2000年「第37回 世界召命祈願の日」教皇メッセージ

聖体-教会における召命と役務の源

2000年「第37回 世界召命祈願の日」教皇メッセージ
聖体-教会における召命と役務の源

尊敬する司教の皆さん
兄弟・姉妹の皆さん

復活祭の喜びにあふれるこの時期、今年は特に聖年という雰囲気のなかで、「世界召命祈願の日」が行われます。この日は、司祭職への召命および奉献生活への召命について、皆さんとともに考え、ともに分かち合う機会を与えてくれます。
さて、皆さんに提示したい今年のテーマは、大聖年の歩みに沿った「聖体-教会における召命と役務の源」というものです。今日は、このテーマについてごいっしょに黙想したいと思います。

聖体。これは、歴史のなかで生き、働かれるキリストの秘義ではないでしょうか。イエス・キリストは、聖体から、ご自分の弟子になるようにとたえまなく人びとを招きつづけ、一人ひとりに、「あなたの時が満ちている」と呼びかけておられます。

1. 「時が満ちると、神は、その御子を女から・・・生まれた者としてお遣わしになりました」(ガラテア 4・4)。「『時が満ちる』というのは、・・・みことばの受肉の秘義および世の救いの秘義と同じ」(ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡『紀元2000年の到来』1参照)です。つまり、本性としては御父と同じでありながら、おとめマリアの胎内で人となられた御子が、待望の「時」、恵みと慈しみの「時」、救いと和解の「時」を始められ、そして完成してくださいます。
キリストは造られた全てのもの、中でも人間に関する神のご計画を啓示されます。キリストは、「人間を人間自身に完全に示し」(現代世界憲章22)、永遠の神のみ心のうちに秘められていた「人間の高貴な召命を明らかに」(同)してくださいます。受肉したみことばの秘義は、全ての人が、キリストにおいて自己実現するとき、すなわち、御子によって人間が神の子となり、教会であるキリストの神秘体の構成メンバーとなるときはじめて、完全に明らかにされるでしょう。
聖年、特に御子の「時」が始まり、あがないのご計画が啓示されてから2000年を記念するこの大聖年は、全ての信者に、各自の召命について思いめぐらすよう促します。それは「御子の神秘体である教会を建てるために、御子が受けられた苦しみの欠けたところを満たす」(コロサイ1・24参照)ためです。

2. 「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った」(ルカ24・30―32)。
聖体は、イエスにかかわる啓示の頂点をなします。イエスはわたしたちの救いのために渡された御体と、流された御血によって、ご自分が何者であるかを明らかにし、あらゆる人の召命の意味を教えてくださいます。実に、人の生きる意味は、すべて、イエスの御体と御血のうちにあるのです。というのも、御体と御血によって、わたしたちにいのちと救いがもたらされたからです。
人は何らかの形で、キリストの御体と御血が、自分自身の存在と同じであることを認めなければなりません。人は、他者のために自分を無償で提供できればできるほど、自己実現していくものです。これが、聖体、すなわち主の過ぎ越しの記念であるパンとぶどう酒のしるしのうちに秘められた意味です。つまり、イエスの御体と御血をもって自分を養う信者は、それによって自分自身を他者への贈り物に変える力をいただくのです。聖アウグスチヌスは言っています。「あなたがたは自分がいただくお方と同じでありなさい。そして、あなたがたのありのままを受けなさい」(聖霊降臨の説教より)。
聖体礼拝において、ある人たちは司祭になるように、ある人たちは神の神秘の美しさと深さを観想するように、ある人たちは貧しい人びとや弱い人びとに愛を注ぐように、またある人たちは日常生活の現実や働きのなかに自分を変えていただく力を探すようにと招かれていることに気付きます。どの信者も、聖体のうちにただ自分の存在意義を解釈するかぎを見つけるだけでなく、それを実現する力をも見出す、つまり、異なるカリスマや召命によって、歴史のなかに現存しておられるキリストの、唯一の神秘体を築き上げていく力を見つけなければなりません。
エマオの弟子たちの物語(ルカ24・13―35参照)のなかで、聖ルカは、聖体のうちに生きておられる方によって引き起こされる事実を垣間見せてくれます。弟子たちは、「旅びと」が「パンを裂く」とき彼らの目が開け、「聖書の説明を聞いていた間」彼らの心が燃えていたことに気付きます。燃えるその心のうちに、わたしたちは、それぞれの召命への気付きとその発展を見ることができます。それは、過ぎ去る感動ではありません。イエスの聖体と過ぎ越しの神秘は、次第に、弟子たち自身の聖体と過ぎ越しになっていくのだという確信です。

3. 「若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが強く、神のことばがあなたがたの内にいつもあり、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである」(Iヨハネ2・14)。
「世の初めから代々にわたって隠されていた」(コロサイ1・26)神の愛の神秘が、「十字架のことば」(Iコリント1・18)のうちに今や啓示されました。愛する若者の皆さん、神の愛があなたがたのうちに宿るとき、それはあなたがたの力となり光となって、それぞれの召命の秘義を明らかにするでしょう。
あなたがたがどんな疑問や困難を抱えているか、わたしは知っています。自分を見失い、迷っているのも見ています。将来襲いかかるであろう恐れをも理解しています。しかし、それでもなお、わたしの頭と心には、司牧訪問の折に出会ったあなたがたのいきいきとした姿が焼きついています。そのとき、わたしは、あなたがた一人ひとりのうちに、真理と愛を真剣に追求する姿勢を確認したのでした。
主イエスは、わたしたちの間にご自分の幕屋をお作りになりました。聖体です。この聖体の幕屋から、全ての人にくり返しこう言っておられます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)。
愛する若者の皆さん、救い主イエスのもとに行きなさい。イエスを愛し、聖体の主を礼拝しなさい。主は、ミサのうちに現存なさいます。ミサは、秘跡をとおして、主の十字架上の供え物をいま現に在るものとします。さらに主は、聖体拝領によってわたしたちのうちに来られ、教会の聖ひつのうちにいてくださいます。主はわたしたちの友、すべての人の友、特に信頼と愛を必要とするあなたがた若者たちの友です。
この特別な歴史の変わり目にあたり、主の弟子になるための勇気を、主に願ってください。未来は、あなたがた若者が望むようになり、そのように建てていくのです。多くの暴力や抑圧のあと、世界は、一致と和解を実現するための「橋を架ける」ことのできる若い人びとを必要としています。神の招きにこたえる者もなくただ人間の文明だけを楽しんでいた世界はいま、愛するがゆえに招いてくださる神の呼びかけを信じ、これにこたえる男女を早急に必要としています。人間関係を汚染する猜疑心や不信感のあと、勇気のある若い人びとが、高い理想に開かれた知性と心をもって、人のいのちと人間関係に、真実と信頼を取り戻すことができるにちがいありません。
こうして、聖なる年は、全ての人にとって真に「主の恵みの年」、「召命の聖年」となるでしょう。

4. 「父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが、初めから存在なさる方を知っているからである」(Iヨハネ2・13)。あらゆる召命は御父からの賜物ですが、これもまた他の賜物と同じように、いろいろな人の手を経て届けられるものです。両親、教師、教会の牧者、召命担当者、あるいは信者の皆さんなどです。若い人びとが神の招きに気付くように協力し、これを支援してくださる方がたに、このメッセージを通して話したいと思います。
召命のための働きが、やさしい仕事ではないことをわたしも承知しています。しかし、自分の召命の魅力的なあかしほど称賛に値するものは他にない、ということを皆さんに思い出していただかずにはいられません。召命の恵みを喜んで生きる人、これを聖体との出会いのうちに毎日養い育む人は、多くの若い人びとの心に、神の招きに忠実にこたえるためのよい種を蒔くことができるのです。イエスがわたしたちのところに来られるのは、聖体においてです。聖体をとおして、イエスは、わたしたちに教会の交わりを活かす生命力を与え、世の人びとの前に、預言的なしるしとなるようにしてくださいます。
ここで、困難なこの任務に喜んで力を尽くしておられる召命担当者、司祭、修道者、信徒の皆さんに、愛をこめて感謝の意を表したいと思います。どんな困難のなかにあっても落胆せず、信頼してください。神の招きの種は、惜しみなく寛大に蒔かれるとき多くの実を結ぶでしょう。司祭への召命や奉献生活への召命が危機に瀕しているところでは、特にこの大聖年にあたり、一人ひとりの司祭、一人ひとりの奉献生活者が、自分の召命の素晴らしさを再び見出し、周りの人びとにそれをあかしするよう働く必要があります。
また、信者一人ひとりは、根本的な生き方の選択を提示することを恐れず、召命を育てる人になってください。どの共同体も、聖体が全ての中心であることをわきまえ、そのために聖体の役務者が必要であることを理解してください。
神の民はこぞって、刈り入れの主に、主の畑で働く人を送ってくださるよう熱心に祈ってください。この祈りを、永遠の司祭イエスの御母、聖マリアの取り次ぎにゆだねましょう。

5. 祈り

いと高き方のつつましい娘、おとめマリア、
あなたのなかで、神の招きの不思議が成就しました。
あなたは、信じる者のうちに、神が完成なさるもののイメージです。
あなたにおいて、自由な造り主が、造られた者の自由をほめたたえました。
あなたの御子は、ただ一度望んだだけで、
人を救う神の自由と、信じる者の従順を一つに結びました。
あなたに感謝します。
人間となった神の、そのこたえによって、神の招きは確かなものとなりました。
新しいいのちを初めに受けたあなたは、
わたしたち皆のために、喜びと愛の心で寛大に「はい」とこたえました。
招かれた者の母、聖マリア、
信じる者が、神の招きにこたえる勇気を持つように、
また、神と隣人に対する愛の、喜々としたあかしとなれるようにしてください。
大聖年から未来に向かう人類の歩みを導くシオンの娘、明けの星、
新しい千年期に生きる青少年を、
「すべての人を照らすまことの光」(ヨハネ1・9参照)へと導いてください。

アーメン。

1999年9月30日
バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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