教皇ベネディクト十六世の2005年11月20日の「お告げの祈り」のことば 第二バチカン公会議閉会40周年を前に

教皇ベネディクト十六世は、11月20日(日)正午に、教皇庁公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。 […]

教皇ベネディクト十六世は、11月20日(日)正午に、教皇庁公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後に行われたイタリア語による祝福の中で、教皇は、奉献生活者のために次のように述べました。「明日(11月21日)の、聖マリアの奉献の記念日は、『祈る人のための日』、すなわち、観想生活を送る修道者の共同体のための日です。全教会を代表して、わたしは、修道院の禁域で行われる祈りに生涯をささげた人々に感謝したいと思います。この人々は、神と神の国が第一に優先されるべきであることを、雄弁にあかししているからです。わたしは、皆様がこの人々を、霊的また物質的な支えを通して支援してくださるようにお願いします」。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日は、典礼暦の最後の主日である、全宇宙の王であるキリストの祭日を祝います。おとめマリアから生まれた、父のひとり子は、その誕生が告げられたときから、「王」といわれました。この「王」とは、救い主の意味です。すなわち、この王は、預言者たちが約束した通り、ダビデの王座を継ぎ、永遠に支配するからです(ルカ1・32-33参照)。
 キリストの王としての威厳は、30歳になるまで、まったく現されることがありませんでした。キリストは30年間、ナザレで普通の生活を送ったからです。それから、イエスは、公生活において、新しい神の国を始めました。この神の国は、「この世には属していない」(ヨハネ18・36)ものでした。そして、イエスは、最後にその死と復活により、神の国を完全に実現しました。復活して、弟子たちに現れたとき、イエスは彼らにこういわれました。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(マタイ28・18)。この権能は、愛に由来するものです。この愛を、神は御子の奉献によって完全に示しました。キリストの国は、あらゆる時代の人々に与えられたたまものです。ですから、受肉したことばを信じる者は、「一人も滅びないで、永遠のいのちを得る」(ヨハネ3・16)のです。だからこそ、聖書の最後に置かれたヨハネの黙示録は、こう告げ知らせます。「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」(黙示録22・13)。
 「初めと終わりであるキリスト」。これが、40年前に発布された、第二バチカン公会議の『現代世界憲章』第1部の最後の節の標題です。神のしもべ、教皇パウロ六世のことばの一部を引用しながら、このすばらしい箇所は、こう述べています。「主は人間の歴史の終局、歴史と文明の熱望の焦点、人類の中心、すべての心の喜び、すべての期待の成就である」。
 続いてこういわれています。「われわれは彼の霊によって生かされ集められて、人類史の完結に向かって旅しているのであって、それは、『天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられる』(エフェソ1・10)という神の愛の計画にまったく一致する」(『現代世界憲章』45)。
 キリストが中心であるという考えに照らされながら、『現代世界憲章』は、現代の人間の置かれた状況、その召命と尊厳、また、その生活のさまざまな次元を考察しています。すなわち、家庭、文化、経済、政治、そして国際共同体です。人間、それもすべての人が、その召命を完全に実現することができるように、キリストを告げ知らせ、キリストをあかしすること――これが、昨日も、今日も、常に変わることのない教会の使命です。
 神が特別なしかたで王である御子と結びつけたかたである、おとめマリアによって、わたしたちが、御子がわたしたちの生涯を導く主であることを知り、キリストの愛と正義と平和の国の到来のために、忠実に協力することができますように。

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