教皇ベネディクト十六世の最初の一般謁見演説 ベネディクトという名前について

4月27日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、ベネディクト十六世の最初の一般謁見が行われました。以下は、一般謁見におけるベネディクト十六世の演説全文の翻訳です(原文はイタリア語)。なお、この演説の後、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語の要約と、ポーランド語、イタリア語による祝福が行われ、最後に主の祈りが唱えられました。


親愛なる兄弟姉妹の皆さん。

 皆様をお迎えして幸いに思います。そして、ここにおられる皆様と、ラジオやテレビを通じてこの演説を視聴しておられる皆様に、心からご挨拶をお送りします。ちょうど1週間前の水曜日に、システィーナ礼拝堂での枢機卿の皆様との最初の会見ですでに申し上げたとおり、ペトロの奉仕職を始めたこの数日の間、わたしは相対立する感情を覚えています。すなわち、神に対する畏れと感謝です。神は、わたしを使徒ペトロの後継者に選ぶことによって、何よりもわたしを驚かせました。わたしに委ねられた任務と責任の大きさのゆえに、わたしは心のうちでおののいています。しかしながら、神と、至聖なる母おとめマリアと、守護の聖人たちが助けてくださることへの確信が、わたしに落ち着きと喜びを与えます。わたしはまた、すべての神の民との霊的な結びつきに支えられています。先の日曜日に繰り返し申し上げたとおり、このすべての神の民が、絶えず祈りを通じてわたしを支えてくださるように、わたしはお願いし続けたいと思います。

 わたしの前任者であるヨハネ・パウロ二世が聖なる逝去を遂げられた後、今日、恒例の水曜日の一般謁見を再開します。この最初の謁見で、わたしはまず、自分がローマの司教、また普遍教会の牧者となったときに選んだ名前について、考えてみたいと思います。わたしがベネディクト十六世と名乗ることを望んだのは、敬愛すべきベネディクト15世と結ばれることを理想と考えたからです。ベネディクト15世は、第1次世界大戦による困難な時代に教会を導きました。ベネディクト15世は、勇気をもって、また真の意味で平和の預言者となりました。彼は大きな勇気をもって、戦争の悲劇を回避するために、また戦争の惨禍を少なくするために尽力しました。ベネディクト15世の足跡に従って、わたしは諸民族と諸国家間の和解と調和への奉仕のために、わたしの奉仕職をささげたいと望みます。平和という偉大な善は、何よりもまず神のたまものだと、わたしは心から信じています。この壊れやすい、貴重なたまものを、日々、すべての人が力を合わせて、祈り求め、守り、築いていかなければなりません。

 さらにベネディクトという名前は、偉大な「西方修道制の父」である、ヌルシアの聖ベネディクトゥスという特別な人物にちなんでいます。聖ベネディクトゥスは、聖キュリロスと聖メトディオスとともに、ヨーロッパの守護聖人です。ベネディクトゥスが創立したベネディクト会が少しずつ拡大したことが、ヨーロッパ大陸全体へのキリスト教の普及に大きな影響を与えました。そのために聖ベネディクトゥスは、ドイツで、特にわたしの故郷バイエルンで、大いに崇敬されています。聖ベネディクトゥスはヨーロッパ統合の基本的な基準点であり、ヨーロッパ文化・ヨーロッパ文明にとってキリスト教が切り離すことのできない起源であることを強く思い起こさせてくれます。
 わたしたちは、この西方修道制の父が、その『戒律』の中で自分の会の修道士に残した勧告を知っています。「キリストより何ものをも絶対に優先させない」(『戒律』第72章11。第4章21参照)。ペトロの後継者としてのわたしの奉仕を開始するにあたって、わたしは、わたしたちの存在においていつもキリストを中心とすることができるように、聖ベネディクトゥスの助けを祈りたいと思います。わたしたちの思いとすべての行いにおいて、キリストがいつも第一の場を占めますように。

 わたしは、敬愛すべき前任者であるヨハネ・パウロ二世を、愛惜の念をもって思い起こします。わたしたちは、ヨハネ・パウロ二世の残した特別な霊的遺産の恩恵にあずかっています。ヨハネ・パウロ二世は、その使徒的書簡『新千年期の初めに』の中でこう述べています。「わたしたちキリスト者の共同体は、ほんとうの意味で祈りの学びやとならなければなりません。そこでは、キリストとの出会いが、単に助けを願い求めるだけでなく、感謝と賛美、礼拝、観想、みことばへの傾聴、真の意味で心を奪われるまでの愛に満ちた熱烈な信心を通しても表されるように」(『新千年期の初めに』33)。ヨハネ・パウロ二世自身、この指示を実行に移そうとして、晩年の水曜日の教理講話で、『教会の祈り』の朝の祈りと晩の祈りの詩編の注解を行いました。ヨハネ・パウロ二世がその教皇職を開始するにあたって、前任者が始めたキリスト教の諸徳に関する考察を続けることを望まれたように(Insegnamenti di Giovanni Paolo II, I [1978], pp. 60-63参照)、わたしも、来週からの謁見で、ヨハネ・パウロ二世が準備した、晩の祈りの詩編と賛歌の後半についての注解を行うことを約束したいと思います。来週の水曜日に、先の1月26日の一般謁見をもってヨハネ・パウロ二世が教理講話を中断した、まさにその箇所から、わたしは再開します。

 親愛なる友人の皆様、お集まりいただいたことをあらためて感謝します。皆様がわたしを囲んで示してくださったご好意に感謝いたします。同じ気持ちを込めて、わたしは心から特別な祝福をお返ししたいと思います。この祝福を、わたしはここにおられる皆様と、皆様のご家族、そして皆様が大切にしておられるすべてのかたがたに与えます。

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