1998年「世界広報の日」教皇メッセージ

1998年「世界広報の日」教皇メッセージ 「聖霊に支えられて、希望を伝える」 愛する兄弟・姉妹の皆さん 1.紀元2000年の大聖年準備の第2年目にあたり、今年はとくに聖霊について考え、教会とわたしたちの生活、そして世界に […]

1998年「世界広報の日」教皇メッセージ
「聖霊に支えられて、希望を伝える」

愛する兄弟・姉妹の皆さん

1.紀元2000年の大聖年準備の第2年目にあたり、今年はとくに聖霊について考え、教会とわたしたちの生活、そして世界における聖霊の働きに注目しています。霊は「人間の心において希望の守護者」(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『聖霊生命の与え主』67) です。そういうわけで、第32回「世界広報の日」のテーマを、「聖霊に支えられて、希望を伝える」としました。

 聖霊は、信者たちに希望を与えて彼らを支えていますが、その希望は、何よりも終末的なものです。それは、救いを受けるという希望であり、天の希望、神との完全な一致の希望です。このような希望は、ヘブライ人への手紙で言われているとおり、魂にとって頼りになる、安定した錨(いかり)のようなものであり、また、イエスが、わたしたちのために先駆者として入られた至聖所の垂れ幕の内側に入って行く (ヘブライ6 ・19-20参照) ようなものです。

2.とはいえ、キリスト者の心に宿る終末的希望は、この世の生活の幸福と実現に深く結びついています。天の希望は、今ここに生きている人々の幸せのために、本当に心をくだくようわたしたちを駆り立てます。「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」(一ヨハネ4・20) 。神はあがないのわざをもって、ご自分と人間との関係をいやしてくださいますが、そのあがないは、わたしたち人間相互の関係のいやしと平行しています。そして、あがないのわざから湧き出る希望は、この二つのいやしに根ざしています。

 このため、キリスト者が神の国の到来への希望を新たにし、また、自分たちを取り巻く世界にちりばめられた希望のしるしを注意深く読みながら、第三の千年期の扉を開く大聖年を準備することは、非常に重要なことです。希望のしるしの中には、次のようなものがあります。科学・技術の進歩、とりわけ人命に寄与する医学の進歩、環境に対する責任感の目覚め、正義と平和が損なわれている場にこれを回復しようとする努力、諸民族間の和解と連帯への望み、とくに世界の複雑な南北関係を改善したいとの望みなどです。教会にもまた、多くの希望のしるしがあります。例えば、さまざまなカリスマを受け入れ、信徒の成長を促す聖霊の声にいっそう注意深く耳を傾けていること、キリスト者一致のために深くかかわっていること、また、他宗教との対話や現代の文化との対話の重要性がますます認識されてきたこと (教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告『紀元2000年の到来』46参照) などを挙げることができます。

3.コミュニケーションに携わるキリスト者は、信頼できる希望を伝えることができます。しかしそのためには、まず自分が生活の中でそれを体験することが必要で、しかもそれは、ただ祈りの人にのみできることなのです。祈りは聖霊によって強められ、わたしたちが「抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備え」(一ペトロ3・15) させてくれるでしょう。このようにして、コミュニケーションに携わるキリスト者は、真理のうちに希望のメッセージを現代の人々に伝えることを学ぶのです。

4.次のことを決して忘れてはなりません。それは、メディアによるコミュニケーションが、ただ単に、誘導、勧誘、販売の効率を上げるためにだけ行われてはならないということです。ましてや、イデオロギーのための媒体ではありません。社会的コミュニケーションの手段は、時として、人間を単なる消費の単位と見なし、あるいは人々の間に対立する利益団体を作り、さらに、視聴者、読者、聴取者たちを、政党支持または商品販売上の利益が期待できる対象と見なして、彼らを操作します。こういうことが、共同体を破壊していくのです。コミュニケーションの使命は、人と人とのつながりを育て、その生活を豊かにすることであって、彼らを孤立させたり、彼らから搾取したりすることではありません。社会的コミュニケーションの手段が正しく利用されるとき、それは正義と愛に基づく共同体を作り、これを維持するのに貢献し、そのようにしている限り希望のしるしとなるでしょう。

5.社会的コミュニケーションの手段は、実に現代世界における新しい「アレオパゴス」です。アレオパゴスは、ギリシア時代によく利用されていた一つの大きな広場ですが、そこでは、正しい情報や建設的な意見、健全な価値観などがひんぱんにやりとりされ、そうすることによって共同体を作っていました。新しいアレオパゴスは、コミュニケーションにどう取り組めべよいかという課題を教会に投げかけます。それは、単に福音を普及するためにメディアを利用するだけでなく、現代的コミュニケーションによって創り出された「新しい文化」の中に、「新しい言葉、新しい技術、そして新しい心理状態」 (教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『救い主の使命』37) をもって、福音のメッセージを染み込ませるためにも利用すべきだということです。

 コミュニケーションに携わるキリスト者は、この種のメディア環境の中で効果的に働くことができるような養成を受けなければなりません。この養成は、次のような分野を包括的にもつべきでしょう。つまり、技術的能力の養成、倫理・道徳上の養成とくに、彼らの職業に関連する価値や重要な規律に注意を払うこと、さらに、人類文化・哲学・歴史・社会科学・美学に関する養成などです。しかし何よりも大事なことは、内的生活、霊的生活への養成でなければなりません。

 コミュニケーションに携わるキリスト者は、霊に満たされた祈りの人でなければなりません。祈りの人は、人々の間のコミュニケーションを育てるために自分の能力を伸ばそうとするとき、つねにいっそう深く神との交わりに入って行くでしょう。他者に希望を伝えるためには、「新たな福音宣教の中心的な主体者」(『紀元2000年の到来』45) である聖霊によって希望のうちに養成されなければなりません。

 おとめマリアは希望の完全な模範であり、コミュニケーションに携わるキリスト者は、その希望を自分自身のうちに抱き、そしてそれを他の人たちと分かち合うのです。「マリアは、主の貧しい民の切望を完全に表しただけでなく、神の約束に心から自らをゆだねる人々にとっての輝かしい模範です」(『紀元2000年の到来』48) 。マリアは、聖霊に深く聞き従うことによって、わたしたちのあらゆる希望の源である受肉の秘義に世界を開いてくださいました。大聖年への巡礼を続ける教会と心を合わせ、マリアの取り次ぎを願いましょう。

1998年1月24日
   バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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