1986年「第23回 世界召命祈願日」教皇メッセージ

1986年「第23回 世界召命祈願日」教皇メッセージ 兄弟姉妹の皆さん 「善き牧者の主日」ともいわれる復活節第4主日に、例年のごとく、第23回世界召命祈願日を迎えます。この機会に、私は喜びと希望に溢れて神の民にメッセージ […]

1986年「第23回 世界召命祈願日」教皇メッセージ

兄弟姉妹の皆さん

「善き牧者の主日」ともいわれる復活節第4主日に、例年のごとく、第23回世界召命祈願日を迎えます。この機会に、私は喜びと希望に溢れて神の民にメッセージを送ります。
この日は、司祭職、修道生活、在俗会や宣教会への召命を促進するために、根気強い祈りとふさわしい行動で協力する義務があることを私たちに思い出させる特別の機会です。

1.第二バチカン公会議から20年経ちました
第二バチカン公会議は、召命について、教義の点でも、霊的、司牧的にもひじょうに豊かな遺産を残しています。公会議は、教会の将来を深く見通して、「全キリスト教共同体が召命を育成する任務を負っている」と厳かに宣言しました(「司祭の養成に関する教令」2)。それから20年を経た今日、教会は公会議のこの重大な訓示に忠実であったかどうかを反省し、将来の計画を検討すべきであるという思いをいだくにいたっています。
各教会共同体が一般的にこの点でいっそう大きな責任を感じつつある様子がうかがえるのは確かです。過去20年の間に、種々の問題、挑戦、困難があったにもかかわらず、主の招きに応える若者の数は増加し、世界各地で次第にはっきりしてきた復興の兆しが召命の新しい息吹を告げています。
これはすべて喜ばしいことであり、教会の祈りを聴きいれくださる神に感謝せずにはおられません。しかし、公会議の成果が大きかったとはいえ、まだ十分な実りに達していません。多くのことが達成されましたが、さらに多くのなすべきことが残されています。
私は、この機会に、神の民が小教区の独特な役割に特別の注意を払うように勧めます。公会議が、家庭とともに小教区に対して、召命の促進への「最大の貢献」を期待しているからです。(「司祭の養成に関する教令」2)。

2.共同体としての小教区は、お召しになるキリストが永遠に現存しておられることを証します
私はいま、世界中のすべての小教区共同体に熱烈な思いをはせています。大きな小教区も小さな小教区も、大都心にあろうと、僻地にひっそりと隠れていても、すべて、「いわば全世界に設立された見える教会を実現する」ものです(「典礼憲章」42)。
公会議は、人々に霊的な配慮をする教会の姿を外に示すのがふつうは小教区である(他にもあることを否定しませんが、それが小教区の重要な意義だという意味で)、と言っています(「信徒使徒職に関する教令」10)。したがって、[人々に霊的な配慮をする人への]召命を育てることは、付け足し的な働きではなく、小教区共同体の活動にしっかりと組み込まれなければなりません。増大する現代のニーズによってこの務めはますます緊急なものとなっています。
こういえばすぐ思い浮かぶのは、司教たちがやむをえず司牧者を置いていない多くの小教区があるということです。今日でもなお、「刈り入れは多いが、働く人は少ない」(マタイ9・37)という主のおことばは当てはまります。
教会は司祭の必要に迫られています。これはキリスト教共同体が直面している大問題の一つです。イエズスは司祭のいない教会を望まれませんでした。司祭がいなければ、世界にイエズスがおいでにならないことになります。イエズスの聖体とゆるしがないからです。また、教会が使命を遂行するためには、あらゆる奉献生活への召命が豊かにあることが必要不可欠です。
キリスト者は、召命の減少を受け身的にあるいは無関心な態度で容認してはいけません。教会の未来は召命にあります。共同体が召命に乏しいと、教会全体が召命に乏しくなります。反対に、召命に富んでいる共同体は、全教会を富ませます。

3.「受けた賜物にしたがって・・・」(Ⅰペトロ4・10)――司牧者の特別な責任
小教区は抽象的な存在ではなく、信徒、奉献生活をおくる男女、助祭、司祭から構成されています。家庭、基礎共同体、さまざまな運動体やグループや会などに取り囲まれています。これらの中でどれ一つとして召命の促進という重大な務めを分かち合わないものがあってはいけません。励ますべきは、小教区委員会あるいは召命促進センター、特別要理教育活動、召命促進団体など、小教区を巻き込むためにいろいろな国で試みられていることです。
神の民全体が召命促進の務めに協力するよう勧められているとはいえ、それは、当の役務を担う人々の直接の責任をいささかも軽減するものではありません。司教と一つになって、人々の霊的な世話をする主任司祭や助任司祭は、羊たちのために生命を捧げ、羊たちを知り、それぞれの名で呼ばれる(ヨハネ10・4)善き牧者、イエズスの使命を継続するために召されています。万民の父なる神の証をするこれらの、福音の飽くことなき働き手に感謝しなければなりません。
公会議は、司祭職のかけがいのない価値を認め、召命への配慮が「司祭としての使命そのものに属する」(「司祭の役務と生活に関する教令」11)と断言しています。
キリストは、ご自分の役務者たちの模範と教えがあったからこそ、老若を問わず多くの人をご自分に仕えるよう招き、歴史を通じて、使徒たち、聖人たちから寛大な応えをお受けになったのです。司祭たちはいつも召命に重要な役割を果たしてきました。
司祭職にある親愛なる兄弟の皆さん、このようなわけですから、皆さんに委ねられた役務を引き継いで担う人たちが絶えないように、皆さんの司祭職の輝きを示してください。祈りを教える人になってください。霊的指導という貴重な仕事を怠らないでください。それは、生活の中で神のみ旨を識別するように召された人たちを助けるためです。
ふたたび召命の花を咲かせるために、私が頼りにしているのは皆さんです!
皆さんの熱心な司牧を通じて神に身を捧げる人たちの召命が、いつか、皆さんの使徒職の最上の果実、生涯の最大の喜びとなるだろうということを忘れないでください。

4.召命の効果的な成長のための条件
 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私は、ここで、皆さんの共同体が神のお召しの有効な道具となりうるために、いくつかの本質的な目標と原則を示したいと思います。

――活気溢れる共同体になってください!
公会議は、共同体が「何よりもまずキリスト教的生活をすることによって」(司祭の養成に関する教令2)召命を促進するということを強調しました。私は、今までいろいろな機会に、召命は共同体が教会の中で生きていることの動かぬ証拠だ、といいましたが、これからも同じことを繰り返して言うつもりです。
成長が生命体のもっとも明白な特徴の一つだということをだれが否定できるでしょうか。

召命を持たない共同体は、子どものいない家庭のようなものです。そんな場合、主と主の教会のための共同体の愛を問題にすべきではないでしょうか。

――祈る共同体になってください!
召命は、祈る共同体に神がお与えになるはかりしれない賜物だということを確信すべきです。主イエズスは使徒たちを呼んで(ルカ6・12参照)、「刈り入れのために働く人を送ってくださるよう、刈り入れの主に祈り求めなさい」(マタイ9・38、ルカ10・2)とお命じになり、私たちに模範を示されました。
私たちは、このご命令にそって、みんなで祈らなければなりません。絶えず祈らなければなりません。その祈りによる行動による協力を伴わせなければなりません。キリスト教的生活の源泉と中心であり、頂点であるご聖体が、召命のために祈る共同体の生命の中心となりますように。
病人の皆さん、身体的あるいは精神的に苦しむ皆さん、キリストの十字架に結ばれた皆さんの祈りは、召命のための使徒職の最強の手段であることを確信してください。

――招く共同体になってください!
私は世界中の若者たちから召命や司祭職あるいは奉献生活についてたびたび尋ねられます。これは、彼らが召命について深い関心を抱いているしるしであると同時に、福音宣教と特別な要理教育が欠けていることを示しています。私たちの怠りによって、だれかが神のご計画を果すために当然知るべきことを知らされなかったという責任を負わされないように願っています。
若者たちを奉献生活に導くには、召命について一般的に話すことだけでは不十分です。召命の特別の性格を教えて、かれらがなにに召されているかをはっきりさせ、それを自分のものとさせなければなりません。
これは、イエズス・キリストがなさった方法です。国際青年年に当たって発表した教書「世界の若者へ」の中で、私はこの点を強調したつもりです。キリストとある若者とのあの対話は、「私に従いなさい」というキリストのはっきりした招きで終わっていますが、それは、十戒に従って生きる生活から、司祭職あるいは修道生活にあるような「なにか別な生活」への願望に招くものでした。
それゆえ、現代世界に救い主の招きを知らせるように勧めます。皆さんの態度を、じっと待ち続ける態度からはっきり招く態度に変えるように勧めます。これは、人々の霊的な世話の責任を有する司祭や、男女修道者、召命促進の活動に従事している人たちに対してばかりでなく、両親、カテキスタおよび他の信仰教育をする人たちにも勧めたいことです。 
主が招きをおやめになることはない、ということは確信していてよいことです。しかし、同時に、それを知らせるために私たちの助けをもとめておられるということも確かなことだと思います。

――宣教する共同体になってください!
宣教する全教会の中で、それぞれの共同体は、キリストを宣べ伝えるための人材をまず自分の地域で確保していますが、自分たちの利益だけを考えているわけではありません。
神に対する愛は、自分たちの身近かなところだけにとどまらず、それを越えて、遠くの共同体の兄弟姉妹たちにまで及びます。キリストの福音は全世界にゆきわたらなければなりません。
現代の重大なニーズを目の前にし、かつてないほど多数の宣教師が切望されていることを知れば、多くの若者たちが、自分の国を離れて、もっと必要に迫られている他国にいくように神から召されていると感じることでしょう。「わたしはここにいます。わたしを派遣してくだい」(イザヤ6・8)といった預言者イザヤのように寛大に応えてくれる若者がきっといるでしょう。   

5.祈り
 以上の考察の締めくくりとして、また、来たる召命祈願日が、各共同体にとって、信仰と召命促進のための働きが強化されるよい機会となるよう確信しつつ、私は次の祈りを皆さんとともに唱えたいと思います。

 善き牧者であるイエズスよ、
あなたは、あなたが愛し救おうとしておられる全世界の必要に応じて、多くの司祭、助祭、男女修道者、奉献された信徒、宣教者をお与えくださいました。私たちのすべての小教区とそこにいるかれらを祝福してください。
私たちの共同体を特別にあなたに委ねます。私たちが聖霊とその賜物を愛をもって受け入れ、この共同体が祈りの高間となれますように、初代教会のキリスト者たちの精神をお与えください。
私たちの司牧者と奉献生活をするすべての人々とを助けてください。あなたの招きに寛大に応えて、司祭あるいは奉献生活への準備をしている人々を導いてください。
気だてのよい若者たちに慈しみのおん目を注ぎ、あなたに従うようにお召しください。かれらがあなたにおいてのみ生涯の完成に達することができると悟るのを助けてください。
私たちは、すべての召命の母と模範である聖マリアの力強い取り次ぎを求めます。聖母が私たちに願うようにお勧めになることなら、おん父がなんでも必ず聞き入れられると信じる私たちの信仰を支えてくださいますようお願いいたします。アーメン

 この祈りを捧げつつ、皆さんに教皇としての私の祝福をおくります。

1986年2月6日
バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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