
教皇レオ十四世、2026年10月7日、一般謁見演説
連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」
Ⅳ.『現代世界憲章』(Gaudium et spes)
5.現代世界における教会の任務(『現代世界憲章』40-45)(聖書朗読箇所:マタ5・13-16)
兄弟姉妹の皆様。おはようございます。ようこそおいでくださいました。
第二バチカン公会議の『現代世界憲章』(Gaudium et spes)の考察を再開します。今日は現代世界における教会の任務を扱う第一部第4章について考えます。公会議は何よりもまず、教会が世界の「上」や「そば」にあるのではなく、むしろ世界に接ぎ木されていることを思い起こさせます。聖アウグスティヌスがいうとおり、「教会は和解した世(Mundus reconciliatus Ecclesia)」(『説教』[Sermo 96])です。教会はすでに神と和解した世です。教会は地上を旅する巡礼者であり、脆弱性と美しさとをこの世と共有します(『現代世界憲章』41参照)。
神の子は、世にいのちを与え、世を御父と和解させるために受肉しました。それと同じように教会も、わたしたちを一つの偉大な人類家族のうちにご自身の子とするという神の計画を現すために、神の受肉のしるしとして世に住まいます。それゆえ教会は歴史において諸民族と諸文化のただ中を歩みます。そして「教会は、この人々の生活とのかかわりから、自らの使命が歴史における意味をもち、社会関係を築き上げるべき方法に対する責任を伴うことをますます理解します」(教皇レオ十四世回勅『人間の偉大さ――AIの時代における人格の擁護(2026年5月15日)』19[Magnifica humanitas])。
教会の第一の任務は、人々が人生に関する深い問いに注意を向けるように助けることです。すなわち、自らの起源と目的とは何か、愛と苦しみの意味は何かという問いです(『現代世界憲章』41参照)。あらゆる犠牲を払って利益を追求する論理や情報の操作は、物質的な財の消費を中心とした生活様式に人々を従わせる不当な圧力を行使するおそれがあります。しかし、わたしたちの心は高いところを見上げるために造られています。
公会議教父は、教会の任務が地上の国の建設に貢献することによっても実現されることを思い起こさせます。とはいえ、その方法と目的は第一義的には政治的秩序におけるものではありません。むしろそれは、信仰と愛のあかしと、正義を実現するための努力のうちにあります。信じる者は、正しくない者のために死んだ正しいかたであるキリストを礼拝しながら、小さくされた人や貧しい人の抑圧や、依存と不正義の状態を永続させる不正な構造を容認することができません。教会の社会教説は、共通善を促進するすべての善意の人と協力するようにキリスト者の活動を導きます。それゆえ、「何にも増して教会が望んでいることは、個人と家族の基本的権利と共通善の要請を認めるあらゆる政治形態のもとで、すべての人の福祉のために奉仕し、自らを自由に発展させることができることである」(『現代世界憲章』42)。
福音宣教を効果的に行うために必要なのは、洗礼を受けたすべての人が聖霊の恵みに協力しながら、信仰を生き生きとしたものとし、それを首尾一貫したしかたで表現することです。実際、公会議教父が述べるとおり、告白する信仰と日常生活との乖離は「現代のきわめて重大な誤りの一つに数えられるべきである」(『現代世界憲章』43)。
『現代世界憲章』は信徒の宣教に特別に言及します(同参照)。信徒は洗礼の力によりキリスト教的精神と福音のビジョンによって世を生かすように招かれます。適切にも祭司的と呼ばれるべきこの活動の主要な場が家庭と職場であることは間違いありませんが、それは生活のあらゆる領域に及びます。
最後に、教会は社会の中で起こり、発展することにつねに注意を向けます(『現代世界憲章』44参照)。神の民全体、とくに司牧者と神学者の務めは、神のことばと教会の聖伝をつねに最高の識別基準としながら、現代文化の中で何が考慮に値するかを見極めることです。そのためには、世界を積極的なしかたで捉えながら、同時に福音のメッセージの全体を堅固に守り、示すことができる、文化的流行にとらわれないバランスのとれた精神が求められます。実際、「当然のことながら、キリスト教を魅力的なものにできるのは、内容を薄めたり要求を和らげたりすることではありません」(教皇レオ十四世「教皇庁福音宣教省世界宣教部門総会参加者へのあいさつ(2026年5月28日)」)。
愛する友人の皆様。歴史の中を歩む教会は、「一つのこと、すなわち神の国が到来し、全人類の救いが達成されることを目指している」(『現代世界憲章』45)。教会は何よりもまず個人の聖性と兄弟愛を通してこの目的を目指します。「この聖性のしるしなしには、わたしたちのことばが現代人の心に触れることは難しく、ことばは無益で不毛な結果に終わるおそれがあります」(教皇パウロ六世使徒的勧告『福音宣教(1975年12月8日)』76[Evangelii nuntiandi])。それゆえ、聖霊の働きに従順に聞き従おうではありませんか。聖霊が聖性と愛のうちに生きることができるようにわたしたちを助け、こうして世が信じまた希望することができるようになりますように。
