1991年 四旬節メッセージ

1991年 四旬節メッセージ
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」(マタイ10・8)

1991年 四旬節メッセージ
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」(マタイ10・8)

キリストにおける兄弟姉妹のみなさん

 今年は、社会についての教会の教えに新しい頁を開いた、教皇レオ13世の大 回勅『レールム・ノヴァールム』発布百周年にあたります。社会についての教会 の教えには、無数の人々がおかれている貧困と低開発の状態を克服するために連 帯して働こうというたゆまない訴えが脈打っています。

 神はすべての人のために被造物をお与えになりました。しかし、現実には、人 類の大半が貧困という堪えがたい重荷を背負わされています。回勅『新の開発と は』にも書きましたが、このような状態は、愛と生きた連帯を必要としています。 他の人のために働き、自らを失う--これは福音のことばですが--必要に迫ら れています。自分の利益のために他人を利用するのではなく、他人に役立つよう に働くことを迫られているのです。

  四旬節に際して、あらゆる善の源、すべてのあわれみの神に立ち返り、神が、 わたしたちの利己心をいやし、新しい心、新しい精神を与えてくださるように祈 りましょう。

 四旬節とそれに続く復活節は、主イエス・キリストがご自分を貧しい人々と完 全に同一視されたことを思い出させてくれます。神の子は、わたしたちに対する 愛から貧しい者となり苦しむ人々と一つになられました。「わたしの兄弟である このもっとも小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことである」(マ タイ25の40)というおことばに、この完全な同一視がはっきり出ています。

 四旬節は聖木曜日に頂点に達します。この日の典礼は、キリストのご受難、ご 死去、ご復活を記念する聖体の制定を思い起こさせます。教会が信仰のきわみに おいて執り行うこの秘跡、キリストが忍ばれた貧しさ、苦しみ、迫害を、いやが うえにもわたしたちの意識にのぼらせるはずです。イエスは極みまでわたしたち を愛されました。それだからこそ、今も聖体のうちに永遠のいのちの食物として 自らを託し、完全な連帯を表明なさった貧しい人々のうちにご自分を見るように とわたしたちに求めておられます。

 聖ヨハネ・クリゾストモは、この同一視をよく理解していました。「キリスト の体を賛美したいですか。それなら、かれが裸であることを蔑んではいけません。 教会の外で裸で寒さに震えておられるキリストを忘れて、教会の中で絹の衣をま とうキリストを崇めてはいけません」(マタイ福音書についての説教)とは、か れのことばです。

 この四旬節の間に、金持ちとラザロのたとえを黙想するとよいでしょう。すべ ての人がいのちのうたげに招かれています。しかし、今日なおたくさんの人々が ラザロのように外に立ち、犬が来て、そのできものをなめています(ルカ16の 21参照)。

 食物、住居、医療などいのちの維持に絶体欠かせないものを奪われているだけ でなく、明るい将来への希望を持つことさえできないでいる果てしない人々の群 れを無視することは、ラザロを見て見ないふりをしていたあの金持ちのようにな ることです(ルカ16の19~31参照)。

 わたしたちは、世界中いたるところを襲っている、心を引き裂くような悲劇に けっして目を閉じてはなりません。これを心に刻、アフリカのサヘルを訪れた際 に、イエス・キリストの名によって、全人類に代わって述べた訴えをもう一度こ こで繰り返します。 「地球人口を養うすべをすべて有していながら、なお兄弟殺しに等しい無関心で それを実行しないこの時代を歴史はどう裁くでしょうか。貧困が、いのちを与え る愛に出会えないような世界は砂漠ではないでしょうか」(バチカン日刊紙『オ ッセルバトーレ・ロマーノ』1990年1月31日号)

 イエス・キリストは、かいばおけの貧しさから十字架上の完全自己放棄に至る まで「最も小さい人々」と一つになることを選ばれました。よいサマリア人イエ ス・キリストを目にしているのですから、それを忘れることはできません。キリ ストは、富への執着を捨て、神を頼りとし、喜んで分かち合うよう説いておられ ます。キリストは、貧しく苦しむ兄弟姉妹を見るとき、自らも貧しさのうちに神 を必要とし、神に全幅の信頼をおくことの何たるかを知っている人の目で見るよ うにと訴えておられます。それができれば、わたしたちの生き方は、いのちと愛 の源であるキリストに対する本当の、本物の愛のはかりとなり、キリストが説く 福音への忠実のしるしとなるでしょう。この四旬節がわたしたち皆にこれを気づ かせ、愛への取り組みを増してくれますように。この四旬節が無駄に過ごすこと なく、ほんとうに新たにされ復活の喜びに至るものとなりますように。

1990年9月8日 バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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