりです。多くの移民が参加してくださったおかげで、わたしたちはこのことを具体的な形で体験できました。これらの移民はキプロスのカトリック人口の中で大きな部分を占めています。そして彼らは問題なくキプロスに溶け込んでいます。わたしたちは、亡くなったトルコ司教協議会の会長のルイジ・パドヴェーゼ司教(1947-2010年)の霊魂のためにともに祈りました。パドヴェーゼ司教の突然の悲惨な死(6月3日)は、わたしたちを悲しませ、驚かせました。
 「中東のカトリック教会――交わりとあかし」――今年10月にローマで開催される中東シノドスのこのテーマは、交わりと希望に開かれた心を述べています。実際、この重要な会議は、中東地域のさまざまな典礼のカトリックのキリスト教会の集会であるとともに、同時に、未来のための新たな対話と勇気の探求となることを目指しています。そのため、シノドスには教会全体の心からの祈りが伴わなければなりません。中東は教会の心の中で特別な位置を占めます。まさにこの中東で、神はわたしたちの信仰の父祖にご自身を知らせてくださったからです。しかし、現代社会の他の人々、とくに公共生活の代表者も関心をもたなければなりません。公共生活の代表者は、中東地域が、人々を今なお苦しめる苦難の状況と紛争を解決し、最終的に正義に基づく平和を取り戻せるよう、絶えざる努力をもって働かなければならないからです。
 キプロスを離れる前に、わたしはニコシアのマロン典礼教会の司教座聖堂を訪れることを望みました。アンティオキアのマロン典礼教会の総大司教、ピエール・ナスララー・スフェイル枢機卿もご同席くださいました。わたしは、キプロス全島に広がる、由緒あるマロン典礼教会のすべての共同体に対し、心からの連帯と深い理解をあらためて示しました。マロン典礼派はさまざまな時代にキプロスに到来し、その特別なキリスト教的遺産に忠実にとどまるためにしばしば激しい苦難を経験しました。マロン典礼教会の歴史的・芸術的伝統は全人類にとっての文化遺産です。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。わたしは神へのこの上ない感謝の念と、わたしを歓迎し、理解してくださったキプロスに住む人々への心からの愛情と尊敬の思いをもってバチカンに帰りました。高貴なキプロスの地で、わたしは、唯一のキリストの教会のさまざまな伝統に属する人々が行う使徒的活動を目にすることができました。そして、いわばたくさんの心が一つになって脈打つのを感じることができました。まさに今回の訪問のテーマがいうとおりです。「心も思いも一つにしていた」(使徒言行録4・32)。マロン典礼、アルメニア典礼、ラテン典礼の形態におけるキプロスのカトリック共同体は、自分たちの間でも、正教会の兄弟や他のキリスト教教派との心からの建設的な関係においても、絶えず心も思いも一つにしようと努めています。キプロス国民と他の中東諸国民が、政府と諸宗教の代表者とともに、平和と友愛と友好的協力に基づく未来をともに築いていくことができますように。祈りたいと思います。至聖なるマリアの執り成しによって、聖霊が今回の使徒的訪問を実り豊かなものとし、世界中で教会の宣教を力づけてくださいますように。キリストは、真理と愛と平和の福音をすべての民に告げ知らせるために教会を創立されたからです。

PAGE TOP