
2026年第41回「世界青年の日」教皇メッセージ 2026年11月22日 「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」 (ヨハネ16・33) 親愛なる若者の皆様。 このメッセージで皆様に近づきたいと思います。そ […]
2026年第41回「世界青年の日」教皇メッセージ
2026年11月22日
「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」
(ヨハネ16・33)
親愛なる若者の皆様。
このメッセージで皆様に近づきたいと思います。そして何よりもまず皆様が教会と社会にとってのたまものであることを神に感謝したいと思います。神は皆様のことを知っていて、愛し、人生の歩みに同伴してくださいます。皆様が互いに異なり、世界中に散らばっていても、聖霊は、偉大で永続するものへの望みを呼び起こし、自由と真理を追求するように駆り立てます。愛し、愛されたいという皆様の望みも、聖霊が皆様の心に抱かせる希望も、神から与えられます。この希望は他の人々を照らす光にもなりえます。これらすべてのことを主に感謝します。
わたしたちは11月22日の王であるキリストの祭日に第41回「世界青年の日」を地域教会で祝う準備をしています。また、2027年8月にソウルで行われるワールドユースデーを今から心待ちにしています。これらの行事を準備するために、イエスのことばを皆様に託したいと思います。「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16・33)。これからの数か月間、わたしたちを導くテーマとなるこのことばについて、今からご一緒に黙想いたしましょう。
勇気はどこから生まれるのか
キリストのことばは勇気への呼びかけで始まります。時としてわたしたちは、最初の弟子たちと同じように、勇気よりも不安や恐れに支配されることがあるのを、わたしもよく知っています。皆様の多くは心にのしかかる疑問や心配を抱えています。もしかすると、未来への恐れや、成功して完璧な者として見られたいというプレッシャーや、他の人や、手の届かない人工的なモデルとたえず自分を比べるストレスを感じているかもしれません。〈ソーシャルメディア〉が作り出すイメージの影響で、自分のアイデンティティを認識し、受け入れるのが難しい人もいるかもしれません。皆様は真の愛情の必要性を感じています。なぜなら、テクノロジーは共感をまねることはできても、真の人間的な近しさに取って代わることができないからです。皆様の中には、孤独、幻滅、あるいは十分なレベルに達することができない恐れを感じている人もいることでしょう。
そのため、もしかすると皆様もイエスの弟子たちと同じように、夜の湖を進む小舟に乗っているように感じるかもしれません。風は強まり、波は高まり、岸は暗闇の中で見えなくなっています。まさにこのような状況で、福音の中で勇気を求める呼びかけが響き渡ります。イエスは弟子たちのもとに来て、こういわれます。「わたしだ。恐れることはない」(ヨハネ6・20参照)。皆様がキリストを求め始める前から、キリストは人生の荒波の上を歩いて、皆様を捜しに来てくださっている――わたしが皆様の心に託したいのは、この確信です。キリスト者の勇気は、まず自分の力から生まれるのではありません。それはキリストがともにいてくださることから生まれます。
当然のことながら、キリストは嵐のない人生を生きたのでもなければ、そのような人生をわたしたちに約束するわけでもありません。しかし、どんな暗闇も苦しみも、キリストの愛より強くはありません。キリストは決して皆様を見捨てません。皆様がご自分の友となり、皆様と皆様の共同体の歩みをご自身にゆだねるように招かれます。ですから、皆様を捜しているイエス・キリストに出会っていただきましょう。個人として、グループとしての道を、イエス・キリストにゆだねましょう。そうすれば、消えることのない新たな勇気が心の中で成長するのを感じることでしょう。
世への勝利
水の上を歩いて弟子たちのところに来た主イエスは、今わたしたちにこういわれます。「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16・33)。このことばを、皆様と、ともに歩む兄弟姉妹とに個人的に向けられた約束として受け入れてください。これは勧めである以前に、たまものです。キリストは「あなたがたは世に勝つだろう」とはいわれません。「わたしはすでに世に勝っている」といわれるのです。この福音の箇所で「世」とは、神に造られ愛され、救われるように定められた世界ではなく、「暗闇の世界」(エフェソ6・12参照)を意味します。すなわち、すべての人の心の中にもある、神に逆らい、対抗する不思議な現実のことです。イエスが、イエスだけが、その死と復活によって、この暗闇の現実に打ち勝ち、人類に神と幸福と正義と平和への道を再び開いてくださいました。
こうして、イエスが皆様に呼びかける勇気のもう一つの側面を理解できます。この勇気は皆様の意図や強い性格から生まれるものではありません。それは皆様に先立つかたへの信頼から生まれます。イエス・キリストへの信仰から生まれるのです。キリストが世を愛することによって世に勝ったことを考えてみるなら、キリスト者の勇気は、何かやだれかに「反対する」勇気ではなく、何か「のための」勇気であることが理解できます。いのち、真理、自由、正義のための勇気なのです。
わたしたちは、キリストが与えてくださった勇気によって、神が愛された世を(ヨハネ3・16参照)新たな目で見ることができます。わたしたちも、どれだけ小さな者であっても、「闇の世界」から「救いの世界」へと移るために果たす務めをゆだねられています。キリストはこの世界から逃避するように招いているのではありません。キリストのまなざしで世を見つめ、すべてのものをいやすキリストの愛で世に触れるように招くのです。この現実に触れて感動してください。イエスは遠くから世を愛したのではありません。イエスは完全にわたしたちの現実の中に歩み入り、十字架に至るまで身を低くされました(フィリピ2・7-8参照)。イエスは喜びや友情だけでなく、労苦や拒絶や孤独や苦しみも知っておられました。しかし、決して心を閉ざすことはなさいませんでした。
皆様が生きている世も、よいものとして造られながら傷ついています。この世は、可能性にあふれていながら、不正と緊張と恐れによって特徴づけられています。多くの人が平和を望みながら、暴力を受けています。多くの人が交わりを求めながら、孤独を感じています。キリスト者は、このような矛盾の中で、キリストの柔和な勇気に従うように招かれています。この勇気は、厳しさを示すほうが容易で効果的だと思われるときにも、愛を示します。対立するほうが有利に思われるときにも、平和を求めます。冷笑主義(シニシズム)が説得力のあるように思われるときにも、希望を保ち続けます。
自分を与える愛の勝利
「勝利」と聞くと、それは他の人よりも強いこと、自己主張すること、自分の価値をたえず示すことだと考える人がいるかもしれません。しかし、これは現代の物の考え方が示す勝利です。神のいない世界の勝利です。イエスに目を向けるなら、別の種類の勝利を見いだすことになります。聖パウロはいいます。キリストは神の身分でありながら、自分を無にして、しもべの身分になられました(フィリピ2・6-7参照)。神の子は自分を低くされました。その愛は無償のものだったからです。ご自分について、何か証明したり保証したりする必要はなかったからです。自分を低くすることによってご自分の尊厳を失うことなく、むしろ、死者にいのちを与えることができる神のみ心の高さ、深さを現されたからです。その勝利は、何の見返りも求めずにご自身を与える愛の勝利なのです。
親愛なる若者の皆様。真の勝利は、自分を押しつけることではなく、自分を与えることです。皆様も、イエス・キリストが開いてくださった道を歩むことによって、自分を押しつけたり、自分の価値を証明しようとしたり、自分が完全であるように見せたり、自分の弱さや疑念や限界を隠したりする必要がなくなります。神と他の人々の前で真実な者でいる勇気をもちましょう。皆様の尊厳は自分で作り上げられるイメージから生まれるものではありません。皆様が尊いのは、皆様が神の像として造られ、神に知られ、愛されているからです。わたしたちは、自分の心が神のために、神を愛するために、また神において兄弟姉妹を愛するために造られたものであることを見いだすとき、自分が真に何者であるかを見いだします。実際、わたしたちの中には、自分を与え、他の人の幸福と善のために自分をささげたいという望みがあります。これがキリストが与えてくださる自由です。自分のことだけを気にせず、愛の寛大な創造性に心を開く自由です。
謙遜な勇気
キリストがわたしたちへの愛のために自分を低くされたことは、十字架の上で終わるのではありません。御父は御子を復活させ、すべての被造物の上に上げられました(フィリピ2・9-11参照)。復活は自分を高める行為ではなく、御父と聖霊のたまものであるということ、それを心に留めてください。わたしたちはここに勇気のもう一つの側面を見いだします。受け入れる勇気です。それを謙遜な勇気と呼ぶこともできるでしょう。イエスの友となることは、この点においてもますますイエスに似た者となることを意味します。
ある種の物の考え方はわたしたちにいいます。すべてを一人でなし遂げよ、たえず自分を改善し、より力強い人格と性格を築くべく努力せよと。しかし、結局のところこの考え方は、自分で自分を救わなければならないと信じ込ませかねません。福音は成長への別の道を示してくれます。わたしたちは自分で自分を救うのではなく、イエス・キリストによって救われるのです。そのためには、ほかの人の助けを受け入れ、自分の限界を認め、立ち止まり、耳を傾け、自分の人生を神にゆだねる勇気が必要です。
親愛なる若者の皆様。皆様はキリストに心を開くことによって自分を失うことはありません。反対に、神の目にとって自分がいかなる者であるかをより深く見いだし、神の目で自分を認識するのです。ですから、心の奥底に目を向けてください。それで自分を見失うことはありません。なぜなら、神はそこで皆様を待っていてくださるからです。神に救っていただきましょう。神の愛(すなわち聖霊)に皆様の人生を形づくっていただきましょう。皆様のうちに、皆様の決断の中に、イエスに宿っていただきましょう。そうすれば、日々の状況の中でもすべてが新たになります。友人への忠実さ、自分と違う考えをもつ人への尊重、孤独な人への思いやり、もっとも弱い人への寄り添い、そしてデジタル世界での振る舞い方に至るまでです。すべてが愛によって造り変えられます。多くの人にとって愛は弱さの現れですが、キリストは愛が自由と力の源泉であることを示してくださいます。
復活したキリストはご自身の平和をもって皆様のもとに来られる
復活の晩、過越の光がすでに世を照らし始めたとき、弟子たちはまだ恐れに満たされながら、二階の広間にいて扉を閉ざしていました。信仰は直ちに闇を消し去るわけではありませんが、わたしたちを闇の中で独りきりにすることもありません。勝利の主であるイエスは、弟子たちが恐れに打ち勝つことも、扉を開けることも期待されません。イエスは彼らのただ中に入って来られます。そしてその最初のことばは「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19)でした。弟子たちはイエスを見捨てました。一人はイエスを裏切り、別の一人はイエスを否(いな)みました。その弟子たちにイエスはご自身の平和を与えるのです。
もしかすると皆様の心にも、皆様が属する共同体の中にも、失望と傷と恨みと罪意識のゆえに閉ざされたままの扉があるかもしれません。キリストは来て、ご自身の平和を与え、互いを和解させてくださいます。キリスト者の勇気は、わたしたちをゆるし、遣わされる復活した主がともにいてくださることから生まれます。主の平和のたまものは、世が与えることのできない勇気でわたしたちを満たします。それは、どのような傷があっても、最後に恐れが勝利を収めることのない勇気です。
キリストに心を開いてください
わたしたちがソウルに集まるとき、皆様は普遍教会のすばらしさと、韓国の教会の寛大な歓迎を特別なしかたで経験されることでしょう。国籍と言語と文化を異にする若者が、キリストにおいて一つに結ばれてともに集まるのです。ワールドユースデーの間に行われる感謝の祭儀、十字架の道行、カテケージス、典礼、多くの出会いの中で、皆様は福音があらゆる国境を越え、すべての民に語りかけることをあらためて体験されることでしょう。ワールドユースデーを、イエス・キリストとの真の出会いとなる、人生をキリストにゆだねる時としてください。ワールドユースデーはまさにそのために生まれたのです。わたしたちの巡礼はすでに始まっています。ソウルへの旅に必要な荷物の準備だけでなく、心の準備もしてください。
皆様の問いと傷、皆様の社会を引き裂き、国と国を対立させる傷をキリストのもとに持って来てください。うめき、苦しむ被造物を、教皇フランシスコが耳を傾けるように教えてくださった大地と貧しい人々の叫びを、キリストのもとに持ち寄ってください。皆様の喜びと希望をイエスと分かち合ってください。このことに照らされながら、教皇聖ヨハネ・パウロ二世が就任ミサで述べたことばを自分のものとしたいと思います。「恐れてはなりません。キリストに大きく門を開いてください」。キリストに心を開くために、完全になるのを待つ必要はありません。キリストはありのままの姿の皆様のところに来てくださいます。自分の人生をキリストへと開いてください。自分の共同体をキリストへと開いてください。皆様が出会う人々の心へと続く道を開いてください。閉じた扉を通って入って来られる復活した主は、今日もわたしたちの間に来られます。ですから、キリストが招いてくださる人生よりも小さな人生で満足してはなりません。キリストの愛に結ばれ、造り変えていただきましょう。
親愛なる若者の皆様。ソウルでお目にかかるのを心から楽しみにしています。しかし、忘れないでください。わたしたちがソウルで出会う主は、すでにわたしたちのもとに来ておられます。「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16・33)。この主の約束を受け入れてください。そして主にすべての歩みをともに歩んでいただきましょう。
皆様の一人ひとりを教会の母である聖なるおとめマリアの母としての執り成しにゆだねます。マリアが、ご自身がそうなさったのと同じように、キリストに心を開き、キリストのことばに信頼し、キリストの平和を喜びをもって受け入れ、すべての人と分かち合うことを教えてくださいますように。
