1987年「第24回 世界召命祈願日」教皇メッセージ

1987年「第24回 世界召命祈願日」教皇メッセージ 司教職にある兄弟の皆さま、ならびに全世界の兄弟、姉妹の皆さま、  教会では、本年5月10日(日)が、第24回世界召命祈願日にあたっています。この世界的行事は、すべての […]

1987年「第24回 世界召命祈願日」教皇メッセージ

司教職にある兄弟の皆さま、ならびに全世界の兄弟、姉妹の皆さま、

 教会では、本年5月10日(日)が、第24回世界召命祈願日にあたっています。この世界的行事は、すべてのキリスト教共同体と洗礼を受けているすべての人々に対して、司祭職、宣教生活、そして、福音的生活の誓願への召命の増加を祈り求めるように呼びかけることを目的としています。

 このメッセージで、私は、特別に信徒の皆さまに目を向け、本年10月に開催されるシノドス(世界代表司教会議)に向けて、皆さまの果たし得る義務と責任について指摘したいと思います。今年のシノドスのテーマは、「第二バチカン公会議20年後の、世界と教会における信徒の召命と使命」です。

1.「あなたがたの召命を考えてみなさい。」(1コリント1,26)
 主イエズスは、教会を創立するにあたり、「ある人を使徒に、また、他の人々を預言者、福音宣教者、牧者、教師とされ、奉仕の働きができるよう聖なるひとびとを準備されました。それは、キリストの体を築き上げるためです。」(エフェゾ 4,11-12)

 教会の全員がひとりひとり、神さまからの召命を受けています。その召命の実践は、個人的次元にどとまるべきものではなく、他者の召命を成長、発展させるための誘引となるべきです。事実、種々の召命は相互に補足し合うものであり、全員がかけがえのない使命遂行のためにひとつに集められているのです。

2.「キリストから受けた賜物の種類に応じて」(エフェゾ 4,7)
 まず初めに、教会と社会にあって、直接的な使命を託されている両親に注意を向けましょう。実際、非常に多くの場合、司祭へ、また、修道者への召命の種は家庭の中で発芽し、つぼみをつけます。公会議において、家庭内には、召命を育てる好ましい条件がそろっていると確認し、キリスト教的家庭を予備神学校と定義づけたのは、偶然によるのではありません。(司祭の養成に関する教令 22 参照)

 確かに、両親の子供達への奉仕の中で、神さまがご自分のもとに引きよせられる恵みを前提にしているとはいえ、子供たち一人一人の召命を見い出し、その召命を生きるようにと神さまと子供に協力する以上の奉仕はありません。(現代世界憲章 52、家庭-愛といのちの絆-53)
ご両親の皆さま、もし、主が、あなたがたの娘さんか息子さんを呼ばれて、その愛の御計画にあなたを参加させられるなら、広い心をもって非常な栄誉にあずかったと感謝してください。司祭職への、そして、修道生活への召命は、家庭の中で、また、家族にとって特別なお恵みなのです。

 教会は、また、若者の教育に責任を持つひとびとに、特別な期待をよせています。
キリスト教共同体で、非常に大切な役割を果たしておられる、男女カテキスタの方々に特別なアピールをさせてください。要理教育に関する使徒的勧告の中に書かれている、司祭職と修道生活への召命についての内容を思い出していただきたいのです。幼少時、そして、思春期に効果的に教えられた要理教育からは、確かに、召命が開花しています。(要理教育に関する使徒的勧告 39)
また、全世界のどこにあっても、あらゆる階層からの若者を受け入れている学校、特にカトリック学校に関係している全ての教師と信徒が与える若者たちの召命に対する影響は非常に重要なのです。
カトリック学校は、若者たちを人間的、また、キリスト教的生活へ導くことを目的にするだけではなく、聖別された生活の価値をも教える能力のある教育共同体でなければなりません。
都市にあっても、地方にあっても、運動やグループ活動、そして教会活動は、召命に関する信念と、召命を促進する首尾一貫さによって展開されるよう望んでいます。普遍教会(Universal Church)の召命を希求する心にそれぞれが心を合わせることによって、若者たちはよりたくましく成長し、かれらの活力とキリスト教的円熟さの証しである多くの聖別された召命が、自分たちのグループ内で開花するのです。
聖別された人々によるこの証しを欠いた教会共同体は、力を失った共同体なのです。

3.「刈り入れの主に祈り求めなさい。」(マタイ9,38)
 司祭職、および修道生活へと召される、聖別されたひとびとの数が減少している現実に直面していても、今やれば出来ることをないがしろにしながら、消極的な態度をとったままではいられません。それどころか心からの祈りを捧げるべきなのです。主ご自身勧告していらっしゃいます。「刈り入れのために働く人を送ってくださるよう、刈り入れの主に祈り求めなさい。」(マタイ9,38 ルカ10,2)

 司祭、および修道者への召命を祈る事は、信徒全員の使命です。そして、それはいかなるときにでも義務なのです。召命の未来は神さまの御手の中にあります。しかし、ある意味で召命の未来派、私たちの手の中にあるとも言えます。祈りは私たちの力です。祈りがあれば召命は少なくなり得ませんし、神さまが御耳を傾けないことはありません。主に祈ってください。人々が、神さまのみ声を他人事と思ったり、無関心を装ったりすることなく、より積極的に自分に挑み、自分の能力を見つけようと努力し、うちに秘められた召命に対する寛大さと責任感をしっかりと確認できるように主に祈ってください。この使命を前にそこから逃げられる人などだれもいないのです。

 それでは、ここでごいっしょにあがないの主に祈りましょう:

 『主イエズス、あなたは人をすなどる者として、最初の弟子たちを呼ばれたのとちょうど同じように、今も甘美な招き、「来て、私に従いなさい」と声高く叫び続けていらっしゃいます。若者たちが、あなたのみ声に即座に喜んで応えられるようお恵みをお与えください。

司教、司祭、そして聖別されたひとびとの使徒職を支えてください。人生の全てをあなたへの奉仕に捧げ、そのためにふさわしい生活を実現しようとしている神学生と全てのひとびとに、堅忍のお恵みをお与え下さい。

 私たちの共同体が、宣教の努力に目覚めるようにして下さい。主よ、刈り入れのために働く人を送ってください。そして、牧者や宣教師、福音のために誓願をたてた人々が足りないばかりに、人類が、道に迷うことなどないようにしてください。

 あらゆる召命のひな型であり、教会の母であるマリアよ、神の救いのご計画に協力して働くようにと、私たちをお呼びになった主に、「はい」と答えられるよう力をお与えください。アーメン。』

 主が、私たちの願いを聞いてくださると堅く信じ、敬愛すべき兄弟姉妹である、司教、司祭、修道者、そして信徒の皆さまの上に、神さまの豊かなお恵みがありますよう、心からの使徒的祝福をお送りいたします。

 1987年2月11日、ルルドの聖母の記念日に、バチカンにて。
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ヨハネ パウロ 二世

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