1991年「第28回 世界召命祈願日」教皇メッセージ

1991年「第28回 世界召命祈願日」教皇メッセージ 兄弟である司教様方 全世界の兄弟姉妹の皆さま 1.すべての召命は、祈りによって願わなければならない神からの賜物、また、聖なる生活によるあかしによって裏づけられなければ […]

1991年「第28回 世界召命祈願日」教皇メッセージ

兄弟である司教様方
全世界の兄弟姉妹の皆さま

1.すべての召命は、祈りによって願わなければならない神からの賜物、また、聖なる生活によるあかしによって裏づけられなければならない神からの賜物であることを認めながら、今年もまた、私は4月21日に祈念する第28回世界召命祈願日に霊的に参加するよう招きます。

 この記念日は、司祭職と誓願による生活への召命を考える特別な機会となるばかりでなく、すべてのキリストの共同体がこの召命の芽生えを育み、神の内的呼びかけに気づき、それを識別し、完成させるために協力する特別な機会となってきました。(『司祭の養成に関する教令2』参照)

今年、私は皆様に要理教育(カテケジス)について喚起を促したいと思います。要理教育はすべてのキリスト者の宗教的体験の最も基礎的な部分です。私たちの天の父である神と確実で自由な召命についての対話をするための基礎が要理教育です。教会は要理教育の中で、神の言葉の本質的は望みにこたえるために強い意志と責任ある態度をもって、信徒が神の言葉に耳を傾けるよう、信仰と回心の旅路において援助します。教会は、注意深い主の弟子たちと普遍的な使命を共にする人々を組織することで、神との個人的な出会いが鼓舞されるよう望んでいます。こうして要理教育は、すべてを包括する神の救いの計画や存在と歴史の究極の意味を発見するばかりでなく、神の国のこの世界での実現を待ち望む一人ひとりに特別用意された計画を発見するために、適切な方法を明らかにします。

 要理教育の目的は、みことばの光の下にキリストの秘義の理解を深め、人間全体がその光に照らされるようにするところにあります。キリスト信者は、恩恵の働きで新しい被造物につくりかえられ、こうして、キリストの弟子となり、教会において日ごとに、キリストのように考え、キリストのように判断し、その掟に従って行動し、その招きに従って希望することを学ぶ。(『要理教育に関する使徒的勧告』20)。

2.
要理教育は、それがひとつの祈りの群れとなった時、その本質的な目的のひとつを果たします。私たちの師である救い主キリスト共に、そして生命の贈り主である聖霊と共に、私たちの創造主であり父である神との親愛なる対話を人々に約束するのです。この神との対話に感謝し、この対話で聞き学んだことは知性に残るばかりでなく、その心を凌駕し、行為に表わすよう促します。要理教育は、信仰の真理を宣言するだけでは足りません。各人が神の救いの計画において自分の役目を担い、教会の使命のために自分の生涯を捧げるというひとつのこたえを喚起することを目指させねばなりません。すなわち、役務的司祭職あるいは誓願による生活において、より親密にキリストに従うことが伴っていなければなりません。

 信徒、特に若者たちがキリスト者の生活が結局は神の呼びかけに対するこたえであることを理解するよう助けなければなりません。司祭職、助祭職、修道生活、宣教奉仕に託された神の国のための使命、そして誓願による生活に託される使命の重要さと特別な性格をも若者たちが理解するよう助けなければなりません。

3.
今まで述べてきたことによって、要理教育者は、教会とそのメッセ-ジを聞く人々に対する責任を理解しなければなりません。彼らの行う教育は、現代の人々が、創造主であり贖い主であり聖化する方である愛の神を見つけるよう導き、教会が自らの使命を果たすためにすべての信者が担う義務を考えるよう子供たちと若者たちを導くことを目指すのです。この使命は、教会が聖霊から受けとった様々な使命とカリスマを通じてのみ果たすことができるのです。聖なる司祭職が、イエス・キリストご自身の司祭職とのより深遠な交わりをとおして、神によって教会に与えられたすばらしいまったく自由な贈り物であることを若者たちが発見する手助けを要理教育は目的とするのです(『教会憲章』10参照)。要理教育は、神と教会への絶対的な奉献へ導き、キリスト教的霊的愛を豊かにする福音によって霊感をあたえられた独身生活の固有の価値ある光に希望をおくものです(『修道生活の刷新・適応に関する教令』12)。

 要理教育に対するこれらの責任は、キリストに終始、側ですぐ従うように呼びかける福音の告知を常に重んじます。これらの責任については私の前任者教皇パウロ6世の召命祈願日のメッセージに示されています。『これらの現実を知らせ、この真実を教え、イエスを教師そして牧者として魅力あるものであることを易しく理解させなさい。人生に特別なよりよい指針をあたえるために、知っておくべきことを私たちの落ち度で知らされていない人がひとりもないようにしましょう』(オッセルバトーレ・ロマーノ紙 英語版 1978年4月13日 4頁)。

4.
私は、このメッセ-ジが、聖霊が協力を呼びかけるすべての人々に行き届くよう望みます。教育に熱心な信者の両親、司祭、修道者そして多くの信徒の皆様に届くように。私は特にこの勧告がすべての教会で、新しい世代に宣教する偉大な仕事の中で主任司祭に惜しみなく協力している多くの要理教育者の心に届くよう望みます。

 親愛なる要理教育者の皆さん、あなたがたの使命は、とても大切でデリケートなものなのです! あなたがたに託された子供たちと若者たちが信徒として成長するのはあなたがたの奉仕にかかっているのです。教会において要理教育は、神のことば、秘跡、典礼そして信仰生活に固有の義務を正確に理解させるために必要なのです。なおもうひとつの要件は、特に、若者のある発達の時期に、要理教育が人生の選択に示唆を与えることです。信仰と祈りの光の中でのみ、私たちは神独特の呼びかけの意味と力を理解することができるのです。

 要理教育者としてのあなたがたの使命が、信仰において遂行され祈りによって養われ、真のキリスト者としての生活によって支えられますように。現代の若者たちに語りかける熟練者になりますように。そして普遍的な召命である福音の理想を示すにあたって、誓願による生活への様々な召命の意味と価値の光を当てるにあたって、賢く信頼できる教師でありますように。

 私は司教たちと司祭たちに要理教育の召命的次元を強調するように求めます。特に、要理教育者に霊的文化的訓練が与えられているよう求めます。司牧的聖性の中に豊かに生きる力強いあかしを伴った召命のための彼らの仕事を支えてください。

 私は、修道生活を営む男女の共同体に、自分の資質と能力の最善を要理教育の特有な仕事に捧げるようにお願いします。要理教育が孤立したものではなく、よく組織された豊かな司牧計画のもとで確実になされるよう、自分の役目を果たすようにお願いします。神のみ摂理は要理教育に費やされた努力に対し、新たな聖なる使命でもって常に豊かに報います。私は特にカトリック学校の教育と経営に携わっている修道者たちが普段の授業の中で、司祭職、修道生活そして宣教活動への召命の価値を強調するように奨励します。

 私は親たちが信仰と祈りに基づいた家庭環境を準備することで要理教育者に協力するように強く勧めます。それは子供たちがキリストの召命に沿って完全に生きるように導くためです。各自の固有の召命は、実際に家庭にもたらされた神の偉大な贈り物なのです。

5.
最後に、キリスト者の共同体は、本物の宣教への熱意で、聖霊が人間の心に蒔きつづける召命の種子を理解すべきです。そして特に絶え間ない信頼ある祈りによって、若者が神の声を聞き、その呼び掛けに寛容と勇気をもってこたえることができるような環境をつくるべきです。

教会の善き牧者であるキリストよ、私たちは要理教育者をあなたの御手に委ねます。要理教育者が、司教団と司祭の導きのもと、自分に託されたものが召命としての信仰生活の本当の意味を発見するよう手助けすることができますように。そしてあなたの声を素直に聞き、あなたに惜しみなく従いますように。

 私たちの小教区が祝福されますように。小教区が祈りと典礼生活の生ける共同体となり、あなたのことばを注意深く信仰に満たされて聞くき、寛容で実りある愛徳の生活によって、召命の豊富な刈り入れの肥沃な地になりますように。

 使徒たちの母なるマリアよ、私たちの若者たちを祝福してください。神の声に対するあなただけがもつ率直さを彼らが分かつよう助けてください。愛の神秘と神の選び主の呼びかけに彼ら自身が寛大にそして無条件に『はい』とあなたのしたように答えることができるように助けてください。

バチカンより
アッシジの聖フランシスコの祝日に
教皇登位12周年 1990年10月4日 ヨハネ・パウロ二世

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