1991年「世界広報の日」教皇メッセージ

1991年「世界広報の日」教皇メッセージ 「コミュニケーション・メディアと人類家族の一致と進歩」 親愛なる兄弟姉妹の皆様 『コミュニケーションと進歩』に立ち戻る  今年の「世界広報の日」を祝うにあたり、私たちは1971年 […]

1991年「世界広報の日」教皇メッセージ
「コミュニケーション・メディアと人類家族の一致と進歩」

親愛なる兄弟姉妹の皆様

『コミュニケーションと進歩』に立ち戻る

 今年の「世界広報の日」を祝うにあたり、私たちは1971年に教皇パウロ6世によ って示された司牧指針『コミュニケーションと進歩』の中心テーマに立ち戻っています。この指針は第2バチカン公会議で出された「広報機関に関する教令」の、より具体的な 適用のために出されたものです。この指針は、社会的コミュニケーションの主要な目的 と、この手段が人類家族の一致と進歩に役立つことを示しました。この重要な指針の発 布20周年にあたり、私は教会のメンバーがこの大切な問題にもう一度目を向けるよう に、特に「広報の日」にこの基本的な考察に立ち戻りたいと思っています。

メディアは神さまからのプレゼント

 教会は、以前から新聞、ラジオ、テレビ、写真、映画などのメディアが、「神さまか らのプレゼント」であることを確信しています。これらのメディアが「神さまからのプ レゼント」であるということを、教会は司牧指針が出される以前からずっと、言い続け てきました。衛星放送、コンピュータ、ホームビデオ、その他情報を伝達するための現 代的な道具が、今や人類家族に自由に使えるようになりました。これらの新しい贈り物 は、もっとも伝統的なコミュニケーション・メディアが目的としていたものと同じです。その目的とは、私たちをより緊密な兄弟愛と相互理解へと導くためであり、神から愛さ れている子としての私たち人類の使命にそって歩むよう助けるためです。

 このような力ある手段は、すべてにおいて強い責任感をもって、使うように委ねられ ています。1971年に出された司牧指針の表現によれば、コミュニケーション・メデ ィア自身は「生命の無い道具」にすぎません。私たちに委ねられたそれらのメディアが 目的を果たすか果たさないかは、それらが責任感と英知をもって用いられるかどうかに よっているのです。

メディアが人類の一致に効果ある働きをするために

 キリスト教的観点からすれば、コミュニケーション・メディアは、神のみ摂理により、一人ひとり、また、人類家族の間の関係をより緊密にし、さらに啓発するためのすばら しい手段です。事実、メディアの発展につれ、人々はお互いをさらにたやすく知り、理 解し合うことができる新しい言葉、共通の善のためにお互いにもっと迅速に働くことが できる新しい言葉を、メディアはつくる力をもってきています(『コミュニケーション と進歩』12参照)。しかし仮に、このメディアが人類を連帯させ、真に進歩させる効 果的な手段となるならば、メディアは真理、正義、平和、善意と行動的愛、相互援助、 愛と一致の手段であり、表現となるにちがいありません(『コミュニケーションと進歩』12、13参照)メディアが人間性を豊かにするのか、あるいは不毛にしてしまうのか は、コミュニケーションにかかわっている人々とメディアのメッセージを受けとる人々 の倫理感と倫理的責任感にかかっています。

 一人ひとりが責任をもってメディア番組のもっとも有力な制作者であるか、あるいは もっともつつましいうけてであるかにかかわらず、人類家族のすべてのメンバーは、こ のことに関するかぎり、一人ひとり責任があるのです。ですから、私は『コミュニケー ションと進歩』の中で非常にはっきりと示されている基本方針とガイドラインについて の知識を新たにするように、司牧者とコミュニケーション・メディアの世界で働く信徒 とに訴えたいのです。これらの人々が、人類家族が一致し進歩するための基本的な奉仕 として、自分に課せられた義務をよりよく理解できますように、また、自らの義務をさ らに熱心に果たすことができますように。

 第25回「世界広報の日」がメディアと、社会、家族、各個人、特に子どもたちや青 年に及ぼすメディアの影響の事実に、小教区や地域共同体の注意を喚起する機会となる ことを私は願っています。

 「急激に・・・・神の民の責任も非常に増大することでしょう。神の民にこのような機会 が与えられたことは、今だかつでありません。メディアが全人類の進歩を促進させるこ とは可能なことです。人類の兄弟愛を強めることもできるのです。そうすれば、福音は 救い主キリストへのあかしを伴ない、いたるところで伝えることができるのです」(『 コミュニケーションと進歩』182)。

 私はこの大きな希望と働きを現実のものにするために神が皆さま方を導き、支えてく ださいますように切に祈り求めています。

1991年1月24日
サレジオの聖フランシスコの祝日に
   バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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