仙台教区に新司教任命

 教皇ベネディクト十六世は、12月10日正午(日本時間 同日 20時)、マルチノ平賀徹夫神父(ひらが てつお 仙台教区司祭)を仙台司教に任命すると発表しました。前教区長の溝部司教が2004年5月に高松教区の司教に転任し、 […]

 教皇ベネディクト十六世は、12月10日正午(日本時間 同日 20時)、マルチノ平賀徹夫神父(ひらが てつお 仙台教区司祭)を仙台司教に任命すると発表しました。前教区長の溝部司教が2004年5月に高松教区の司教に転任し、司教座は空位となっていました。同教区の歴代教区長としては9代目となります。

 仙台司教に任命された平賀被選司教は、岩手県花巻市出身で60歳。これまで教区の司牧と福音宣教に力を注ぎ、1994年から2年間はカトリック新聞編集長、2003年に司教総代理、2004年からは司教空位に伴い教区管理者としてその責務を果たしてこられました。

 仙台教区は、1891年4月17日、日本北緯代牧区のうち北海道と東北地方(青森、岩手、宮城、福島、新潟、山形、秋田)を管轄区域として設立された函館教区が母体となっています。その後、1912年8月13日、函館教区から新潟、山形、秋田の3県が新潟知牧区として新設され、また1915年2月12日には、函館地区を除く北海道が札幌知牧区として独立し函館教区の管轄範囲は縮小されました。1936年3月9日、ローマ教皇庁の許可で司教座を函館から仙台に移し、教区名を仙台教区と改めました。さらに1952年12月、函館地区は仙台教区から札幌教区に移管され、仙台教区の管轄範囲は現在の青森、岩手、宮城、福島の4県となりました。

 同教区の教区長は、初代のアレキサンドル・ベルリオーズ師の後、アルフレッド・ウット師、アンドレ・デュマス師、マリー・ルミュー師、1941年に、キリシタン史の研究に大きな業績を残した浦川和三郎師と続き、1954年には小林有方師が後任として司教に叙階され、1976年3月20日に佐藤千敬師が司教に叙階、1998年の辞任まで教区の司牧にあたりました。その後、鷹觜(たかのはし)達衛師が教区管理者を務め、2000年9月9日、溝部脩師が司教に叙階されましたが、2004年5月に溝部司教が高松教区の司教転任に伴い、平賀徹夫師が教区管理者となり、教区は一日も早い新司教の誕生を待ち望んでいました。
 
 4県と広範囲に及ぶ仙台教区では早くから共同宣教司牧を導入し、司祭不在のときの信徒による集会祭儀や聖体奉仕者を養成することによって、信徒の育成と教区の活性化を目指しています。また前教区長の溝部司教が推進された若者の育成にも力を注いでいるところです。司教不在の期間が長かったこともあり、司祭と信徒が一丸となって宣教に励んでいるのが顕著に見受けられます。また現在、バチカンに列福申請中のペトロ・カスイ岐部神父と187殉教者の認定も最終段階を迎えて殉教者への思いが高まり、さらに東北・仙台は殉教者が多いことから、今回の新司教誕生は仙台教区だけでなく、日本教会にとり大きな喜びであります。2004年の統計によりますと、信者数は11、152人、小教区56、巡回教会10。

◆マルチノ平賀徹夫(ひらが てつお)被選司教略歴

1945(昭和20)年1月 2日 岩手県花巻市上根子(かみねこ)字熊堂生まれ
1974(昭和49)年9月16日 司祭叙階
1975(昭和50)年4月 一関教会
1981(昭和56)年1月 教区事務局長、一関・千厩(せんまや)・西仙台教会協力司祭、塩釜・白石教会主任代行
1989(平成 1)年11月 宮城県南地区担当
1994(平成 6)年4月 カトリック新聞社編集長
1997(平成 9)年4月 盛岡四ツ谷教会協力司祭
1998(平成10)年4月 大湊教会
2000(平成12)年4月 気仙沼教会
2001(平成13)年10月 仙台中央地区担当司祭
2003(平成15)年4月 司教総代理、古川教会主任代行
2004(平成16)年7月 教区管理者

仙台教区の被選司教マルチノ平賀徹夫師の叙階式の日取りが決まりましたのでお知らせいたします。

司教叙階式
日時 : 2006年3月4日(土)午後1時
場所 : 仙台白百合学園 レジナ・パーチス・ホール(講堂)

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