1974年「世界広報の日」教皇メッセージ

1974年「世界広報の日」教皇メッセージ 「マスメディアと今日の世界の宣教」  第二バチカン公会議によって設けられた祝い日(注1)、この「世界広報の日」に際して、また再びみなさんに特別メッセージが送られることを嬉しく思い […]

1974年「世界広報の日」教皇メッセージ
「マスメディアと今日の世界の宣教」

 第二バチカン公会議によって設けられた祝い日(注1)、この「世界広報の日」に際して、また再びみなさんに特別メッセージが送られることを嬉しく思います。

 今日の社会構造における広報機関の重要性は、それが人間関係の形成に及ぼす影響力 とともに、着実に増大しております。この増大する重要性を念頭において、私は再び自 分の信念を繰り返します。それは、すべての人が、各自の特定の状況において、何らか の形でコミュニケーションにかかわるという仕方で、メディアの世界に貢献する使命を 帯びているということです。その関わり方には、番組編成・製作に直接触れる段階から 何を見、何を聞くかを選択する段階まで、さまざまな形が可能です。マスコミから受け る個々の情報について、それを全面的に認めるか一定の条件付で認めるかの選択を各個 人が分別をもって行なわなければならないことは、いうまでもありません。

 とくにキリスト者はマスメディアに関心を払うよう常に心がけ、この分野での新しい 動きをいつでも新鮮な目で評価できるようにし、時宜にかなった判断基準を速やかに設 定することによって、メディア自身が、生み出す新たな要求に歩調を合わせていかなけ ればならないと思います。まさにそのことを促進し達成するために、今日祝われる第8 回「世界広報の日」があるのです。それはマスメディアというすぐれて現代的な現象を 省察するための日であり、再評価と態度決定の一契機です。

 今年の「世界広報の日」に当り、私はみなさんに「マスメディアと今日の世界の福音 宣教」についてともに省察するよう呼びかけました。これは来る世界代表司教会議の準 備として、いま各国で行なわれている研究とよく合致するテーマです。私は回勅「エク レジアム・スアム」の中で次のように述べました。「もし、教会が、事実さきにのべた ように、主が自分にのぞみたもうあり方についての自覚を持つならば、たとえようのな い何物かに自分がみたされたと感じ、何か分けあたえねばならないという思いに迫られ る。その時、教会は自分の力を越えて使命があること、ひろく伝えねばならない言葉の あることに、はっきりと気がつく。」(エクレジア・スナム P.69 東門訳)(注2)

 この務めは歴史の各時代の特定の状況の中で具体化されるものであり、したがって、 われわれの時代においては、広報機関を通じて遂行しなければなりません。「現代のメ ディアが提供する便宜を用いて福音を無数の人々に告げ知らせなくても、キリストの掟 は守られるといういい方にはやや難がある」(コムニオ・エト・プログレシオ 116段)。  福音宣教は、すべての被造物に福音を宣べ伝える(マルコ16・15)べくキリストによ ってこの世に派遣された教会の使命の不可欠の部分です。教会はこの務めを、とりわけ その典礼生活の中で果たしますが、同時に、教会は各大陸の国民の中にあって、活用で きるあらゆる方法・手段によって、福音宣教を成し遂げるよう義務づけられています。

 キリスト者の全生活は、福音に忠実である限り、この世のただ中での絶えざる福音宣 教の態勢に置かれているということができます。人々と共に生活し、かれらと悩みを分 かち合い、世界の苦難を分かち合い、世界の開発の問題に関わり、人間としての探究・ 思想・討論・交流の現場にいつも立ち合うキリスト者・・キリスト者はそこで福音を証 し、自分の役割、キリストのパン種の役割、内なるキリスト者の影響力を発揮するので す。そして広報の世界におけるこのキリスト者の影響力には広大な展望があり、限りな い重要性を帯びているのです。

 この関連で緊急に求められていることがたくさんあります。その一つは、「開発」の 線に沿った情報とサービスの媒介機関を時代にマッチした形で設定することです。そう した機関によって福音の伝播を促進し、人格の尊厳・正義・全人類的兄弟性などの概念 (価値観)を強化するのにふさわしい雰囲気を創り出す必要があります。それは人間に 自らの真の使命を理解させ、同時に他者との建設的な対話、および神との一致の道を開 くことを助ける価値観なのです。

 次いで、新たな、進んだ使徒職手段の探究・・すなわち、新しい視聴覚およびその関 連器材をカテケージス、いろいろな形の教育事業、教会生活(典礼その他)の表出、な かんずく信仰と愛の証に応用する必要があります。

 最後に、キリスト者が真剣に考えなければならないのは、特定の情勢、もしくは司祭 の不足、あるいは教会がその使命を自由に遂行できないなどの理由で「みことばの使徒 職」に直接あずかれない国々、社会、人々に、どうすれば広報機関によってそれをもっ ともよく伝えられるかということです。

 これらの問題を解決するためにいろいろな努力が払われ、まだ不十分だとはいえ、調 査・研究が重ねられている事実を私はよく承知しています。それは各地の司教、司祭、 修道者、熟練した信徒の方がたの、熱心な着実な作業によるものです。私は教皇庁広報 委員会、各国の(広報)司教委員会、マスメディアに関する国際カトリック組織、マス コミに専従するカトリック者の動きを注意深く見守っています。これらの組織や人びと が直面している困難な問題はよく理解できます。その困難さは、ある場合には地域の状 況から、他の場合には財源や人材が限られていることから、そして多かれ少なかれどの 場合にでも、新しい領域に踏み込もうとすることから生じるものなのです。

 私はかれらに慰めと激励のことばを送ります。そのことばを、広報機関の恩恵に浴し つつ、人類家族の真の発展とよりよき明日の世界の建設に向かっているすべての人々に も送ります。

1974年5月16日
バチカンにて
教皇パウロ六世

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