教皇ベネディクト十六世の2012年12月16日の「お告げの祈り」のことば 洗礼者聖ヨハネの教え

教皇ベネディクト十六世は、待降節第三主日の12月16日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタ […]


教皇ベネディクト十六世は、待降節第三主日の12月16日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇は、英語を話す巡礼者に向けて英語で次のように述べました。
「今日の『お告げの祈り』においでくださった英語を話す巡礼者の皆様にごあいさつ申し上げます。コネティカット州ニュータウンで金曜日に起きた無意味な暴力に深い悲しみを覚えています。犠牲者のご家族、とくにお子様を失ったご両親に祈りのうちに寄り添うことを約束します。慰めの神が彼らの心に触れ、その痛みを和らげてくださいますように。待降節にあたり、祈りと平和のわざにいっそう熱心に励もうではありませんか。今回の悲劇の被害に遭われたかたと、皆様の上に、神の豊かな祝福がありますように」。
12月14日(金)朝(日本時間同日深夜)、米国コネティカット州ニュータウンのサンディフック小学校でアダム・ランザ容疑者(20歳)が銃を乱射し、児童20人を含む26人が死亡しました。

この日の午前、教皇はローマ教区東部地区のサン・パトリツィオ・ア・コッレ・プレネスティノ小教区を訪問し、午前9時からミサをささげました。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

今日の待降節の主日の福音はあらためて洗礼者ヨハネの姿を示します。そして、ヨルダン川にいたヨハネのところに洗礼を授けてもらおうとして来た群衆にヨハネが語る姿を描きます。ヨハネが、メシアの到来に備えるよう厳しいことばで皆に勧告したので、ある人が尋ねます。「わたしたちはどうすればよいのですか」(ルカ3・10、12、14)。この対話はたいへん興味深く、またきわめて現代的な意味をもっています。
 第一の答えは群衆一般に向けて述べられます。「下着を二枚もっている者は、一枚ももたない者に分けてやれ。食べ物をもっている者も同じようにせよ」(11節)。わたしたちはここに愛に促された正義の基準を見いだします。正義は、有り余るものをもつ人と、必要なものにもこと欠く人の間の格差をなくすよう求めます。愛は、他者に注意を向け、自分の利害を弁護する口実を捜すのでなく、他者の必要にこたえるよう促します。正義と愛は対立しません。むしろ二つはともに必要であり、互いに補い合います。「愛は、もっとも公正な社会においてであっても、つねに必要とされます」。なぜなら、「物資が欠乏して、具体的な隣人愛による援助が不可欠な状況もつねに存在し続け」(回勅『神は愛』28)るからです。
 次に、第二の答えは一部の「徴税人」に向けられます。「徴税人」とは、ローマ人に収める税金を集める人のことです。このため徴税人は軽蔑されていました。しかしそれは、彼らがしばしば自分の地位を利用して収奪を行っていたためでもあります。洗礼者ヨハネは、彼らに仕事を変えることを命じません。しかし、規定以上のものは取り立てるなといいます(13節参照)。預言者は、神の名をもって、特別なことを要求するのではなく、むしろ、何よりもまず自分の務めを誠実に果たすよう求めます。永遠のいのちに至る第一歩は、つねにおきてを守ることです。この場合には、第七戒の「盗んではならない」(出エジプト20・15参照)です。
 第三の答えは兵士に関するものです。兵士もある種の権力をもつ身分です。それゆえ彼らは、権力を乱用する誘惑にさらされます。ヨハネは兵士たちに向けていいます。「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」(14節)。ここでも、回心は誠実と他者の尊重から始まります。これはすべての人、とくに大きな責任を担う人に当てはまる教えです。
 この対話全体を考察してみて印象的なのは、ヨハネのことばがきわめて具体的なことです。神がわたしたちをそれぞれの行いに従って裁くとき、わたしたちは、まさにこの行動において、み心に従ったかどうかを示さなければなりません。だから、洗礼者ヨハネの教えは永遠に現代的な意味をもっています。現代の複雑な世界においても、すべての人がこれらの行動規則を守るなら、事態はもっとよくなるに違いありません。至聖なるマリアの執り成しを通じて主に祈りたいと思います。わたしたちを助けてください。悔い改めにふさわしい実を結ぶことによって、降誕祭に向けて準備することができますように。

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