紀元二〇〇〇年をめざして 教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡『紀元二〇〇〇年の到来』要旨

紀元二〇〇〇年をめざして 教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡『紀元二〇〇〇年の到来』要旨 大聖年準備特別委員会 ここで公開している文章は、1996年3月22日、大聖年準備特別委員会から発表された同名小冊子の全文です。 日本 […]


紀元二〇〇〇年をめざして

教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡『紀元二〇〇〇年の到来』要旨

大聖年準備特別委員会

ここで公開している文章は、1996年3月22日、大聖年準備特別委員会から発表された同名小冊子の全文です。

日本のカトリック教会の兄弟・姉妹の皆さん

教皇ヨハネ・パウロ二世は一九九四年十一月十日付で、使徒的書簡『紀元二〇〇〇年の到来』〈テルツィオ・ミレニオ・アドヴェニエンデ〉(邦訳・カトリック中央協議会発行)を出され、全世界の信者に向かって、紀元二〇〇〇年を聖年とし、しかも特別な意味をもち、どの聖年よりも重要であるとの意味合いから「大聖年」として迎えることを宣言されました。

教皇はこの大聖年を迎えるにあたり、反省と回心、祈りと学びによって準備していくことを勧めておられます。この紀元二〇〇〇年の大聖年の意味を、より多くの方々に理解していただき、教会共同体がともに祈り、学び、準備してい<ために、教皇のこの使徒的書簡の大意をよりわかりやすくまとめてみることにいたしました。

教皇の呼びかけに応えて、日本のカトリック教会も全信者を挙げて準備し、やがて来る第三の千年期、二十一世紀に、父なる神が望まれる、平和で人間らしい社会を実現する礎となることを願ってやみません。教皇が宣言された紀元二〇〇〇年の大聖年の準備に、このまとめが少しでもお役に立てば幸いです。

一九九六年二月二二日 聖ペトロの使徒座の祝日に

日本カトリック司教協議会大聖年準備特別委員会


目次

はじめに

I 紀元二〇〇〇年の聖年の意味

II 大聖年の準備と祝典

1 第一段階 普遍教会における反省と行動の時 一九九四年~一九九六年
2 第二段階 三位一体に向けられた準備 一九九七年~一九九九年
第一年 イエス・キリスト 一九九七年
第二年 聖霊 一九九八年
第三年 父である神 一九九九年
3 祝典への取り組み 二〇〇〇年

III 終わりにあたって

おわりに


I 紀元二〇〇〇年の聖年の意味

教皇は書簡の中の第一章「イエス・キリストは、きのうも今日も変わることのないかた」、第二章「紀元二〇〇〇年の聖年」の二つの章をさいて、聖年の意味を聖書や神学の面から説明しています。それによると、まず、イエス・キリストがこの世に神の子として来られたことが、あらゆるものの新しい始まりであり、イエスがこの世界を完成するただ一人のお方であることが強調されています。

「時が満ちて永遠のみことぱが被造物の状態に身をおいたという事実は、二千年前にベツレヘムで起きた出来事に唯一無二の宇宙的価値をもたらしています」(同書簡第一章3)〈注・以下、同書簡の引用は該当の章と番号のみ記載する〉と記されているように、イエス・キリストの誕生とそのご生涯こそ、私たちが祝う「聖年」の最も根本的な意味なのです。イエス・キリストが私たちの中に来られたことによって時間というものが重要な意味を帯びてきました。教皇は書簡の中で時間の重要性について次のように述べています。

「まさしく時間は、受肉によって神が人間の歴史に入ったことによって完成されました。永遠が時間の中にはいったのです。」(第二章9)

「キリスト教では、時間は根本的に重要です。時間という次元において世界は創造されました。救いの歴史は時間の中で展開し、受肉の『時の充満』において頂点を極め、時間の終わりにおける神の御子の栄光の再臨において目標を達成するのです。」(第二章10)

「このような神と時間の関係から、時間を聖化する務めが生じます。それはたとえば、かつて旧約の宗教において行われ、またキリスト教において新たな方法によって今も行われているように、個々の時間、日、週を神に奉献することによって果たされます。」(第二章10)

「以上の背景から、旧約に始まり、教会の歴史で継続されている『聖年』の慣行を理解することができます。」(第二章11)

また、旧約聖書の中で行われてきた聖年の伝統については、「ヨベルの年」と呼ばれる特別な安息の年の記述が、レビ記にあります。

「イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい。六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、七年目には全き安息を土地に与えねばならない。これは主のための安息である。畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない。休閑中の畑に生じた穀物を収穫したり、手入れをせずにおいたぶどう畑の実を集めてはならない。土地に全き安息を与えねばならない。」(レビ記25・2-5)

「あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四九年である。その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。五十年目はあなたたちのヨベルの年である。種蒔くことも、休閑中の畑に生じた穀物を収穫することも、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めることもしてはならない。この年は聖なるヨベルの年だからである。」(レビ記25・8-12)

この「ヨベルの年」について、『カトリック大辞典』(冨山房発行・上智大編)にはおおよそ次のような意味の説明があります。

◇ヨベルとは楽器の一種で、雄羊の角で作られたラッパである。このラッパをあがないの日に吹き鳴らすことによってあがないの年が始められたので、ラッパの年、ヨベルの年と呼ばれ、安息の年とされた。このあがないの年は、五十年目ごとに訪れ、自由と解放の年であった。この年には、売られた土地は所有者に帰り、奴隷はみな解放された。この律法が理想としたことは、神が土地.民の絶対的所有者であることを強調し、すべての人の社会的経済的平等をめざすことであった。(『カトリック大辞典』第五巻二八二頁参照)

このように、「ヨベルの年」とは、モーゼの律法によって、七年ごとに巡ってきた『安息の年』の慣行(畑が休閑となり、奴隷が解放されるなど)を、五十年ごと、さらに拡大し、より荘厳に祝う年なのです(第二章12参照)。「ヨベルの年の規定は、現実というより希望であり、大部分は理想に終わりました」(第二章13)が、イエス・キリストがこの世に来られたことにより、旧約の伝統は完成へと向かい始めるのです。(第二章13参照)

「当時、律法によって規定されていたように、ヨベルの年は、困っている人々を助けるために宣言される必要があったのです。」(第二章13)

このヨベルの年は、キリストの教会の誕生の後、カトリック教会の歴史の中で、どのように実現されてきたのでしょうか。『カトリック大辞典』によると、バヒロニアの捕囚後にはヨベルの年の実践は、厳密には行われていなかったようです。その後、中世の十字軍遠征当時に、現在の聖年の先駆のような時期が設けられたことがありましたが、現在の聖年が制定されたのは、一三〇〇年でした。(『カトリック大辞典」第三巻二五四頁、第五巻二八二頁参照)

「教会も、聖書にある五十年毎の安息の年、ヨベルの年、聖なる年を取り入れ、一三〇〇年、ポニファチオ八世教皇によって聖年と定められました。最初は百年毎でしたが、後に五十年毎になり、人が一生に一回でもその機会に恵まれるようにと、一四七〇年、パウロ二世教皇により、二五年毎に催されるようになりました。最近は、一九五〇年、ピオ十二世教皇のとぎ、一九七五年、パウロ六世教皇のときに、聖年が行われました。…聖年の年には、ローマの二大使徒の墓に建てられた聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂、さらに全世界の教会の母といわれるラテラノの聖ヨハネ大聖堂そして、雪の聖母を記念して建てられた聖マリア大聖堂の四つの大聖堂(建築様式上、バジリカといわれる)を巡礼する習慣になり、今日に至っています。

四大バジリカには「聖門」あるいは「聖なる扉」と称する扉が入口の傍にあり、聖年の年に開かれます。巡礼者は、大聖堂を訪間するとき、この聖なる扉をくぐって入るのです。」(『贖いの特別聖年』濱尾文郎著、一九八三年中央出版社発行十頁)

このように、教会の歴史の中に「聖年」という習慣が行われるようになったのは、イエス・キリストが私たちの時間の中にかかわってこられたことによるのです。そして「すべての聖年は、この『時』に注意を向けさせ…」(第二章11)、ことばと行いによって「主が恵みをお与えになる年」として、反省と回心によってこの『時』を迎える準備をし、より豊かに主の恵みをいただくのです。

また、この聖年は、教会にとって、罪のゆるしと償いの免除の年、抗争している人たちの和解の年、回心の年でもあるのです。(第二章14参照)

今、私たちが数年後に迎えようとしている紀元二〇〇〇年は、キリストの誕生から数えての二千年であり、キリスト者ばかりでなく、間接的に全人類にとって、とくに重要な大聖年となる(第二章15参照)ことが強調されています。そして、教皇はこの大聖年の大切さを次のような面(第二章16参照)から見ています。

1 『聖年』は英語では (The Great Jubilee) と表現し、「大きな喜び」を表します。それは心の中の喜びだけではなく、外に向けられたお祝いでもあるのです。神がこの世にいらしたことを喜んでいるしるしを、目に見える表現で表すことが大切になります。

2 教会は、この喜びをともにするためにすべての人々を招いています。

3 大聖年は、年としては他の年と同じですが、特別な年、どの年よりも重要な年としています。それは、教会が時間、日、年、世紀というような時間の尺度を大切にしているからです。

4 二十一世紀に向けて、教会はいろいろな教派に属するすべてのキリスト者の融和と一致を切に望んでいます。この大聖年が、いろいろな分野との協力のもとに準備されることを期待しています。

II 大聖年の準備と祝典

教皇は全信者に、紀元二〇〇○年の大聖年に向けて、反省・回心・祈りと学びによって準備するよう、呼びかけ、勧めています。

そして、この準備は、摂理的な出来事であった第二バチカン公会議によって、すでに広い意味での準備が始められていたと、断言しています。

第二バチカン公会議は、「世界に開かれた公会議」(第三章18)でした。この開かれた教会の姿勢は、不幸な二つの世界大戦も含めて、二十世紀に起こった多くの歴史の出来事によって変化してきた世界情勢に対しての、福音的な応答でもありました。また、この公会議は、教会を活性化し、生命力をもたらす新時代の始まりでもありました。そしてまた、二十世紀に起こったあらゆる出来事は、世界が浄化を必要としていることの表れでもあるのです。(第三章18参照)

教皇は、第三章で、第二バチカン公会議が示したものを挙げ、また、今世紀の歴代教皇が発表されたいろいろな社会教説、また、ご自分がこれまでに発表した教説を挙げ、これらの啓発的な指針の大切さと世界の平和と秩序を保つ大切さを説いています。

また、第二バチカン公会議が、その後の歩みの中で強調したテーマは、「福音宣教」であったこと、それは教皇パウロ六世の使徒的勧告『福音宣教』に基づいた、新しい福音宣教であったこと、それによって教会での信徒の参加領域が大幅に広がり、教会での信徒の責任が大きくなったことなどを、大切なこととして挙げています。(第三章21参照)

そして、大聖年の準備にあたり、次のことを強調しています。

「新しい千年期のために最良の準備は、第二バチカン公会談の教えをできる限り忠実に個人と全教会の生活に適用すること」(第三章20参照)

大聖年の具体的な準備については、使徒的書簡の第三章、第四章にわたって、年を追って、詳細に述べられています。それによると、準備の期間は大きく二段階に分けられており、第二の段階は本格的な準備の期間として、さらに三つの時期に分けられています。そして、最後に祝典への取り組みが具体的に示されています。次にこの準備の段階の時期や主旨、具体的テーマなどを分かりやすく表してみたいと思います。

第一段階

普遍教会における反省と行動の時 一九九四年~一九九六年
(以下、第四章31~38参照)

主旨

(1) 事前準備的な時。
(2) 人間の歴史の中での紀元二〇〇〇年の大聖年の価値と意味を、信者がより深く理解すること。

内容

この課題については、地方教会に対応する委員会を設置し、その委員会が信者の意識を高め、推進していくきめ細かな方法を考えて、実施していきます。(日本の場合は、日本カトリック司教協議会内に設置されている「大聖年準備特別委員会」がこの役割を果たします。)

強調点 悔い改めと和解

◇ 「…教会が、その子らの罪深さをより深く認識し、歴史の中で彼らがキリストの精神とキリストの福音から遠ざかり、世界に向かって信仰の価値に導かれた生活の証言をするかわりに、信仰の反対証言とつまずきとなった考え方や行動にふけったすべての時代を思い起こすことは、適切なことです。」(第四章33)

◇ 「教会は、過去の誤りと不信仰、一貫性のなさ、必要な行動を起こすときの緩慢さなどを悔い改めて自らを清めるよう、その子らに勧めることなくして、新しい千年期の敷居をまたぐことはできません。」(第四章33)

◇ とくに、過去千年に対しての教会の反省点

(1) キリストの教会の分裂、不一致

これに対しては、キリスト教一致の促進(エキュメニズム)をより熱心に進め、聖霊の働きをよりいっそう強く祈り求める必要があります。(第四章34参照)

(2) 教会の不寛容、暴力の行使の黙認

何世紀にもわたって、キリスト教の真理を広めていく際に、「ほんものの真理をあかしするためには、他者の意見を抑えつけたり、無視することも場合によってはやむをえないと、多くの人が思うようになったかもしれません。多くの要因はしばしば、不寛容を正当化する憶測を生み」(第四章35)ました。そして、教会の多くの信者たちが、愛と謙虚さに満ちたキリストの証人になる代わりに、不寛容で、暴力の行使を黙認してきた歴史的事実に対して遺憾の意を表明する義務から免れることはできません。(第四章35参照)

(3) 現代の影

現代は多くの光をもたらしましたが、反面、少なからぬ影ももたらしました。不正や差別がはびこる深刻な事態に対して多くのキリスト者に共同責任があること、「どれだけのキリスト者が教会の社会教説の原則を本当に理解し、実行しているかと問うてみる必要があります。」(第四章36参照)。その影として挙げられている、いくつかの例を列挙してみます。

イ 宗教的無関心
ロ 人間の生命の尊さについての感覚の欠如
ハ 生命と家庭の尊重という根本的価値観の混乱および倫理面での混乱
ニ 「不確実性の時代」の中での信仰生活のあり方
ホ 識別の欠如、それによって生じる全体主義政権による基本的人権の侵害の見過ごしと黙認

◇ 殉教者の教会

最初の千年期の教会は、殉教者の血によって生まれました。そして第二の千年期も、教会は再び殉教者の教会となりました。「このあかしを忘れてはなりません。教会は最初の数世紀、組織上の大きな困難に直面しながらも、殉教者のあかしについて心を配り、特別な殉教録を書き残しています。…わたしたちの世紀において、殉教者が再来しました。その多くは名前さえも分からず、あたかも神の栄光のためにいのちをささげた『無名戦士』であるかのようです。」(第四章37)

(更新中 1999.12.21 現在)

PAGE TOP