教皇ベネディクト十六世の2005年11月6日の「お告げの祈り」のことば 第二バチカン公会議閉会40周年を前に

教皇ベネディクト十六世は、11月6日(日)正午(日本時間同日午後8時)に、教皇庁公邸書斎の窓から、雨の中、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻 […]

教皇ベネディクト十六世は、11月6日(日)正午(日本時間同日午後8時)に、教皇庁公邸書斎の窓から、雨の中、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
この「お告げの祈り」のことばの中で、教皇は、第二バチカン公会議『神の啓示に関する教義憲章』について述べています。教皇は同じ文書について、9月16日に、「『啓示憲章』発布40周年記念国際会議参加者への挨拶」の中でも触れています。同挨拶の訳も、本ウェブサイトに掲載されていますので、ご参照ください。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 1965年11月18日、第二バチカン公会議は『神の啓示に関する教義憲章』を承認しました。この文書は、第二バチカン公会議全体を支える柱の一つです。『神の啓示に関する教義憲章』は、啓示とその伝達、聖書の霊感と聖書の解釈、教会生活における聖書の重要性について扱っています。
 それまでに行われてきた神学的刷新の成果を集約しながら、第二バチカン公会議はキリストを中心に置きました。公会議はキリストを「仲介者であり、全啓示の完結である」(『神の啓示に関する教義憲章』2)と述べています。実際、主キリストは、肉となったみことばであり、死んで復活したかたです。このかたが、行いとことばをもって、救いのわざを成し遂げ、神のみ顔とそのみ旨を完全に示しました。そこで、キリストの栄光ある再臨まで、他の新しい公的啓示を期待する必要がなくなったのです(同4参照)。
 使徒とその後継者である司教は、キリストが自分の教会に委ねたメッセージを保ちます。こうして、このメッセージはすべての世代に完全に伝えられます。このメッセージは、旧約聖書と新約聖書、および聖伝に収められています。そして、このメッセージの理解は、聖霊の助けのもとに、教会の中で進展します。この同じ聖伝によって、聖書の諸書の完全な正典が知られ、また、それらが正しく理解され、活用されることが可能になります。こうして、太祖と預言者に語った神は、教会に語り続け、さらに、教会を通じて、世界に語り続けます(同8参照)。
 教会は自分の力で生きているのではありません。教会は、福音によって生きており、そして、常に福音から、自分が歩む方向づけを与えられます。第二バチカン公会議の『神の啓示に関する教義憲章』は、神のことばを重視するよう強く促しました。教会共同体の生活の深い意味での刷新、とりわけ、説教、信仰教育、神学、霊性、エキュメニカル対話の刷新は、神のことばに基づくものだからです。
 神のことばは、聖霊の働きによって、信者を完全な真理へと導きます(ヨハネ16・13参照)。このような聖書の泉がもたらす多くの実りの中で、わたしは、古代から行われてきた「レクチオ・ディヴィナ」、すなわち聖書の「霊的読書」の普及について申し上げたいと思います。「霊的読書」とは、聖書のテキストに長時間とどまり、何度もテキストを読み返し、教父たちがいっているように、いわばテキストを「思いめぐらし」、テキストに含まれた「果汁」をすべてしぼり出すことです。こうして、テキストの「果汁」は黙想と観想の糧(かて)となり、具体的な生活を潤すことができます。「レクチオ・ディヴィナ」を行うための条件は、精神と心が聖霊の光によって、すなわち聖書に霊感を与えたかた自身によって照らされること、また、「敬虔に聞き入る」態度です。
 この態度の模範を示したのが、至聖なるマリアです。それはまさに、マリアがお告げを聞く姿において象徴的に示されています。おとめマリアは、天の使いを迎え入れたとき、聖書を黙想していました。それは、マリアがいつも聖書を手にしているか、その膝か書見台の上に置いていることによって示されています。これは、公会議が『神の啓示に関する教義憲章』で述べた、教会の姿でもあります。「神のことばをうやうやしく聞き・・・・」(同1)。
 教会が、マリアのように、神のことばに忠実に仕えるはしためとなり、常に力強い確信をもって神のことばを宣べ伝えることができるように、祈りましょう。こうして、「全世界の人々が、救いの教えを聞いて信じ、信じて希望し、希望して愛するように」(同)。

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