1996「世界病者の日」教皇メッセージ

1996「世界病者の日」教皇メッセージ
マリアは病者介護の模範です

教皇ヨハネ・パウロ二世は、1996年2月11日の第4回「世界病者の日」に向けて、「マリアは病者介護の模範です」と題するメッセージをイタリア語で発表した。「世界病者の日」は、1992年に現教皇が制定したもので、全世界のカトリック信者が心身に苦しみを持つ人々の痛みを分かち、熟考し、祈ることを目的としている。これまで「世界病者の日」の記念式典は、フランスのルルド、ポーランドのチェストコワ、そしてコートジボワールのヤムスクロで行われてきたが、第4回目の記念式典は、メキシコの「グアダルペの聖母聖堂」で行われる。


1996「世界病者の日」教皇メッセージ
マリアは病者介護の模範です

1. 「その病気についても他のどんな不幸についても、心配することはないのですよ。母であるわたしが、あなたの傍らにいるではありませんか。あなたは、わたしの陰に身を寄せ、守られているではありませんか。わたしは、あなたのよりどころではないのですか」。この言葉は、貧しい先住民クアウティランのフワン・ディエゴが、1531年12月、現在グアダルペと呼ばれるテペジャクの丘のふもとで、身内の病気をいやしてくださるようにと祈っていた時に、聖母が答えられたものです。
1996年2月11日の「世界病者の日」の荘厳な式典の場としてメキシコ市のこの有名な聖堂が選ばれたことは、愛するメキシコの教会が、尊敬を集めているグアダルペの聖母の聖画戴冠百周年(1895年~1995年)を祝っている時に重なりますので、特別に意味深いものがあります。
この日は、キリスト紀元2000年を迎える準備の第一段階(1994年~1996年)の中間に位置しています。この準備は、「人間の歴史における紀元2000年の聖年の価値と意味についての、キリスト者の意識を活性化することを意図しています」(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡『紀元2000年の到来』31項) 。教会は信頼をもって現代の出来事を見つめ、
「今世紀の終わりに現れている希望のしるし」の中に「人間生活にとって有益な科学的、技術的、医学的な進歩」(同、46項) があることを認めています。「病者のよりどころ」であるマリアの存在は、この希望のしるしに輝きを添えています。その希望のしるしのもとに第4回「世界病者の日」の準備をするにあたって、わたしは、人間の苦しみの代表ともいえる病いを肉体的にも精神的にも耐え忍んでいる人々にこのメッセージを送ります。また同様に、病者に兄弟的奉仕をすることで、救い主に完全に従おうと努めているすべての人にも、このメッセージを送ります。実に「キリストが父からつかわされたのは『貧しい人々に福音をもたらし、心の傷ついた人々をいやし』(ルカ4・18参照) 、『失われたものを捜して救う』(ルカ19・10参照) ためです。同じく教会も、人間的弱さに苦しむすべての人を愛をもって包み、さらに貧しい人や苦しむ人のうちに、貧しく苦しんだその創立者の姿を認めます」(『教会憲章』8項)。

2. それぞれ異なった形で苦しみを経験してきている兄弟姉妹の皆さん、あなたがたは人類の苦しみと慈しみの母であるマリアの導きのうちに、新しい福音宣教における特別な使命に呼ばれています。あなたがたは試練に満ちた日々の旅路にあって、歩みを共にしている医療関係者、家族、ボランティアの方々に支えられながら、この困難なあかしを続けています。わたしが使徒的書簡『紀元2000年の到来』の中で思い起こしたように、紀元2000年の大聖年の「全準備段階を通じて『間接的に』存在」し、「神と隣人への愛の完全な模範」である聖マリアが、母としていつもわたしたちに呼びかけておられる「キリストがあなたに言いつけることは何でもしなさい」(『紀元2000年の到来』43項, 54項参照)という言葉に耳を傾けましょう。
あなたがたは「病者のよりどころ」の心からのこの招きに応じることで、苦しみの福音をあかしすることによって神秘的に生命の福音を告知するという比類のないしるしを新しい福音宣教に刻みつけることができるのです(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅「生命の福
音」1項、同書簡『サルヴィフィチ・ドローリス』3項参照)。「組織化された医療使徒職は、福音宣教の一部です」(1995年6月23日、教皇庁ラテン・アメリカ委員会第4回総会での講演) 。

3. イエスの母は、この効果的な告知の模範であり、導き手です。「マリアは、人々の窮乏と貧困と苦悩の現実のなかで、彼らとイエスとの間に立っています。マリアは『間に入り』ますが、それは、第三者的な仲介者としてではなく、母の立場で、御子に人々の欠乏を示すことができる、いやむしろ、示す『権利を有する』ことを意識している者としてなのです。したがって、マリアがする仲介は執り成しの性格をもっており、マリアはあらゆる人々のために『執り成し』をするのです。さらに、マリアは、母として、御子のメシアとしての能力、すなわち、不幸な人を助け、形も深さもさまざまに人生に重くのしかかる悪から人を解放する能力が示されることをも望んでいます」(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『救い主の母』21項) 。
この使命は、教会生活に絶え間なく存在し続けています。教会が誕生した時(使徒言行録1・14参照) と同じように、「病者のよりどころ」であるマリアは、現在も「人々の再生のために教会の使徒的宣教活動に協力する人々が持つべき母性愛の模範」(『教会憲
章』65項)であり続けています。
グアダルペの聖母の聖堂における「世界病者の日」の荘厳な記念式典は、新世界の初期の福音宣教を、理想的な方法で新しい福音宣教に結びつけます。ラテン・アメリカの人々の間では、実際に、「おとめマリアを福音の気高い実現者として紹介しながら、福音が宣べ伝えられました。・・・この独自性は、福音宣教の黎明期に掲げられたグアダルペのマリアの混血者としての容貌にあざやかに映し出されています」(1979年「プエブラ文書」 282項、 446項) 。このように、至聖なるおとめマリアは、新世界におけるこの 500年の間、「ラテン・アメリカの最初の福音宣教者」、「福音宣教の星」(「新世界宣教 500年にあたり、ラテン・アメリカの男女修道者にあてた手紙」31項) となっているのです。

4. 宣教者としての務めを遂行するために、至聖なるマリアの執り成しによって支えられ力づけられた教会は、ラテン・アメリカの病者や苦しんでいる人々のために、配慮を表す書き物を出してきました。現在も、医療使徒職は、教会の使徒職の中で重要な位置を占め続けています。教会は、数多くの救急病院や施療センターで責任を取っており、最も貧しい人々のための医療の現場でも慎重に働いています。教会のこのような働きは、司教、司祭、修道者、大勢の信徒の寛大な献身のおかげです。これらの兄弟たちは、苦しみを体験している人々に直面することによって、際立った感受性を育ててきました。
もしラテン・アメリカから世界の果てにまで目を向けるなら、病者のために行っている教会の母としての数々の配慮に気づくでしょう。今日もなお、いや特に今日、苦しみの試練を受けている人々の悲嘆の声が人類からわき上がっています。すべての人が、戦争の残酷さにひどく苦しめられています。現在絶え間なく繰り返されている紛争の犠牲者は、主として最も弱い者、すなわち母親、子ども、高齢者です。どれほど多くの人々が飢えと病
気で弱り果てていることでしょう。最も基本的な援助でさえ期待できないでいます。また、
幸いに援助がなされている所でも、どれほど多くの病者が、信仰の光を通してさえも、自分の苦しみに建設的な意味を見い出すことができず、不安と絶望にさいなまれていることでしょう。
多くの医療関係者のすばらしい英雄的なまでの努力や、ますます多くなっているボランティアの方々の貢献も、現実の必要に応じるためには十分ではありません。わたしは、より多くの寛大な人を呼び起こしてくださるよう、主に願っています。苦しんでいる人々の前途に信仰の慰めに満ちた地平を開き、肉体的な助けだけでなく、霊的な支えとなる励ましを与えることのできる人を送ってくださるように祈っています。

5. 親愛なる病者の皆さん、そして、困難な歩みを共有しておられるご家族や医療関係者の皆さん、紀元2000年の大聖年に向けての霊的な巡礼において、あなたがたが福音による刷新の中心的な存在であることを意識してください。現代の歴史が示しているように、古
い形であれ新しい形であれ、いのちを侵害する恐るべき展望の中で、あなたがたはまさに、
「イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていた」(ルカ6・19) ために主に触れようとしていた群衆のようです。イエスが、「泣いている人々は幸いである」(ルカ6・21参照) と宣言し、山上の説教をされたのは、まさにこの群衆に向かってでした。苦し
むことと苦しむ人の傍らにいること、この二つの立場を信仰において生きる人はだれでも、
キリストの苦しみに触れるようになり、「世の贖いの《無限の宝の特別な部分》」(『サルヴィフィチ・ドローリス』27項)を共有することが認められるのです。

6. 試練にさらされている愛する兄弟姉妹の皆さん、苦しんでいるキリストと慈しみの母マリアとの深い交わりのうちに、あなたがたの苦しみを惜しみなく捧げてください。苦しんでいる方々の傍らで日々献身的に働いておられる皆さん、あなたがたの奉仕で福音宣教に貴重な貢献をしてください。どうか皆さんこそが教会の生きた部分であることを感じ取ってください。あなたがたにおいてキリスト者の共同体は、福音的な希望の存在理由を世に示すために(一ペトロ3・15参照) 、キリストの十字架と一致するように招かれているからです。「苦しんでいるあなたがたすべてに、わたしたちを助けてくださるようにとお
願いします。わたしたちは、弱い者であるあなたがたのその弱さで、教会と人類のために、
《力の源となってくださるように》お願いしたいのです。現代世界の中で見られる善と悪の諸力のおそるべき戦いにおいて、あなたがたの苦しみが、キリストの十字架と一致することによって、勝利を得るものでありますように」(『サルヴィフィチ・ドローリス』31項)。

7. 同じように教会共同体の司牧者である皆さん、また医療使徒職の責任者である皆さん、
わたしの訴えはあなたがたにも向けられています。健康と医療の膨大で複雑な問題に対して、神の民と市民社会そのものを意識化するために、ふさわしい計画をもって、この「世界病者の日」を記念するための適切な準備をしてくださるようお願いします。
医療関係者、つまり医師、薬剤師、看護士、看護婦、病院付き司祭、修道士、修道女、管理者、そしてボランティアの皆さん、また特に病者のための霊的奉仕や医療奉仕のパイオニアである女性の皆さん、どうか病者相互の交わりや病者の家族の交わり、教会共同体の交わりの推進役となってください。
 試練にさらされている人々が疎外感を決して感じないように、病者とその家族の傍らにいてください。苦しみの体験は、こうしてすべての人にとって、寛大に自分を差し出す自己贈与の学習の場となるでしょう。

8. あらゆるレベルでの民間の責任ある方々に、わたしは進んでこの訴えを差し出します。
苦しみの多いこの世にあって、教会が心を配り、かかわっている活動に、皆さんが一つの文明を築くための対話や出会い、協力の機会を見つけてくださることを願っています。その文明とは、苦しんでいる人々への連帯から始まり、正義、自由、愛、平和の道を常に歩んでいくことです。正義がなければ、この世は平和を知ることができないでしょう。平和がなければ、苦しみを減らすことはできないでしょう。
 苦しんでいるすべての人の上に、またその傍らで骨身を惜しまず尽くしておられるすべての人々の上に、わたしは、マリアの母としての助けがあるようにと祈ります。有名なグアダルペの聖母の聖堂で幾世紀にもわたって尊敬を受けてきたイエスの母が、多くの苦しみの叫びに耳を傾けてくださり、痛みのうちにある人々の涙を拭い、この世のすべての病者の側近くにいてくださいますように。愛する病者の皆さん、聖母は、十字架上のキリストの面影を反映しているあなたがたのつらいささげものを、御子に差し出してくださいます。
 わたしは、この願いとともに、熱い祈りをささげることを約束しつつ、すべての人に心からの使徒的祝福を送ります。

1995年10月11日
バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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