1990年「世界広報の日」教皇メッセージ

1990年「世界広報の日」教皇メッセージ 「コンピュ-タ時代におけるキリストの福音」    親愛なる兄弟姉妹の皆様へ  教会は神にむかって、『感謝の祈り』のひとつで次のような言葉を述べています。 「あなたはご自分にかたど […]

1990年「世界広報の日」教皇メッセージ
「コンピュ-タ時代におけるキリストの福音」

   親愛なる兄弟姉妹の皆様へ

 教会は神にむかって、『感謝の祈り』のひとつで次のような言葉を述べています。 「あなたはご自分にかたどって人を造り、造り主であるあなたに仕え、造られたものを すべて支配するよう全世界を人の手におゆだねになりました」( 『感謝の祈り第4奉献 文』) 。

 このように神によって造られ、世界を任された人間にとって、この毎日の労働の日々 は意義深く、すばらしいものです。人々のアイデアや活動そして仕事は、平凡な事です が、この世界を刷新し、救いに導き、神の栄光のより完成に近づいた道具となすために、創造主によって任されたものです。

25年前、第2バチカン公会議の司祭団は、現代社会における教会に反映するよう、 次のように宣言しています。「家庭そして日常の様々な職業の共同体で働いている人々 は、自分たちの労働が創造主の働きの延長、歴史の中に実現されてゆく神の計画への寄 与であると考えるように召されています」(『現代世界憲章』34 )

 公会議の司祭団は、来たるべき将来を考慮し、教会が自らの使命を成就するように求 められている状況を見抜きながら、技術が地球の表面を変えるほどに進歩しており、も はや宇宙の支配にまで乗り出していることを、はっきり認識しています。(『現代世界 憲章』5参照) 司祭団は、コミュニケ-ション技術の進歩は、不測の結果をまねく連鎖 反応を特に起こしがちであることを理解しています。

 教会は現代の様々な進歩の主流に関心を持たず孤立しようとはしていません。教会は まさに人類の進歩の最中にあり、慈愛に満ちた体験をわかち合い、人間を理解し、そし て信仰の光を人々に伝えようと努めています。このように公会議の司祭団は確認しまし た。神に忠実な人々は、人類の救済と世界に実現されてゆく神の計画のために、新しい 発見と技術を創造的に活用します。

 急速な変化と新しい進歩に対する開かれたこの教会の考えは、来たるべき、平和的改 革とますます加速し続けている発達の時代にかなうものです。今日、コミュニケ-ション機器やテクノロジ-を無視して広報活動を考えたり語ることはできません。この機器 とそれを使う技術は、今まで、一時的で、ほんのある部分しか、その可能性が開発され てきていませんし、その理解も不完全でしたが、現在では有意義な平穏で開かれた文化 の一役を担っていると見なされています。

 ここに、私達は第24回世界広報の日を迎えるにあたっての基礎を見出します。日を 追うごとに、最初の預言がより現実的なものとなってきています。遠く隔てられた人々 同志や世界で二分されている考え方の真の対話、相互の理解や知識の発達の望み、そし て今まで越え得なかった様々な壁を通しての堅固な友愛が実現するという預言です(『 コミュニケーションと進歩』181,182 )。

 コンピュータによる遠距離通信そして、御存知のようにコミュニケ-ションによる様 々なシステムが実現したことにより、教会は自らの使命を果たすための進んだ手段とし て活用しようと試みています。この便利な伝達手段と教会自身のメンバ-の対話が共同 体のきずなを強めることができます。情報に対する迅速な教会の対応が現代世界との対 話を深めることを可能にさせます。この新しい『コンピュータ文化』の中で、教会は自 らの信条をより速く宣べ伝えることができ、様々な問題や事件に対する姿勢を表明する ことができます。教会は大衆の声をはっきりと聴くことができ、教会をとりまく世界と 話し合いを続けることができます。このようにして、教会は人々が現在直面している多 くの問題の解決を迅速に助けようとしています。(『コミュニケーションと進歩』114 ff. 参 照)

当然、教会は自らが直面している宣教活動のために、コンピュータや衛生通信の技術 を駆使した人間に関する様々な調査によって得られた資源を利用します。教会の最も生 き生きとした差し迫ったメッセージはキリストの知恵とキリストが指し示した救いへの 道によってなされねばなりません。「真理はやさしく、そして強く心にしみ込む真理そ のものの力によらなければ義務を負わせません」(『信教の自由に関する宣言』1)。 この真理を心にしっかりと留め、全ての世代の人々が愛のある福音を快く受入れるよう に招くことが教会のなさねばならぬ勤めです。

 歴史の知恵と洞察が我々に次のように教えています。「神はその民に各時代固有の文 文化に準じて語られた。同様に、教会も時代の推移の中で種々の状況のもとに存在を続 け、キリストのメッセ-ジを広め説くため、種々の文化の所産を用いてきました(『現 代世界憲章』58)。「福音の知らせや、カテケシスならびに信仰を深める方法もマス ・メディアを無視できません。人類の技術が日ごとに発展して行くこんにち、こうした 有力な手段を教会がつかわなければ、神のみ前に申し訳ない次第です。この手段によっ て、教会は屋上から神に委ねるられたメッセージを表明します」(『福音宣教』45) 。

 明らかに私達は、容量が莫大な人工の記憶装置に情報を保存できるこの新しい技術に 感謝すべきです。人類の知的遺産、教会の教えと伝統、聖書の言葉、偉大な霊的教師た ちの助言、地方教会や修道会や使徒職団体の歴史と伝統、そしてご自分の倉から新しい ものと古いものを取りだしてくださる( マタイ福音書 13章52節) 愛すべき天の父が私 たちの中に生きているという信仰を眼識をもって証言してきた創始者や改革者たちの思 想と経験、これらすべてに、この記憶装置は、幅広くそして簡単に触れる事ができるよ ようにさせてくれたからです。   特に若い人々は、このコンピュータ文化とその『言語』にすばやく適応しています。 これは喜ばしいことです。私達は「わかものを信頼しましょう」(『コミュニケーションと進歩』 70)かれらは新しい進歩とともに成長したという長所をもっています。そして、この 『縮まった地球』で隔てられているすべての多様な民族と階級間の広範囲で堅固な対話 のためにこそ、これらの新しい装置を役立てる義務が若者に課せられています。より確 かな恒久的正義、人権の尊重、あらゆる物と人間の健全な発達、そして人間が生きいく 上での基礎である自由を促進するのを助けることができるように、この新しいシステム を使ってデ-タをいかに維持し、交換可能なものにするか。この方法を探究することも、かれら若者に任されています。

 若い人も年老いた人も、人間性を尊重し、神の計画に適なった世界の変革に関わりな がら、宗教的信仰に基ずいた倫理的ヴィジョンに新しい発見とテクノロジ-を導くこと によって、それらの挑戦に立ち向かいましょう。世界広報の日にあたり、人が人と神の 計り知れない呼び掛けに奉仕できるように、また、すべてに良き物をもたらす神に栄光 があるように、『コンピュータ時代』の可能性のある力を使うに際に、知恵が与えられま すうに祈りましょう。

1990年1月24日
   バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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