教皇ベネディクト十六世の327回目の一般謁見演説 レバノン訪問を振り返って

9月19日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の327回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、9月14日(金)から16日(日)に行ったレバノンへの使徒的訪問を振り返りました […]


9月19日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の327回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、9月14日(金)から16日(日)に行ったレバノンへの使徒的訪問を振り返りました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日は、レバノンへの使徒的訪問の特別な日々について、心と思いをもって簡単に振り返りたいと思います。困難な状況にもかかわらず、わたしはこの訪問を強く望みました。父親は、子どもたちが深刻な問題に直面しているとき、つねにそのそばにいるべきだと考えたからです。わたしは、復活した主が弟子たちに残した、平和を告げ知らせたいという望みに心を揺さぶられます。それは次のことばです。「わたしは、わたしの平和を与える」(ヨハネ14・27)。今回の訪問のおもな目的は、シノドス後の使徒的勧告『中東における教会』(Ecclesia in Medio Oriente)に署名し、それを中東のカトリック共同体の代表者と、他の教会・教会共同体、そしてイスラームの指導者のかたがたに与えることでした。
 この訪問は、感動的な教会行事であると同時に、複雑で、中東地域全体にとって象徴的なこの国で対話を行う摂理的な機会でもありました。レバノンは、異なる宗教的・社会的集団の間の共存と活発な協力の伝統をもつからです。わたしは、中東のこの地域に今なお残る苦しみと悲劇を前にして、愛する中東の人々の正当な望みに心から寄り添うことを表明し、激励と平和のメッセージを彼らに伝えました。とくにわたしは、シリアを苦しめる恐ろしい紛争のことを思います。この紛争は、多数の死者だけでなく、安全と未来を必死に求めてこの地域に流入した多くの避難民を生み出しました。イラクの困難な状況も忘れることができません。今回の訪問中、カトリック信者も、他の教会・教会共同体とさまざまなイスラーム共同体の代表者も含めて、レバノンと中東の人々は、感激をもって、くつろいだ建設的な雰囲気のうちに、相互の尊重と理解と兄弟愛の重要性を体験しました。これらのものが人類全体にとって力強い希望のしるしとなるのです。しかし、何よりも今回の訪問は、何万人ものレバノンと中東のカトリック信者との出会いでした。この出会いは、わたしの心と思いに、これらの信者の熱心な信仰とあかしに対する深い感謝の念を呼び起こしました。
 キリストに根ざして生き、福音の上に碇(いかり)を下ろし、教会の中でともに歩みたいという強い望みに駆られた、若者、大人、家族――中東地域の教会の未来に希望を与える、この貴いたまものを与えてくださった主に感謝します。今回の訪問のためにうむことなく尽力されたかたがたにあらためて感謝致します。すなわち、レバノンの総大司教、司教とその協力者の皆様、シノドス事務総局、レバノン社会の貴重かつ重要な存在である、奉献生活者、信徒の皆様です。わたしは、レバノンのカトリック共同体が、その二千年に及ぶ現存と、希望に満ちた努力を通じて、同国のすべての住民の日常生活に貴く意義深い貢献を行っておられるのを目の当たりにすることができました。レバノン政府と諸機関・団体、ボランティア、そして祈りによってわたしを支えてくださったかたがたにも心から感謝します。温かく歓迎してくださったミッシェル・スレイマン・レバノン共和国大統領と、レバノンを構成するさまざまな集団と国民の皆様のことも忘れることができません。それは有名なレバノンのもてなしによる、温かい歓迎でした。イスラームのかたがたも深い尊重と誠実な考察をもってわたしを迎えてくださいました。このかたがたがつねに参加してくださったことが、キリスト教とイスラーム教の対話と協力に関するメッセージを発表することを可能にしてくれました。分裂、暴力、戦争に反対する、心からの断固たるあかしをともに行うべき時が来ているように思われます。隣接する国々からも来られたカトリック信者のかたがたは、ペトロの後継者に対する深い敬愛を熱心に示してくださいました。
 ベイルート空港でのすばらしい歓迎式典の後、最初に行われた行事は特別に荘厳なものでした。すなわち、ハリッサの聖パウロ・ギリシア・メルキト教会大聖堂で行われた、シノドス後の使徒的勧告『中東における教会』への署名式です(9月14日)。わたしはこの機会に中東のカトリック信者をこう招きました。十字架につけられたキリストに目を注いでください。それは、困難で苦しい状況にあっても、憎しみに対する愛、復讐に対するゆるし、分裂に対する一致の勝利を祝う力を見いだすためです。わたしは彼らに約束しました。普遍教会は、中東の教会に愛と祈りを込めてますます寄り添います。たとえ「小さな群れ」であっても、中東の教会は恐れてはなりません。主がつねにともにいてくださることを確信してください。教皇は皆様のことを決して忘れません。
 使徒的訪問の二日目(9月15日)、わたしはレバノン共和国の諸機関、文化界の代表者、外交使節団、宗教指導者と会見しました。わたしはとくにこれらのかたがたに平和と連帯に満ちた未来を築くための道を示しました。それは、文化と社会と宗教の違いが、心からの対話を通じて、新しい兄弟愛となるよう努力することです。その際、一致をもたらすものは、すべての人格の偉大さと尊厳に対する感覚の共有です。すべての人のいのちをつねに擁護し、守らなければなりません。同日、わたしはイスラーム教共同体の指導者と会見しました。この会見も、対話と相互の好意の精神のうちに行われました。このような会見ができたことを神に感謝します。現代世界は、対話と協力のはっきりとした力強いしるしを必要としています。この点で、レバノンはアラブ諸国と全世界にとって模範となってきましたし、これからも模範であり続けなければなりません。
 この日の午後、マロン典礼総大司教館前広場で、わたしはレバノンと近隣諸国の多くの若者の熱狂的で抑えきれない歓迎を受けました。この歓迎が、典礼と祈りの時にいのちを吹き込みました。この祈りの時は多くの人の心の中に忘れえぬしかたで残るものです。わたしは、この若者たちが、わたしたちの救いのために死んで復活したイエスと、キリスト教の発展を目にした、世界のこの地で生活できる幸いを強調しました。そして彼らに勧めました。秩序と安全の欠如のための困難の中にあっても、自分たちの地への忠実と愛を守ってください。さらにわたしは彼らを励ましました。信仰に固くとどまり、わたしたちの喜びの泉であるキリストを信頼してください。祈りのうちにキリストとの個人的な関係を深めてください。そして、いのちと家庭と友情と連帯という偉大な理想に心を開いてください。わたしは、キリスト教徒とイスラーム教徒の若者が深い一致を味わっているのを目にしながら、彼らにこう促しました。ともにレバノンと中東の未来を築き、暴力と戦争に反対してください。一致と和解は、悪の圧力よりも強力でなければなりません。
 日曜日(9月16日)の朝、ベイルートのシティセンター・ウォーターフロントで、大勢の人の参加のもとにミサをささげる充実した時を持ちました。ミサでは、意味深い聖歌が歌われました。聖歌は他の行事でも歌われました。中東のあらゆるところから来た多くの司教と多数の信者を前にして、わたしはすべての人にこう呼びかけたいと望みました。信仰を生きてください。恐れることなく信仰をあかししてください。キリスト信者と教会の使命は、イエスの模範に従って、福音をすべての人に分け隔てなく伝えることだということを自覚してください。激しい紛争によって特徴づけられた状況の中で、わたしは平和と正義に奉仕しなければならないことに注意を喚起しました。そのために、和解の道具、交わりを築く者とならなければなりません。感謝の祭儀の終わりに、中東のためのシノドス特別総会の結論をまとめた使徒的勧告を発布できたことをうれしく思います。この文書は、東方典礼とラテン典礼の総大司教と司教、司祭、奉献生活者、信徒を通じて、愛する中東地域のすべての信者に届けられることを目指しています。それは、信者の信仰と交わりを支え、期待される新しい福音宣教のための道を歩むよう促すためです。午後、カトリック・シリア典礼総大司教館で、正教会・東方正教会総主教、また同教会と他の教会共同体の代表者とのエキュメニカル集会を行うことができました。
 親愛なる友人の皆様。レバノンで過ごした日々は、信仰と深い宗教性の驚くべき表明であるとともに、預言的な平和のしるしでした。中東全域から来た大勢の信者が、この機会に考察し、対話し、何よりもともに祈りました。そしてキリストに根ざして生きる決意を新たにしました。わたしは確信しています。多様ですっかり混ざり合った宗教的・社会的集団で構成されるレバノン国民が、新たな情熱をもって、まことの平和をあかしすることができることを。この平和は神への信頼から生まれます。わたしが示そうと望んだ平和と尊重のメッセージが、平和と、キリスト教徒とイスラーム教徒の関係の理解の発展に向けた決定的な歩みを中東地域の政府が進める助けとなることを願います。わたしも、愛する中東の諸国民とともに祈りをもって歩み続けます。彼らが自分たちの選んだ決断を忠実に実行し続けられますように。今回の使徒的訪問の実りと、中東全体のよい意向と正しい望みを、レバノンの多くの古来の巡礼所であがめられているマリアの母としての執り成しにゆだねます。ご清聴ありがとうございます。

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