
教皇レオ十四世、2026年9月23日、一般謁見演説
連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」
Ⅳ.『現代世界憲章』(Gaudium et spes 33-39)
4.世界における人間活動の意味(聖書朗読箇所:創2・8-9a、15)
講話の後、イタリア語で次の呼びかけを行った。
来週の日曜日の9月27日は「世界難民移住移動者の日」です。わたしは移住者と難民、とくに故郷を捨てることを余儀なくされた未成年者に思いを致します。子どもと青少年はきわめて脆弱な立場に置かれています。彼らはしばしばことばで言い表しがたい苦しみを受けます。暴力、拷問、搾取、トラウマを引き起こす状況です。また、移住の途中でいのちを失うこともまれではありません。わたしはすべての人に責任ある行動をとるよう呼びかけます。つねに保護と支援を与えられるべきこれらの若者の人生に対して、だれもが責任を感じてください。
兄弟姉妹の皆様。おはようございます。ようこそおいでくださいました。
第二バチカン公会議の『現代世界憲章』(Gaudium et spes)に関する考察を続けます。わたしたちは、「世界における人間活動」という魅力的な章題をもつ、第一部の第3章にたどり着きました。根本的な問いはこれです。世界における人間活動の価値はいかなるものか。それゆえ、技術と社会と科学の進歩の価値はいかなるものか。わたしたちは公会議の閉幕から4年もたたない1969年7月20日から21日にかけての夜、人類が初めて月に立ったのを思い起こすことができます。
神の像と似姿として造られた人間は、進歩の主体です。人間は、自由と知性によって自らの知識を増大させ、そこから社会全体を進歩させます。世代から世代へと生活条件が向上したことを考えるならば、このことは容易に理解できます。実際、『現代世界憲章』はこう述べます。「人間は、かつてとくに天上の力に期待した多くの恩沢を、今日すでに自分の働きによって獲得している」(『現代世界憲章』33)。
そのため、一部の思想家は、科学技術の進歩を、神との関係を弱め、それを不要とみなすものとして、あるいはキリスト教信仰と対立するものとして示しました。このような解釈は、これまでの時代に比して、現代人の世界観の変化を引き起こしました。こうした偏見は、とくにキリスト教の啓示とのつながりを失った西洋文化の一部に見られます。ポスト・キリスト教的ヒューマニズムにおいて、人間と神は誤ったしかたで競合する者として示されます。人間は、自らの知識と自由と進歩を肯定するために、神から解放されなければならないというのです。しかし、究極的に、神との関係を否定することによって、人間の人格の超越的な価値を肯定する可能性も失われます。これが、第二バチカン公会議の重要な神学者であるアンリ・ド・リュバック(1896-1991年)が適切にも「無神論的ヒューマニズムの悲劇」と述べたものです(1)。
公会議はこれに対して明解な答えを示そうと望みます。『現代世界憲章』はこう述べます。「個人および集合体としての人間活動、すなわち諸世紀にわたって人々が生活条件の向上のために払ってきた莫大な努力は、それ自体として見た場合、神の計画に沿っていることは信仰ある者にとって確実である」(同34)。それどころか、公会議が述べるとおり、「キリスト信者は、人間が才能と努力によって生み出す活動は神の権能に反抗するものであるとか、理性をもつ被造物は神の競争相手ででもあるかのように、決して考えてはならず、むしろ、人類の勝利は神の偉大さのしるしであり、神のはかりがたい計画の結実であると確信すべきである」(同)。本質的に、神は、まだ「向かう途上」(in statu viae)にあり成長しつつある被造物を人間の手にゆだねました。それは、人間がその賢明な活動を通して被造物を導き、完成させるためです(2)。
ここに受肉の神秘に関する重要な示唆があります。人類――そして労働と進歩と被造物の自律――は、神との出会いによって吸収されることも無効にされることもありません。むしろその全体が受け入れられ、キリストのうちに自由で活動的な存在であり続けます。実際、人類はキリストのうちに完全な真理と自由を見いだします。さらに感謝の祭儀において、パンとぶどう酒によって表される人間の労働の実りが、日々、祭壇上に置かれ、キリストのからだと血に変えられるのです。
このような観点から重要な真理が浮かび上がります。人間は、神と出会うために、地上の仕事を放棄すべきではありません。むしろ、日々の仕事を忠実に果たし、聖化することによって、自らの召命を完全に生きることができるのです(3)。キリスト者はすべての人と同じように、人間の国の建設に携わりながら、万物の目的と神との出会いを目指します。そして、進歩と科学と人生という冒険をともにする人々にこの究極目的を思い起こさせるのです。
当然のことながら、地上の進歩をキリストの国の成長とはっきり区別しなければなりません。にもかかわらず、公会議はこう述べます。「地上の進歩は〔……〕人間社会の向上に寄与できるかぎり、神の国にとって非常に重要である。〔……〕われわれの本性と努力が生み出した尊い実りであり、われわれはそれらすべてを主の霊において、また主のおきてに従って地上に広めた後、いつか、あらゆる汚れから清められ、光り輝き、変容したそれらの価値を再び見いだすであろう」(『現代世界憲章』39)。
最後に、技術と科学の進歩は、真の人間的進歩になるために――すなわち全人的な、すべての人の進歩となるために――、愛に促され、導かれなければなりません。こうして初めて技術と科学の進歩は、つねに人間の尊厳を守り、すべての人、とくにもっとも恵まれない人々の生活条件を向上させるものとなるのです。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。第二バチカン公会議は知識とスキルという糧を分かち合うようにわたしたちを招きます。それは、すべての人、すべての民が自らの可能性を発展させ、神の助けによってよりよい未来をともに築くことができるようになるためです。
