
2026年10月8日(木)午後6時(日本時間9日午前1時)からサンピエトロ大聖堂でささげた教皇庁立大学新学期開始ミサ説教(原文イタリア語)。 親愛なる兄弟姉妹の皆様。 今日わたしたちは感謝の祭儀をささげながら、教 […]
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
今日わたしたちは感謝の祭儀をささげながら、教皇庁立大学の新学期の開始が単なる学習・研究活動の再開以上のものとなるために聖霊のたまものを願い求めます。わたしたちは、平和と一致をもたらす復活した主の創造的な息吹に知能と人間関係を開きたいと望みます。それは、一人ひとりが自分の任務を担い、わたしたちを招かれた神と、わたしたちに期待を抱く人類にこたえるためです。それゆえ、この新たな開始が真の教会的な出来事となりますように。わたしたちは主の食卓の周りに集まることによって、共通の使命を深めます。ですから、だれも自分だけのためにではなく、むしろ他者とともに、他者のために、とくに主とともに、主のために、教え、学び、研究するのです。実際、ガラテヤの信徒への手紙で述べられていたとおり、知解は信仰と宣教にとって決定的に重要です。
使徒パウロは、ガラテヤの共同体から届いた知らせに心を痛め、手紙を宛てた人々に反省を促すことばを書き送ります。口調は激しい怒りに満ちていますが、一見すると叱責に見えることばは、実際には知解と想起と批判的感覚への呼びかけです。どの時代も、少なからぬ信者の宗教感情を自分の利益のために利用し、しばしば受けた教えの一部の側面を過激化するように仕向け、こうしてキリストとその福音全体を損なう偽教師に事欠きません。
愛する友人の皆様。勉学を信仰と真理への奉仕とみなしてください。それは皆様とすべての兄弟姉妹の善のためのものです。主はこの兄弟姉妹のためにご自分のいのちをささげられたのです。実際、主との出会いは喜びと熱意を生み出しますが、それは決して「魅了され」たり「惑わされ」たりすることではありません(ガラ3・1参照)。神のことばと教会の聖伝の光に照らされながら自問し、問いかける理性は、イエス・キリストに従う信仰の歩みの不可欠な部分です。そのため教会は、啓示の宝を完全に守り、そこから、さまざまな状況の中で祈りを伴う知解、科学的考察、文化的仲介、実践的適用を発展させることを望み、またそのための責任を負います。これらのことはすべて、今日皆様を招き、支え、共同の探求を行わせる、唯一の愛の表現です。それは一つの使命です。わたしたちの召命はさまざまですが、使命は一つなのです。
さらにわたしたちは使徒のことばの中にもう一つの示唆を見いだします。実際、使徒パウロはガラテヤの信徒たちに自分たちがどこから始めたかを思い起こすように招きます。パウロは述べます。「“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか」(ガラ3・3-4)。それゆえ、知能は想起しなければなりません。今やアルゴリズムがわたしたちよりも早く行うようにデータを集めることによってだけではなく、むしろ、人間の霊魂だけが感じることができる共感をもって、生きた経験を思い起こし、これらの経験の善と深く触れることによって。すべての善は「聖霊のしるしのうちに」始まります。それゆえそれは、ひとたび体験されるなら心に刻まれる息吹と、ダイナミズムと、交わりの感覚を帯びています。ルーティーン、野心、競争、その他の否定的な要素は、時とともに注意とエネルギーを分散させ、枯渇と疲労、争いと悲しみをもたらします。わたしたちは心へと立ち帰らなければなりません。すべては心で始まります。そしてこの始まりはわたしたちとともにとどまります。愛する友人の皆様、心を守ってください。学生も研究者も教師も、心を守ってください。それは、すべての世代と責任を「霊のしるしのうちに」生きるためです。
愛する友人の皆様。大学の中で友愛をはぐくんでください。友愛は貴重な財産です。それはキリストにおける真理の共同の探求の中ではぐくまれるとき、いっそう貴重なものとなります。神の民に根ざし、その〈信仰の感覚〉(sensus fidei)を尊重し、その問いを受け入れてください。貧しい人々を忘れてはなりません。貧しい人は、時として真夜中に来てしつこく戸をたたく友である場合もあります(ルカ11・5-13参照)。受肉の論理に従って、人生を勉学に、勉学を人生にもたらしてください。受肉の外では啓示は沈黙します。まことに、わたしたちが、神の子が無限の愛をもってとられ、そこに宿られた現実全体から離れれば離れるほど、語るべきこと、理解すべき機会は減っていきます。兄弟姉妹の皆様。今日、戻って来て戸をたたかれる神の望みに耳を傾けようではありませんか。そしてそれを科学研究にもたらそうではありませんか。わたしたちを養ってくれるものを分かち合おうではありませんか。わたしたちに与えられているような教育機会をもたない人がたくさんいます。扉を閉ざすのではなく、開こうではありませんか。
最初の回勅の中で示したとおり、今日わたしたちはネヘミヤの時代の民の態度をとるように招かれています。それは、神が平和のうちに人類全体とともに住むことを望まれる国を築くためです(教皇レオ十四世回勅『人間の偉大さ――AIの時代における人格の擁護(2026年5月15日)』8[Magnifica humanitas]参照)。この建設現場では一人ひとりに果たすべき務めあります。そこではともに働くことが大切です。たとえば、知識の断片化や、新しい技術が人間精神に与える影響に取り組む人々は、「真に健全な注意力をはぐくむことが必要です。すなわち、沈黙、深い研究、読書、思慮深い分析を含んだ生活リズムです。これらの要素がなければ、内的な自由が損なわれる可能性があります」(同146)。
神学研究はこの課題と無関係ではありません。むしろそれは、「神の国」の建設現場でさまざまな知識の交差点となることによって、すべての人の作業を照らすために役立ちます。とくにローマにある教会共同体は、そのカトリック教会全体に奉仕するという召命により、さまざまな感性と文化と伝統が出会い、対話し、豊かにし合う場です。福音はそこで尽きることのない宝を現します。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。皆様がローマでの日々を完全に生きることができますように。時間を無駄に過ごしてはなりません。このローマで、ペトロは殉教に至るまで自らの信仰を告白しました。このローマで、多くの民と言語と文化にとってのキリスト教経験の偉大な普遍的伝達者であるパウロは、信仰を守りながらその生涯を終えました(二テモ4・7参照)。大学の中で周りを見回してみてください。皆様の教室には世界が座っています。皆様の横では、アフリカ、アジア、アメリカ、ヨーロッパ、オセアニアから来た人々が学んでいます。ただ隣に座っているだけではいけません。出会い、語り合い、耳を傾け合い、教会の経験を語り合い、ともに祈り、娯楽の時をともにし、生涯を通して皆様に寄り添う友愛を生み出してください。
主はわたしたちにこういわれました。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(ルカ11・9-10)。この約束に力づけられながら、祈りのうちに心を一つにして忍耐強く歩み続けましょう。新学期を英知の座であるおとめマリアの母としての執り成しにゆだねます。そして、わたしたちの天の父が子としての信頼をもって求める者に豊かに与えてくださる聖霊を迎え入れたいと思います。
