教皇ヨハネ・パウロ二世の逝去に際して

キリストを信じる皆様 教皇ヨハネ・パウロ二世の逝去に際して  わたしたちは今日大変悲しい知らせを受けました。主は敬愛する教皇ヨハネ・パウロ二世を現地時間4月2日午後9時37分(日本時間4月3日午前4時37分)にみもとにお […]

キリストを信じる皆様

教皇ヨハネ・パウロ二世の逝去に際して

 わたしたちは今日大変悲しい知らせを受けました。主は敬愛する教皇ヨハネ・パウロ二世を現地時間4月2日午後9時37分(日本時間4月3日午前4時37分)にみもとにお召しになりました。享年84歳でした。26年余にわたってカトリック教会を導き、全世界の人々の和解と平和を訴え続けた教皇の逝去に際して深い悲しみを覚えます。
 教皇ヨハネ・パウロ二世は、1920年ポーランドに生まれ、自由を束縛された時代に、民衆に深く根付いたカトリックの伝統の中で育まれました。38歳で司教、44歳でクラクフの大司教となり、第二バチカン公会議を体験しました。その後、47歳で枢機卿に任命され、難しい時期にあった祖国を導きました。そして前任者ヨハネ・パウロ一世の急逝の後、58歳で第264代教皇に選ばれました。その在位期間は、昨年すでに教皇レオ十三世の在位期間を超えて、歴代3番目の長きにわたっていました。この長い在位期間をとおして、教皇は、深い信仰と強い精神力で最後まで自らを神と人々と教会に捧げ尽くしました。
 東欧出身で、現代史上の悲惨さを体験した教皇は、日本を含む世界129か国を歴訪し、人間への深い愛に基づく和解と平和の実現を呼びかけ続け、希望に満ちた21世紀を待ち望んでいました。 
 第二バチカン公会議の精神にもとづいて、教皇は諸宗教との対話と、キリスト教一致に向けて力を尽くしました。1986年と2002年に世界の宗教者をアシジに招いて、ともに平和を祈りました。2000年の大聖年には聖地エルサレムを訪問し、ユダヤ教との歴史的和解への一歩を踏み出しました。昨2004年には東方正教会に2人の聖人の遺物を返還し、長年の東西教会の分裂を乗り越える心からの望みを示しました。
 なにより印象的であったのは、教皇が常に示したすべての人への思いやり、特に、難民、避難民、貧しい人、病気の人、高齢者、子ども、女性への愛の心でした。現代社会を覆う「死の文化」を排して「いのちの文化」を生きることを強く訴えました。自らの老いと病の苦しみをキリストの受難に合わせて、最後まで苦しむ人のために祈り、連帯しようとした姿勢は世界の人々へのメッセージでした。
 教皇の逝去の知らせを受けたとき、次の聖句が心に浮かびました。「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました」(Ⅱテモテ4・7)。
 今、わたしたちは偉大なキリストへの奉仕者を失った悲しみのうちにあります。けれども、教皇ヨハネ・パウロ二世は、今や主とともにいつまでも変わることのない喜びのうちにあることでしょう。教皇が遺してくださった豊かな霊的遺産を大切にしながら、ともにみ国の建設のために働きたいと思います。
 地上での責任の重い長い活動を終えた教皇が主のもとで永遠の安息のうちに憩うこと
ができますように。

キリストにおいて

日本カトリック司教協議会会長
名古屋教区司教 アウグスチヌス 野 村 純 一

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