教皇レオ十四世、2026年11月1日、「お告げの祈り」でのことば

2026年11月1日(日)、諸聖人の祭日の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。 「お告げの祈り」の後、イタリア語で次のように述べた。  親愛なる兄弟姉妹の皆様。  昨日 […]

2026年11月1日(日)、諸聖人の祭日の正午に、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」を唱える前に述べたことば(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、イタリア語で次のように述べた。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 昨日アメリカ合衆国ジョージア州サバンナで、1597年に信仰への憎悪のために殺害されたフランシスコ会修道士のペドロ・ダ・コルパ(1560年頃-97年)と同志4名が列福されました。スペイン出身の彼らは、アメリカの民に福音を宣教するようにとの主の招きに、自分のいのちをささげるに至るまで寛大にこたえました。すべての福音の宣教者のためにこれらの殉教者の執り成しを願います。

 最近の数日間にオレシュキ市で市民に対する人道支援活動が行われました。この当然行われるべき人道的活動を可能にした関係者間の協力が、対話への意志を高め、平和のための新たな具体的な取り組みをもたらすことを希望します。戦争のために苦しむ世界中の人々を、平和の元后でありすべての聖人の元后であるマリアにゆだねます。

 15歳から18歳までのアスリートのためのユースオリンピック競技大会が昨日(10月31日)から11月13日(金)までセネガルの首都ダカールで開催されています。これはアフリカ大陸で初めて開催されるオリンピック競技大会です。この競技大会には、競技だけでなく、オリンピックの価値観と全世界の若者の相互理解を深めるための教育的・文化的イベントも含まれます。これはスポーツ界から発する新たな希望のしるしです。すべての参加者に心からあいさつと祝福を送ります。

 11月8日(日)から15日(日)まで、フランシスコ会が主催する「貧しい人々との宣教」がローマで行われます。この活動によって、主イエスとアッシジの聖フランシスコがしたのと同じように貧しい人々を中心に据える聖フランシスコの子らにお祝いを申し上げます。また、全面的に協力くださる市民団体や法執行機関にも感謝します。

最後に教皇は翌日2日に死者の日を迎えるにあたって次のようにイタリア語で述べた。

 明日の死者の日の午後、ヴェラーノ墓地でミサをささげます。この数日間、この世の旅路でわたしたちに先立った兄弟姉妹の大きな家族とともに諸聖人の交わりに結ばれていることを感じながら、亡くなった人々、とくにだれも思い起こすことのない人々のために祈りましょう。

 
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。

 今日わたしたちが祝う諸聖人の祭日は、主イエスに従って神と隣人に自分のいのちをささげ、聖化のさまざまな道の中で、教皇ベネディクト十六世の美しい表現を用いるなら「無限の愛の海」(教皇ベネディクト十六世回勅『希望による救い(2007年11月30日)』12[Spe salvi]))を望んだ数え切れない男女の家族の喜びを味わうようにわたしたちを招きます。

 今日のことばの典礼はこの人々を「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆」(黙7・9)として描きます。実際、今日わたしたちは〈すべての〉聖人を記念します。教会が聖人と認めた人も、教会が聖人と認めていなくても神が聖人と認めた多くの人々を含めて。今日の福音が思い起こさせてくれるとおり(マタ5・1-12参照)、彼らは心の貧しい、しかし神の愛の豊かな人々です。彼らはその顔を涙で濡らしていますが、祈りによって慰められます。暴力に対して柔和ですが、御父によって報いを受けます。正義に飢え渇いていますが、良心の奥底は満たされます。進んでゆるし、あわれみに包まれます。心を武装解除しますが、神によって守られます。彼らは平和を実現する人々であり、神からその名を呼ばれます。迫害され、ののしられますが、信仰と愛で強められます。

 これらの兄弟姉妹の群れの数を「数える」ことは文字どおり不可能です。数を数えるのが不可能なだけではありません。実際、聖性は決して計算できないものです。なぜなら、〈諸聖人〉が世界の中で回りに広めた善は計算できないものだからです。わたしたちはこれらの人々を畏敬の念をもって仰ぎ見ながら自問します。これらの人々は神の恵みによって何を生み出したのだろうかと。それは本質的に、貪欲な計算や、時として勝ち誇っているかのように思われる悪の横暴な力を超える、愛の行為と選択です。聖人は、神の国のもっとも美しく力強いしるしです。神の国は来ています。それどころか、イエスが教えるとおり、すでにわたしたちの間にあります(ルカ17・20-21参照)。さらに、この聖なる人々の群れは、きわめてさまざまな出自、文化、生活状態の人を含みます。聖性は少数の人のための特権ではなく、わたしたちがどこにいても一人ひとりに呼びかける、普遍的召命です。神はわたしたちが見ていない善をご覧になり、わたしたちが知らない物語を知っておられ、わたしたちが近づくことがなかった心に手を差し伸べてくださいます。これが、今日の祭日の希望に満ちたメッセージです。

 主のことばを信じたがゆえに祝福されたおとめマリアが、聖性の道を歩むわたしたちに同伴してくださいますように。こうしてわたしたちが、重要な状況においても日々の生活の中でも、うむことなく平和を実現することができますように。

PAGE TOP