1995年「世界広報の日」教皇メッセージ

1995年「世界広報の日」教皇メッセージ 「映画-文化と価値を伝えるもの」 親愛なる兄弟姉妹の皆さん  「世界広報の日」にあたり、「文化と価値を伝えるもの」としての映画について皆 さんに考えていただきたいと思います。ご承 […]

1995年「世界広報の日」教皇メッセージ
「映画-文化と価値を伝えるもの」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 「世界広報の日」にあたり、「文化と価値を伝えるもの」としての映画について皆 さんに考えていただきたいと思います。ご承知のとおり、映画百年を祝う行事が、世 界中で開催されています。   教会はこれまでにもしばしば、コミュニケーション・メディアの重要性について、 またこの困難な分野で働いている人々の責任の重さについて指摘してきました。19 89年の「世界広報の日」のメッセージで述べたとおり、「今日、教会が直面してい る問題は、もはや普通の人々が宗教メッセージを理解できるかどうかではなく、どの ようにコミュニケーション・メディアを生かして用いれば福音のメッセージを完全に 彼らに伝えることができるだろうかということです」。

 社会的コミュニケーション・メディアの中でも、映画は具体的な出来事について、 言葉よりは映像によって、大衆に影響を及ぼすことのできる手段です。ここで、私は イエスの生涯と受難や、多くの聖人たちの生き方を扱う数多くの映画を思い起こした いと思います。それらの多くはフィルム・ライブラリーで今もなお利用され、役立っ ているのです。

 キリスト教の映画だけでなく、異なったさまざまな文化や宗教などの映画にも常に、 注目と賞賛に値する人間的、宗教的諸価値があります。このことは映画が文化交流の 伝達手段としても用いられ、私たちの育った環境やメンタリティーと異なった現実に 対処する時に、開かれた姿勢や省察のための導きにもなっています。この点からも映 画の重要性を是認することができます。

 映画の文化で働く人々に、私はこの重要な文化的要因を帚することのないようにと 心から温かい支援を送りたいと思います。なぜなら、内容を欠き、娯楽のみを目的と したり、あるいは視聴者や観客の増加のみを動機として映画が制作されることになれ ば、それは人間の真の意味での深い要求と期待に合致しないからです。

 他のコミュニケーション・メディア同様、映画も個人の文化や人間の成長に多大に 寄与する一方で、もしそれが真理をわい曲したり、性や暴力シーンを使って人間の尊 厳に攻撃的であったり、視聴者の「関心を刺激し、暴力的感情をあおる傾向で」(教 皇ヨハネ・パウロ2世「世界広報の日」1981年)、行動の否定的な面を鏡のよう に映し出すならば、自由を、とくに最も弱い人々の自由を圧迫することになるのです (教皇ピオ12世「ミランダ・プロルスス」1957年参照)。福音書は私たちに、 「真理のみが私たちを自由にする」ことを教えています(ヨハネ8・32参照)。

 映画の分野で働く人々は、コミュニケーターとして周囲をとりまく現実や人々との 対話に心を開いていなければなりません。異なったさまざまな文化やその文化と共に 生きる人々をあわせて描写するというこのアプローチを意識するならば、それはすべ ての人々にとって肯定的な結果をもたらすのです。

 映画が見る人々の人間的、精神的成長に役立つためには、そのメッセージが十分に 理解されなければなりません。それゆえ、映画言語について視聴者教育を講じること は大切なことです。学校においても教師がこうした問題に関心を払いながら、学生た ちが映像への感性や批判的態度を徐々に育んでいくことは、たいへん有益です。

 私は家族の皆さんに、テレビやビデオの普及のおかげで日常、家庭に入って来る映 像を正確に読み、理解することの中で、子どもたちを教育していく義務が家庭に委任 されていることを今一度想起していただくことが大切だと思います。

視聴者教育の必要性ということにおいて、映画のもつ社会的構成要素は忘れらては なりません。とくに、若い人々が資格をもつ人々と共に、建設的かつ冷静に、他者の 意見を聞いたり、自分の意見を伝えたりすることを学ぶような映画サークルを組織す ることもたいへん役立ちます。

 広い可能性をもつ映画は、福音化の強力な手段となることができるでしょう。教会 は映画監督、制作者、キリスト者、映画の世界において働く人々や、すべての人々に 対して、各自の信仰に首尾一貫して行動し、勇気あるイニシアティブを発揮してくだ さるようにお願いします。制作部門においても、この世に、救いのよい便りであるキ リスト教のメッセージをあなたがたのプロ意識をもって人々に伝えるように要請いた します。

 教会は、とくに若い人々に、精神的にも道徳的にも援助を差し伸べる義務を感じざ るをえません。それなしには、価値あるやり方で映画が機能することはほとんど不可 能なのです。必要なところでは支持と奨励の適切なイニシアティブを発揮して、具体 的な方策を講じなければなりません。

 これらの言葉が内省とさらなる献身の機会のためとなるように希望しながら、私は 映画の仕事に携わるすべての人々に、そしてまた全人的成長と社会全体の成長のため の文化の真の媒体手段としての映画を利用するように努力している人々に、心から特 別の祝福を送ります。

1995年1月6日
主の公現の祭日に
   バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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