1996年「世界広報の日」教皇メッセージ

1996年「世界広報の日」教皇メッセージ 「女性の役割を生かすメディア」 親愛なる兄弟姉妹の皆さん  今年の世界広報の日のテーマは、「女性の役割を生かすメディア」です。このテーマは女性のために正義と平等を促進するためばか […]

1996年「世界広報の日」教皇メッセージ
「女性の役割を生かすメディア」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 今年の世界広報の日のテーマは、「女性の役割を生かすメディア」です。このテーマは女性のために正義と平等を促進するためばかりでなく、女性の「天性」(『女性の尊厳と使命』30、『女性への手紙』10参照)ともいうべき女性に与えられた特別な恵みの真価がますます認められるために、コミュニケ-ション・メディアには重大な使命があることを認めているものです。

 昨年、『女性への手紙』の中で、私は、この時代に女性であることの意義について、特に女性たち自身の対話が促進されるように勧めました(『女性への手紙』1参照)。私は「世界の多くの地域で、いまだに社会的、政治的そして経済的に完全に平等な生活から女性を遠ざけているいくつかの障害」について指摘しました(『女性への手紙』4)。これは、一つの対話です。人々はコミュニケーション・メディアによって、真に権利を育て、支えていくことができるからです。メディアに関わる人々は、しばしば、言葉を奪われ、辺境に追いやられた人々のよき代弁者となります。彼らは、今日の世界の女性に関する2つの重要な問題に、人々の意識に刺激を与えるかけがえのない立場にいるのです。 第一は、私の手紙で述べように、人類は妻であり母として選ばれた女性たちに、その生存を担ってもらっているにもかかわらず、母性に報いるのではなしに、しばしば不利な立場に追いやっていることです(『女性への手紙』4参照)。まさに基本的な神の望みに従っている女性たちが、経済的にあるいは社会的に、差別されているのは明らかに不正行為です。同じく、私はあらゆる領域で、真の平等の達成が急務であることを指摘しました。すなわち、賃金の平等、働く女性の保護、公平な昇進、家庭の権利としての配偶者間の平等、民主国家における市民の権利と義務のすべてが承認されること(N.4参照)。

 生命と愛の価値を根本的に承認すること   第二は、女性の真の解放を進めることは、もはや見逃すことができない正義の問題だということです。それはまた、社会福祉の問題でもあります。幸いにも、容易ならない社会問題の解決や社会の未来に対して、女性が果たすことができる役割に人々はますます気づいてきています。あらゆる領域で、「社会における女性の偉大な存在が、最も貴重であると証明されることでしょう。なぜなら、女性は、社会が効率と生産性の基準によってのみ組織された時、その矛盾した状態を明らかにするのを助け、『愛の文明』(同4)のしるしである人間化のプロセスを奨励することで社会組織を変えていくからです。

 「愛の文明」は、生命の価値と愛の価値を基本的に認めることのなかにこそあるのです 。女性には、特に、生命と愛の価値の双方で特別な恵みと資格が与えられています。生命に関して言えば、女性は、生命に本来備っている価値を認める責任があるばかりでなく、生命の伝達の神秘に親密にかかわる特別な能力をもっているのです。愛に関して言えば、女性には、対人関係に要求される深い洞察力が備っているので、レベルの高い意志決定を含む生活の様々な側面に、客観的判断をともなった女性の本質的な手腕を提供することができるのです。

 新聞、出版、映画、ラジオとテレビ、音楽産業、コンピュータ・ネットワークを含むコミュニケーション・メディアは、世界中の視聴者に迅速に情報を交換できる現代的な場となっており、そこでは、様々なアイデアや意見が交わされ、態度が形成され、実際に新しい文化が形づくられ続けています。ですから、メディアは、女性の諸権利ばかりでなく、女性に与えられた特別な賜物を社会が完全に承認し、正当に評価する際の意志決定に、力強い影響を与えるのは間違いありません。

 残念なことに、私たちはしばしば、メディアの中に、女性の尊重ではなく女性の搾取をしばしば見るのです。どんなにしばしば、神聖で不可侵な尊厳をもった人格としてではなく、快楽や権力欲を満たすためのモノとしてたびたび扱われてはいることでしょうか。どんなにしばしば、妻や母としての女性の役割が過小評価されたり、嘲笑さえ受けていることでしょう。どんなにしばしば、ビジネスや専門分野で働いている女性が、男性のカリカチュアとして描かれたり、『愛の文明』に大いに貢献する女性の洞察力、共感や理解力の特別な賜物がたびたび否定されていることでしょうか。

 メディアの焦点を真の社会のヒロインに   メディアの中で女性がよりよい扱い方をされるようになるためには、女性自身、多くのことができます。音楽教育番組を促進させたり、メディア産業の中で識別力のある消費者となるために、教育、特に、家庭教育に携わることによって。また、女性の尊厳を侮辱したり、社会での女性の役割を下落させるような番組や出版物にかかわっているプロダクション、出版社、放送局と広告主に自分たちの見解を知らせることによって。女性は、男性の役割分担に対して衝突したり模倣するのではなく、女性固有の『資質』を自分たちの仕事と専門的な活動に向けることによって。さらに、女性は、メディア制作の場で、責任ある立場が彼女たちに与えられるようにできますし、そうすべきなのです。

 メディアは、若者や未来を担う世代の模範となるような、キリスト教的伝統のなかにある聖なる女性を含む、社会の真のヒロインに適切に焦点をあてるべきです。この点で忘れてはならないのは、イエスに従い、すべてを捧げている多くの修道女たちです。彼女たちは、祈り、貧しい人々、病人、文字が読めない人、若者、お年寄り、障害ある人々への奉仕と祈りに自らを奉献しているのです。彼女たちの中には、「貧しい人に福音を告げ知らせるために」(ルカ4・18参照)、コミュニケ-ション・メディアに従事している人々もいます。

「わたしの魂は主の偉大さをあがめる」(ルカ1・46)。祝福されたおとめマリアは、神が彼女になされた『偉大な事』をさとり、いとこのエリザベトの挨拶にこのように答えたのです。メディアが伝える女性のイメージは、女性に与えられたすべての賜物が神の偉大さを示しているという理解が含まれねばなりません。それは、神が、愛と命、善と恵みを私たちに伝える方、神こそが、女性の尊厳と平等、女性の特別な『資質』の源だからです。

 私は、第30回「世界広報の日」に、コミュニケーション・メディアに携わるすべての人々、特に教会の兄弟姉妹の皆さんのために、祈ります。彼らが、社会における真に尊敬すべき女性の役割のイメ-ジを形成することによって、また、「女性についての完全な真理」(「女性への手紙」12)を明らかにすることによって、女性の尊厳と諸権利の真の向上を促進するように励ましたいのです。 

1996年1月24日
   バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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