1994年「第31回 世界召命祈願日」教皇メッセージ

家庭は召命のための自然環境

1994年「第31回 世界召命祈願日」教皇メッセージ
家庭は召命のための自然環境

敬愛する司教のみなさん
親愛なる信徒のみなさん

 今年の「世界召命祈願日」は、一つの重要な教会行事とともに祝われます。それは「希望の大陸における特別な奉献の召命のための第一回ラテンアメリカ司牧会議」の開会です。
この会議は、召命の吟味、奨励、促進についてのきめ細かい仕事をするために設けられていました。ラテンアメリカだけでなく、全教会の霊的善を目指すこの司牧的企画に対して、私は絶大な感謝の意を表すとともに、みなさんが共同の祈り、心からの祈りでこれを支援してくださるように呼びかけたいと思います。
「世界召命祈願日」は、国際家族年という年に行われます。このことは、家族、教育と召命の緊密な関係、そして特に家族と司祭召命、修道者への召命との密接な関係に心を向ける機会を与えてくれます。
私はキリスト信者の家族へ呼びかけることによって、かれらが教会の希望と未来である若い世代の人々を教育するという使命を強めることができるように願っています。

1.「この神秘は偉大」(エフェソ5・32)

 大きな歴史的変化にもかかわらず、家庭は最も完璧で最も豊かな人間性の学校であり続けています。そこでは没我の愛、誠実さ、互いの尊敬、生命の保全といった最も意義深い経験を生きることができます。家庭の特別な務めは、子どもたちへの教育を通して、美徳と価値を守り、伝えていくことです。このような方法で、個人や共同体の善を築きあげ、伸ばしていくのです。
キリスト信者の家庭はこの同じ責任を、より大きな理由によって負っています。なぜならキリスト信者の家庭の各々は、すでに洗礼の恵みの力によって奉献され、性別されており、婚姻の秘跡によって特別な使徒的召命に招かれているからです(ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告『家庭』52、54参照)。
家庭は、この独特な召命に気づき、それに達するまで、柔和、正義、慈悲、貞潔、平和、心の純潔を生活しながら学ぶための聖別された共同体となります(エフェソ4・1-4、ヨハネ・パウロ二世『家庭』21参照)。
言い換えれば、家庭は聖ヨハネ・クリゾストモが言ったように「家庭教会」となります。つまりイエス・キリストが人々の救いのために、また神の国の発展のために生き、働く場所となるのです。信仰と永遠の生命に招かれている家庭の人々は「神の本性にあずかる」のです(Ⅱペトロ1・4)。かれらはみことばの食卓で、秘跡の食卓で養われ、地上における聖なる生活と天の国の永遠の幸福に導く福音的な考え方や、行動の方法を表しているのです(エフェソ1・4-5参照)。
子どもたちに幼い時から愛情ある配慮を向けるキリスト者の両親は、愛、誠実、祈りと従順からなる神との、誠実で生きた関係を、言葉と模範をもって子どもたちに伝えるのです(『教会憲章』35、『信徒使徒職に関する教令』11参照)。このような方法で、両親は子どもたちの聖性を励まし、また、神に従い、まず神の国を捜し求めるように呼びかけられている「よき牧者の声」に子どもたちの心を温順にさせるのです。
この神の恵みと人間の責任の観点から考えてみるならば、家庭は、神が豊かにまいた召命の種が花を咲かせ、実を結ぶ可能性がある「庭」あるいは「最初の神学校」とみなされるのです(『司祭の養成に関する教令』2)。

2.「あなたがたはこの世に倣ってはなりません」(ローマ12・2)

 キリスト者である両親の務めは、それが繊細であるのと同様に重要なものです。なぜなら、神がその家庭の内におこされる召命を準備し、育て、守るように呼びかけられているからです。ですから親たちは、深く確固とした信仰心、使徒的で教会的な意識、召命とは何であるかという明確な考えなどを含む霊的で道徳的な価値によって、自分たち自身と家族を豊かにしていかなければなりません。
事実、すべての家庭が絶対に踏まなければならないステップとは、主イエスを生活の中心、模範として受け入れ、主のうちに、主とともに、確実に召命が発展する特に恵まれた場所であることを意識するようになることです。
こういうことを絶え間なく実行し、神の恵みにいつも寄り頼むならば、家庭はこの務めを果たせることでしょう。聖パウロも次のように言っています、「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行われているのは神であるからです」(フィリピ2・13)、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」(フィリピ1・6)。
しかしその家庭が、神の計画の実現を乱し、壊すような消費主義・快楽主義・世俗主義に巻きこまれることになったら、どうなるでしょう。
残念なことに、このような現象に圧倒されている多くの家庭、そして家庭を荒廃させるような影響の状況について知るのは、何と悲しいことでしょう。このことはキリスト者共同体にとって疑いなく最大の関心事のひとつです。とりわけ家庭こそが、思考と道徳的行為の広範囲にわたる無秩序に対する代価を払うのです。しかし、ちょうど社会全体がその影響を感じているのと同様に、教会もまたそのことによって苦しんでいます。
教育者や模範のない、道徳的に捨て置かれた孤児となった子どもたちは、どうやって人間的、キリスト教的価値への尊敬をもって成長することができるでしょうか。聖霊が若い世代の人々の心の中に投げかけ続けている召命の種が、このような風潮の中でどうやって伸びることができるでしょうか。
キリスト者の家庭の強く安定した構成は、聖なる召命の成長と成熟のための第一条件であり、召命の危機に対する最も適切な反応を含んでいます。わたしが使徒的勧告『家庭』で書いてあるとおりです。
「・・・この意味ですべての司教区と小教区の教会は、家庭に対する司牧を推進していくために主から与えられている恵みと責任について、より生き生きとした自覚を深めなければなりません。あらゆる段階での組織だった司牧活動計画の中に、必ず家庭に対する司牧への配慮が払われていることが必要です」(『家庭』70)。

3.「だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」
(マタイ9・38)

 召命の司牧的配慮は、その最初の、自然の環境を家庭の中に見出します。実際、両親は、神がかれらの息子、娘のうちの一人を司祭職または修道生活に呼んでおられるという恵みとしての贈り物を喜んで受け入れる方法を知っておくべきです。そのような恵みは祈りのなかで求めれられるべきですし、積極的に受け入れられるべきです。それは、神に自分をささげることの豊かさと喜びのすべてを若者たちに認識させるような教育によってなされます。
天の国のために特別な奉献に息子や娘が招かれたことを感謝と喜びの気持ちをもって受け入れる親は、かれらの結びつきが霊的に実を結ぶことの特別なしるしを受け入れます。それは独身生活や貞潔のうちに培われてきた愛を体験することによって豊かにされるときにそうなるのです。
この両親たちは、かれらの愛の贈り物が人間の愛の限られた範囲を超えて子どもたちの聖なる召命によって何倍にも増すことを、驚きをもって発見するのです。
家庭がこのような重要な使命に気付くようにするためには、「母なる教会の豊かさの証人ならびに協力者となって、キリストが自己の花嫁を愛しておのれをそのために渡されたあの愛のしるし」たるべきすぐれた配偶者、親を目指す司牧的活動が必要なのです(『家庭』41)。
家庭は、召命にとっての自然の「養成所」なのです。それゆえ、家庭の司牧的配慮は、その仕事の正しい召命的な面に対して特別な注意を注ぐべきです。

4.「指導する人は熱心に指導しなさい」(ローマ12・8)

 「ともに歩み、キリストに従い、父に向かう」ことは、最も適切な召命のプログラムです。もし、司祭、修道者、宣教者、教会の責任を分けもった信徒が、その家庭に関心を持ち、対話と福音に生きることを共に求めていく姿勢を強めるならば、その家庭は、召命と奉献生活の最初の「神学校」になるように助けてくれるそれらの価値で、豊かにされることでしょう。
教区司祭、修道会の司祭たちが、家庭生活の問題に専念できるようにしましょう。そうすれば、福音を述べ伝えることによって、キリストの配偶者たちに、特別の責任についての光を与えることができます。そして信仰によく養成された親は、神に自らを完全に捧げるように呼びかけられている自分の息子や娘を、指導することができるようになるでしょう。
学校、病院、援助団体、小教区のなかで使徒的奉仕に従事することによって家庭にもっとも近く、また受け入れられているすべての奉献された人びとが、自分たちのすべての賜物の喜びに満ちたあかしをキリストに捧げるように。清貧、貞潔、従順の誓願に従って生きてきたかれらが、キリストの配偶者のための永遠の価値のしるしとなり、永遠の価値への招きとなるように。
小教区共同体が、家庭に対する使命の責任を感じ、目先の結果ばかりに目を向けることなく、長期的計画によって家庭を支援するように。
わたしは、家庭におけるカテキズムの仕事を、教会の責任を分けもった信徒、要理教育者、若い夫婦に託します。かれらの寛大で信仰に満ちた奉仕によって子どもたちは、宗教的で教会的経験の最初の味を知るでしょう。
司教職においての尊敬する兄弟たちに対するわたしの思いは特別です。なぜなら、かれらは召命の促進に対して第一に責任のある者だからです。召命の司牧的配慮が家庭のものと組織的に結合されるよう、あらゆる努力を払うよう、かれらにお願いします。

祈りましょう

 おお、ナザレの聖家族よ。イエス、マリア、ヨセフの愛の共同体よ。すべてのキリスト者の家庭の模範と理想よ。あなたにわたしたちの家庭をゆだねます。
すべての家庭の心を信仰に開いてください。すべての家庭の心を、神のみことばに対しても、キリスト者のあかしに対しても開いてください。すべての家庭が、新しい聖なる召命の源となりますように。
両親の心に触れてください。愛徳と、賢明な配慮と、愛に満ちた献身で、息子や娘のために霊的かつ永遠の価値への確かな導きとなるように。
若者の心の中に正しい良心と自由な意思を起こさせてください。「知恵と年齢と恵み」のうちに成長していく中で、神からの召命の賜物を寛大な心で喜び受け入れることができますように。
ナザレの聖家族よ。黙想し、粘り強く祈りを捧げて願います。どうかわたしたちに、あなた方のなかに生きている観想的で、熱心な祈り、寛大な従順、品位ある清貧、清らかな貞潔を、私たちすべてにお与えください。私たちが神のみ旨を行い、「わたしのために身を献げられた」(ガラテア2・20参照)主イエスにもっと近く従うよう招かれている人々と、先見の明のある感性をもって、共に歩んでいくことができますように。
アーメン

司教職について16年目の1993年12月26日 聖家族の祝日に
バチカンにて
ヨハネ・パウロ二世

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