教皇逝去に際しての白柳誠一枢機卿の談話

 このたび教皇ヨハネ・パウロ二世ご逝去の知らせを受け深い悲しみのうちに、そのご冥福を祈っています。青年時代をポーランド社会主義体制のなかで、言論の自由、信教の自由の弾圧をつぶさに体験された教皇は、1964年クラコフの大司 […]

 このたび教皇ヨハネ・パウロ二世ご逝去の知らせを受け深い悲しみのうちに、そのご冥福を祈っています。青年時代をポーランド社会主義体制のなかで、言論の自由、信教の自由の弾圧をつぶさに体験された教皇は、1964年クラコフの大司教に就任、1978年に教皇に選出され、爾来一貫して教会の内部の事柄だけではなく、教会の社会に対する使命として、全ての人が人間らしく生きられる世界の樹立、平和と一致を目指し絶え間ない努力を傾倒してきました。東欧の変化には教皇の影響があったことは衆知のことですが、人類の和解、一致のためには、1980年ごろより目立って体力の弱くなられたにもかかわらず最期までその力を注がれたことは誠に敬服しております。

 世界で教皇ほど多くの人と直接お話を交わされた人はいないといわれていますが、いつも誠実に人と接し、特に病人、弱い立場の人には特別な配慮を示し、若者、新婚者を励ますことを常としておりました。教皇が二千年の大聖年にあたり教会の過去を省み、歴史の中に現れている教会の過ちを率直に認め、公に謝罪した誠実さに心を打たれたのは私ひとりではなかったと思います。

 日本の教会にとっては1981年の教皇訪日を忘れることができません。羽田空港にお着きになり大地に接吻し、日本への敬意をお示しになってから、長崎の空港からおたちになるまで、日本とその教会に対する大きな愛と期待を示されましたが、中でも原爆の地、広島から全世界に向けられた平和メッセージは多くの人に深い感銘を齎しました。「戦争は人間の仕業です。過去を振り返ることは将来に対して責任を担うことです」の言葉はいまも耳にこだましております。

 5月18日82歳を迎えられた教皇は、その後もイタリア国内、東欧の教会を訪れましたが、最近持病のパーキンソン病、狙撃による後遺症などで歩行が艱難になり大変心配しておりました。今回の悲報に接し、誠に偉大な教皇を失ったとのおもいでいっぱいです。

枢機卿 白柳誠一

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