
2026年9月28日(月)のフランス司牧訪問の最終日の第4日、午前11時30分(日本時間同日午後6時)からメッスのロベール・シューマン会議センターにおける集会「ヨーロッパの平和と一致の起源」(Aux racines de […]
(エマニュエル・マクロン)大統領
枢機卿の皆様
行政当局と宗教機関の代表者の皆様
ご列席の皆様。
大陸の中心に位置するこの歴史的な都市で開催された「ヨーロッパの平和と一致の起源」という意義深いテーマの集会のためにここに来ることができたことをたいへんうれしく思います。たった今いただいた温かい歓迎のごあいさつに感謝します。
この集いのテーマが尊者ロベール・シューマン(1886-1963年)にちなんで付けられたものであることは間違いありません。今日、その名を冠したこのセンターで、とくに彼が長年暮らし、埋葬され、そこから選出されて何年も国会議員を務めたこのモーゼル地方において、シューマンに特別な敬意を表したいと思います。シューマンは19世紀と20世紀の苦難を経験したこの地域から、1950年5月9日のきわめて有名な宣言を通して、今日と明日のヨーロッパを形成するためのインスピレーションを得ました。この宣言は、シューマンの生涯を特徴づける、ヨーロッパ大陸の和解と一致のための取り組みの出発点また到達点でした。
今日わたしたちは、ヨーロッパの起源から始まり、現在を通って未来へと向かう思考上の旅を行いたいと思います。わたしたちはこう問うことができます。ロベール・シューマンは彼が生まれ育ったこの地域の歴史によってどのように形づくられたのでしょうか。そして、どのようにして「ヨーロッパの父」とみなされるに至るまで近代ヨーロッパの形成に根本的に貢献したのでしょうか。
ヨーロッパを定義することは、現在においても過去においてもつねに困難です。ヨーロッパは、ヘレニズム文明、ローマ帝国、そしてキリスト教の普及という歴史的時期の中で、徐々に自らを自覚していきました。その間、長い時間をかけて、ゲルマン文化やスラヴ文化をはじめとする新たな諸文化を統合し、広大な領域を包含するようになりました。
それゆえヨーロッパは、地理的現実である以前に、文化的・歴史的現実として理解されなければなりません。それは成長と、深刻な危機と、新たなルネサンスの時期をへて、数世紀をかけて新たな輪郭と定義をもつようになりました。長い激動の歴史の中で一貫して認められるのは、ヨーロッパが過去の積極的な側面から学び、学んだことを他者との出会いによって新たな創造的なかたちで表現することによって、繁栄し、発展してきたことです。実際、ヨーロッパ文明は、たとえそれが必ずしも容易なことではなかったとしても、数世紀にわたる出会いが生み出したものでもあります。イベリア半島におけるアラブ文化の存在、時に苦しみを伴いながらもアメリカ大陸に新たな統合を生み出した「旧世界」の「新世界」への拡大を考えてみるだけで十分です。
しかし、この長い歴史を理解するために、もう一人のヨーロッパの父である聖ベネディクト(480頃-547/60年頃)を見過ごすわけにはいきません。教皇聖パウロ六世(位1963-78年)は1964年にベネディクトをヨーロッパの守護聖人と宣言し、「平和の使者、一致の建設者、文明の教師」(1)と呼びました。貧しい人、病者、高齢者への支援。子どもの教育と大学。病院と医学。建築と技術。科学の発展。法律と都市と国家の組織化――ヨーロッパにおけるこれらの多くのことは聖ベネディクトとその修道士から大きな影響を受けました。この修道制の土壌がなければ、わたしたちが知っているヨーロッパ文明は存在していません。ここメッスでは、聖クロデガング(712/15頃-66年)をはじめとする人々の働きのおかげで、ベネディクト修道院の兄弟愛と交わりと分かち合いの精神が息づきました。グレゴリオ聖歌がカロリング朝の領域で広まり、大陸全体に調和と美をもたらしたのも、ここメッスからでした。
それゆえ、キリスト教に言及することなしにヨーロッパについて語ることはできません。ロベール・シューマンもそのことを自覚してこう述べています。「キリスト教は、人種、肌の色、階級、職業の区別なしに、同じ神の子であり、同じキリストによってあがなわれたすべての人の本質的な平等を教えた。労働の尊厳とすべての人が労働に従事する義務を認識させた。それのみが人間を高貴なものとする内的価値の優位性を認めた。愛と愛のわざの普遍的な法は、すべての人を隣人とした。以来、キリスト教世界における社会関係はこのことに基づいている」(2)。
現代ヨーロッパのもう一人の父であるアルチーデ・デ・ガスペリ(1881-1954年)もこれに共鳴して、「ヨーロッパの共通の遺産」(3)を強調します。すなわち、「人間の人格の本質とその責任性、福音的兄弟愛の精神、古代から受け継がれた法の尊重、何世紀にもわたって洗練されてきた美への崇敬、二千年の経験によって磨かれた真理と正義への意志をたたえる統一的な道徳」(4)です。
ヨーロッパ文化がキリスト教に自らを負っていることを認めることは、排他的な宗教的基準となるものではありません(5)。むしろそれは、超越への開きがつねに人間の人格の本質的な次元であり、文明の生きた源泉であることをいっそう理解することを可能にします。
このことに関連して、『欧州連合(EU)の機能に関する条約』第17条はきわめて重要です。それは加盟国において「教会が享受する地位を尊重し、損なわずに」行われる「教会との開かれた、透明で、定期的な対話」を奨励します。国家生活を規制する政教分離(ライシテ)は、市民機関の非宗教的性格を意味するだけでなく、当事者間の真の協力、国家および地域社会当局による教会の自律の尊重、教会の組織、表現、礼拝の自由の促進を前提します。
これは、市民の共存の基盤をなす価値の源泉、すなわち「人間の不可侵で譲渡不能な権利、自由、民主主義、平等、法の支配という普遍的価値」(『欧州連合条約』全文)に立ち帰ることにほかなりません。
今日の多文化状況においても、ヨーロッパの存続のために不可欠な、こうした価値の普遍性を認めることは、ヨーロッパの起源を再発見することと、他者との対話への開きを必要とします。
このことは、人間の人格の中心的な位置を再発見し、自由、民主主義、平和、一致ということばに真の実質を与えるために、社会的にも政治的にも必要です。そのため、「覇権主義から自由な建設的な調和という課題」(6)に取り組むために、ヨーロッパの複雑な現実をその豊かな伝統と感覚において受け止めるようにという、教皇フランシスコ(位2013-25年)の呼びかけは貴重なものです。
源泉回帰と対話という、この二つの運動は、諸権利間と、権利と義務の間の適切なバランスを再発見することも可能にします。なぜなら、教皇フランシスコがつねに思い起こさせたとおり、「本質的で補完的な義務の概念は、権利の概念ともはや結びつけられていないように思われる」からです。「その結果、わたしたちはすべての人間が、権利と義務が他者の権利と義務と、また社会自体の共通善と結ばれた社会状況と結びついていることを考慮せずに、個人の権利を認めることになります」(7)。
実際、現代ヨーロッパは、その長い出会いの歴史の新たな段階に直面しています。貧困や苦しみのないよりよい生活を求めて戦争や迫害の脅威から逃れた多くの人がヨーロッパ大陸に到着しているからです。
最近、スペインのカナリア諸島を訪問した際に述べたとおり、「人間の尊厳は、合法的かつ確実な通路、救済と支援、人身取引を行う者に抗うための真の協力、被害者の効果的な保護、真剣な受け入れと統合のプロセス、すべての人が出身地で尊厳のある生活を送ることを可能にする政策を要求します」(「移住者受け入れ施設との会見(2026年7月12日)」)。
しかし、これだけでは不十分です。人を受け入れるとは、その人を自分の家族の一員とし、その才能と能力と感覚を伸ばすだけでなく、家庭生活に入る可能性を与えることも意味します。わたしたちは、今起きていることの歴史的な意味を理解しなければなりません。すなわち、人々と文化のこれまでにない出会いが、わたしたちの起源を創造的に再発見することとともに、他者の声に注意深く耳を傾けることを求めているのです。ヨーロッパの礎をなす価値の普遍性は、この対話が可能であること、そして、それがわたしたちの社会に堅固な基盤を与え、平和と世界の和解のためにいっそう効果的に働くことを可能にすることを保証します。
シューマンのような人々に、文化的アイデンティティの対立を克服し、第二次世界大戦という途方もない悲劇の後のヨーロッパの諸制度を刷新することを促したのは、まさにこの明晰な見通しでした。第二次世界大戦は、権力の行使に対していかなる障害もないと考えた人間がどれほどの悪をなすことができるかを明らかにしたからです。
国境がたえず変化するのを知っていたロベール・シューマンは、ヨーロッパが自らを分断する壁を取り壊す必要性を自覚するための基盤を据えることに貢献しました。キリスト教的教育を受けたシューマンは、人種や社会階級の区別のない平等の価値を身に着け、労働の尊厳を学びました。さまざまな国家主権が交代したことは、彼に国際法と約束を守ることの価値を教えました。傲慢と復讐心が勝ち誇る環境で成長したシューマンは、長年の対立の後に互いに助け合う必要性を認識した人々の間の平和と兄弟愛の促進に努めました。
それでは、ロベール・シューマンが現代のヨーロッパと世界に与える教訓は何でしょうか。第一に、平和への深い望みです。残念ながら、今、ヨーロッパでは再び戦争が行われています。それは、日々、数えきれないほどの民間人の犠牲者を生み出す「無益な虐殺」(8)です。1950年と同じように、今日においても、『シューマン宣言』のことばは現代的意味をもち続けています。「組織され、生きているヨーロッパが文明にもたらす貢献は、平和的関係の維持のために不可欠である」(9)。わたしたちは、忍耐強い対話を行い、交渉において勇気を示し、平和というより大きな善のために特定の立場を犠牲にする覚悟をもたなければなりません。
当然のことながら、ヨーロッパにおける平和の追求は、世界全体と同様に、無邪気な平和主義と混同されてはなりません。反対に、シューマンのことばはこれまでに増して重要な意味をもっています。「世界平和は、それを脅かす危険と同じだけの創造的な努力なしにそれを守ることができない」(10)。けれどもわたしたちは再軍備の幻想に警戒しなければなりません。「他国からの危険を口実にして、軍事費の増大が繰り返し要求され、この要求に従う決定が多くの国でなされているのは、偶然ではありません」(教皇レオ十四世「第59回『世界平和の日』メッセージ(2026年1月1日)」)。平和の推進は積極的な活動です。今日、わたしたちは、世界平和を推進するために「創造的な努力」を真にしているか、それとも、単に「戦争の損失を食い止め」、これから起こると想定される戦争に備えようとしているだけなのかを自問しなければなりません。
シューマンによれば、ヨーロッパは、武力による対立よりも対話することを好む大陸です。そこでは資源を共有し、「いかなる戦争も〔……〕考えられないだけでなく、物質的に不可能になる」(11)のです。
シューマンによれば、ヨーロッパは〈国際法〉の尊重を基盤とします。国際法は、国内法と異なり、国家が武力によって強制できませんが、「合意は守られなければならない」(pacta sunt servanda)という普遍的に認められた原則を基盤とします。この原則は、今も有効な、聖座とフランスの間の1801年の政教条約に基づいて国家とカトリック教会の関係を規定するこの地域の局地法によって注意深く守られています。
国際法と〈多国間主義〉は、国家間の相互関係における実質的な平等を強調し、あらゆる紛争の根源にある支配欲への最良の解毒薬となります。今日、個人間、国家間の関係はますます野蛮なものとなっています。ことばの価値は軽んじられ、虚偽や欺瞞が誇らしげに語られます。ヨーロッパは、これまで培い守ってきた他者への尊重のおかげで、この悪循環を断ち切ることができます。ヨーロッパは過去80年間、対立ではなく出会いによって、異なる意見、要求、利益を主張することが可能であることを広く証明してきたからです。
シューマンは、つねに〈現実的〉かつ〈勇敢〉でなければならないことをわたしたちに思い起こさせます。彼はこう述べます。「ヨーロッパは一度に出来上がるものでも、単一の建設計画で出来上がるものでもない。それは事実上の連帯を生み出す具体的な成果によって築かれるのである」(12)。わたしたちは前進する力への信頼を決して失ってはなりません。たとえ踏み出した歩みが小さく、ほとんど目に留まらないほどのものであったとしても。「すべてのものを直ちに手にしたい」という現代の欲求は、ヨーロッパの歴史と文化と一致するものではありません。むしろ反対に、その歴史と文化は時間と忍耐の価値を教えます。だれも自分が見捨てられているのでも、忘れられているのでもないと感じることができるための、効果的な連帯にいのちを与えるのは、小さな一歩です。
この考察を皆様にお示しするにあたって、わたしが何よりも考えているのは若者です。若者は今日と明日のヨーロッパを築くよう求められているからです。すでにシューマンもこう述べています。「この和解し、一致し、強められたヨーロッパという理念が、これからは、憎しみと恐怖からついに解放され、あまりにも長きにわたる分裂の後に、キリスト教的兄弟愛を学びつつある人類に奉仕することを望む若い世代のためのスローガンとなるように」(13)。
若者の皆様に申し上げます。心の中、人間関係の中で、家庭、学校と大学、町と国とヨーロッパ全体で、平和を築く使命を責任をもって果たす勇気をもってください。
暴力と抑圧の論理に屈してはなりません。
あらゆるときに人生を愛してください。そして未来を恐れないでください。
家庭を築き、子どもたちを世に生み出し、母胎に宿ったときから最後の息を引き取るまで、すべての人の尊厳を守ることを恐れないでください。
政治参加を含めて、地域社会の善のためにたゆみなく働くことを恐れないでください。
地域社会を築く者となってください。
そうすれば、ヨーロッパは皆様とともに確固とした根をもち、栄え、全世界を刷新し続けることでしょう。
神がこのような決意を抱く皆様を支えてくださいますように。そして、ヨーロッパ全体を祝福し、守ってくださいますように。
