第38回「世界広報の日 (2004年5月16日)」教皇メッセージ

第38回「世界広報の日 (2004年5月16日)」教皇メッセージ メディアと家庭―その危うさと豊かさ― 愛する兄弟姉妹の皆さん、 1.情報媒体は驚くほど進歩し、その利用頻度がますます増大しています。これにより、個人だけで […]

第38回「世界広報の日 (2004年5月16日)」教皇メッセージ
メディアと家庭―その危うさと豊かさ―

愛する兄弟姉妹の皆さん、

1.情報媒体は驚くほど進歩し、その利用頻度がますます増大しています。これにより、個人だけでなく、家庭生活をも豊かにする良い機会が、これまでにないほど与えられています。同時に、今日の家庭は、豊富で、しかもたびたび矛盾するマスメディアからのメッセージから新たな挑戦を受けています。2004年世界広報の日のために選んだテーマ「メディアと家庭―その危うさと豊かさ―」は、まさに時宜にかなったものです。なぜなら、このテーマは、メディアの利用について家庭が熟考するよう促し、また逆に、家庭と家庭の関心事がどのようにメディアによって扱われているかを考えさせるものだからです。

 また今年のテーマは、あらゆるコミュニケーションが、すべて、倫理的な重要性をもっていることを、伝達者と被伝達者双方に思い起こさせてくれます。主イエスご自身が言われたように、「人の口からは、心にあふれていることが出て来る」(マタイ12・34~35)のです。人は、自ら話す言葉と、聞こうとして選び取るメッセージ次第で、倫理的成長のレベルを高めもすれば、また低下させもします。その結果、メディアの責任者や親、教育者の側には、メディアをいかに使うかを見極める叡智や識別力がとくに要求されます。なぜなら、彼らの決定は、自分たちに責任があり、また最終的には社会の将来を担う子どもたちや若者に多大な影響を及ぼすことになるからです。

2.ここ10年間、コミュニケーション・マーケットの空前の広がりのおかげで、世界中の多くの家庭、あまり贅沢しないつつましい家庭でさえも、今や、家に居ながらにして、無限でしかも豊富な情報源を使用できます。その結果、彼らは、情報・教育・文化の伝播、そして精神的成長に至るまで、事実上、無限の機会が与えられていることに満足しています。それは、かつて、ほとんどの家庭に可能であった程度をはるかに超えています。

 けれども、またこの同じメディアは、生命や家庭・宗教・道徳に対する不適切、または、ゆがんだ見方を提供することによって、家庭に重大な弊害をもたらす力も備えています。第2バチカン公会議は、この力が、宗教・文化・家庭など伝統的価値を明らかに強めもすれば踏みにじりもすると理解しました。公会議は次のように教えています。「これらの機関を正しく使用するためには、それに従事しているすべての人が、道徳的秩序の規範をよくわきまえ、この分野でその規範を忠実に実践することが絶対に必要である」(広報機関に関する教令4)。どのような形のコミュニケーションであれ、常に真理と人間の尊厳を尊重する倫理的基準から示唆を得なければなりません。

3.こうした考察は、とくにメディアの中で家庭がどのように扱われているかという問題にも適応されます。一方では、結婚と家庭生活は、しばしば大変微妙な仕方で表現されています。それは現実的ながら同時に同情的であり、愛や忠実、ゆるし、他者への寛大な自己献身のような徳を賞賛しています。これはまた、夫婦や家庭が経験する避けがたい失敗や幻滅 ― 緊張・対立・敗北・誤った選択・傷つける行為など ―を認めながら、同時に悪から善を、偽りの愛から真の愛を切り離し、また、社会の基本的単位である家庭のかけがえのない大切さを示すよう努力するメディアの表現についても言えることです。

 他方、家庭と家庭生活は、あまりにもしばしばメディアでは不適当に表現されています。不忠実、不倫、そして、結婚の誓約という道徳的精神的視野の欠如など、無批判に表現されている一方、離婚、避妊、堕胎、同性愛などは積極的に支持されています。このような表現は、結婚と家庭に有害となる要因を助長することによって、社会の共通善に害を及ぼしているのです。

4.コミュニケーションに関するこうした道徳的重要性は、次のような実践的な観点から入念に見直さなければなりません。すなわち、幸せな家庭にメディアが与える脅威を取り除き、コミュニケーションという強力な手段が豊かさの真の源であり続けることを確認するという観点です。この点についての特別な責任は、伝達者自身と公的権威、そして親にあります。

 教皇パウロ六世は、次のように指摘しました。「広報責任者は、家庭のニーズを知り、尊重すべきであり、そうすることは、ときには、彼らの中にある真の勇気と、つねに高度な責任感が前提とされるのです」(1969年世界広報の日のメッセージ) 。商業宣伝の圧力や世俗化された思想に従わせようとする要求に抵抗することは、それほど簡単なことではありません。しかしこれは、責任ある報道人がしなければならないことです。家庭の基本的価値を脅かそうとする攻撃は、人類の真の善に対する攻撃であるため、危険性も高いのです。

 この同じ公的権威は、社会そのもののために、結婚と家庭をしっかり支える重要な義務があります。にもかかわらず、その多くは、家庭の深刻な危機現象や、家庭概念そのものの弱体化を助長するさまざまな実践支持グループの不健全な自由論争を受け入れたり、それに従って行動したりしています。検閲の力を借りなくても、メディアが家庭の善に反して行動しないことを確実にするために、公的権威は取り締まり政策や処分を適切に打ち立てることは基本的なことです。家庭を代表する者は、当然、この政策作りにかかわる重要な役割を担うべきです。

 メディアと公的分野での政策立案に携わる責任者は、伝統文化の保全を大切にする一方、国内、国際レベルで、情報源を公正に分配するよう図らなければなりません。メディアは、次のような印象を与えるべきではありません。すなわち、伝統文化の中の健全な家庭の価値観に敵対する目論見、または、グローバリゼーションが進む中で、世俗化した消費社会の価値と混同するような目的をもっていることです。

5.親は、子どもたちにとって第一の、そして最も重要な教育者であるように、メディアについても子どもたちの教育の第一人者です。親は、「家庭でのマスメディアの利用方法を注意深く節度あるものにする」(使徒的勧告「ファミリアリス・コンソルチオ」n.76)よう、自分たちの子どもを教育することが求められています。親が、このことを首尾一貫してよく実践するなら、家庭生活は質的に大いに向上することになります。子どもでも、メディアについての次のような大切なことがらを学ぶことができます。メディアは、メッセージの伝達に心を砕く人達によって作られていること、このメッセージとは、たとえば、物を買わせようとしたり、いかがわしい振る舞いにふけったりするなど、子どもに最も興味があるわけでも道徳的に正しくない何かに誘うこと、また子どもたちは、メディアに見出すものをうのみにしたり、軽々しくまねたりしてはならないことなどです。

 さらに親は、家でのメディアの利用に規律を与える必要があります。メディアを利用するに当たっては、計画性をもち、スケジュールを立て、子どもたちがメディアに没頭する時間を厳しく制限すること、娯楽を家庭に取り入れたり、ある種のメディアの利用を全面禁止したり、家庭の他の活動のためには、定期的にすべてのメディアを締め出したりすることもあるでしょう。   何にもまして、親は、まず自らがメディアを思慮深く、よく選んで使用することで、子どもたちのよい手本となるべきです。また他の家庭と一緒に、メディアの使用によって生じてくる問題や良い機会について学んだり、論じ合ったりするのは、しばしば大変助けになることがわかるでしょう。家庭は、制作者や広告主に、自分たちの好みを率直に告げるべきです。

6.社会広報のメディアは、確固とした人間と家庭の価値を促進し、これによって、社会の刷新に貢献する非常に建設的な可能性をもっています。理念作りや行動を左右するその大きな力を考慮して、広報の専門家は、自分たちが可能な限りあらゆる激励や援助、支持を、家庭に与えるだけでなく、性や結婚、家庭生活を伴う問題を取り扱う際には、叡智や正しい判断を働かせる倫理的責任をもっていることをよく承知すべきです。

 メディアは、多くの家庭から、親しい訪問客として毎日、歓迎されています。今年の世界広報の日にあたって、わたしは、広報責任者や家庭に対し、メディアが課すこの独特の特権と責務をよくわきまえるよう奨励します。「広報分野に携わるすべての人は、自分たちが、人類の世襲財産であり人間共同体全体を豊かにする計り知れない精神力の管理者であり統治者であることを認識していただきたいと思います」(広報専門家への書簡 8、ロサンゼルス、1987年9月15日)。そして、家庭が、生命と愛の共同体として生き、若者を健全な道徳的な価値の中で教育し、連帯・自由・平和の文化を発展させようと努力するとき、支持や激励、インスピレーションの源を、いつもメディアに見出すことができることを期待しています。

2004年1月24日
聖フランシスコ・サレジオの記念日に
バチカンにて
教皇ヨハネ・パウロ二世

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