教皇ベネディクト十六世の31回目の一般謁見演説 主の降誕について

12月21日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の31回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、間もなく迎える主の降誕の神秘についての解説を行いました。以下はその全訳です(原 […]

12月21日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の31回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、間もなく迎える主の降誕の神秘についての解説を行いました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
謁見には15,000名の信者が参加しました。
謁見が行われた朝のローマの気温はセ氏9度でした。いつものように白いジープに乗ってサンピエトロ広場に現れた教皇は、この日、白いアーミンで縁どられた、赤いビロードの帽子をかぶっていました。この帽子は「カマウロ」と呼ばれ、12世紀から教皇がかぶるようになったといわれます。19世紀以降ほとんど用いられなくなり、近年の使用は教皇ヨハネ二十三世以来のことです。なお、教皇が通常用いている白い帽子は、「ピレオルス」と呼ばれます。
一般謁見の初めには小雨が降っていましたが、謁見の終わりには日が差しました。教皇は終わりにこう述べました。「太陽がまた顔を出して、わたしたちが考察したことを確かめてくれたことを感謝しましょう」。


 今日の一般謁見は、間もなくやって来る降誕祭を喜びをもって待ち望む雰囲気の中で行われます。主イエスは来ておられます。この数日間、わたしたちは、このことばを祈りの中で唱えながら、あがない主の誕生の喜びを味わうために心の準備をしています。特に、この待降節の最後の一週間にあたって、典礼は、わたしたちの内的な旅路をともに歩み、その支えとなっています。典礼は、わたしたちが、飼い葉桶に寝かされた謙遜な幼子のうちに救い主を認めることによって、救い主を迎え入れるようにと、繰り返し招きます。
 これこそが降誕の神秘です。わたしたちはこの神秘の理解を、さまざまなしるしを通して深めることができます。光も、こうしたしるしの一つです。光はたいへん豊かな霊的意味をもっています。それで、わたしはこの光のしるしについて、簡単に考えてみたいと思います。
 わたしたちの住む北半球では、降誕祭は、冬至と重なります。この日、太陽は南中高度を下げるのを止め、また、この日から、季節の運行に従って、昼の長さがだんだん長くなります。そこから、わたしたちは、光が闇に勝るというテーマをもっとよく理解できるようになります。光は、人間の内面にまで達する現実を表すしるしです。ここでいう光とは、悪に打ち勝つ善の光、憎しみを乗り越える愛の光、死に勝利を収めるいのちの光です。
 降誕祭がわたしたちに考えさせるのは、このような内的な光、神からの光です。この光によって、神の愛が罪と死に決定的に勝利を収めたことが、もう一度わたしたちに告げ知らされます。だから、わたしたちが今過ごしている降誕祭前の9日間の典礼では、何度も、重要なしかたで、光について述べられるのです。
 今日の謁見の初めに歌われた、(12月21日の晩の祈りの)福音の歌の交唱も、わたしたちにこの光のことを思い起こさせてくれます。諸国の民が待ち望んでいた救い主は、さしのぼる太陽として迎えられます。それは道を示し、民を導く星です。民は、暗闇と世の危難のただ中を、救いをめざして歩みます。神が約束したこの救いは、イエス・キリストによって実現されました。
 わたしたちは、家族や教会共同体とともに、喜びをもって救い主の誕生を祝う準備をしています。けれども、現代のある種の消費文化は、主の降誕を祝うためにキリスト信者が用いるしるしを消そうとしています。ですから、わたしたちは、降誕祭を祝う伝統がもつ価値を理解しようと努めようではありませんか。降誕祭の伝統は、わたしたちの信仰と文化の遺産の一部であり、新しい世代にわたしたちの信仰と文化を伝えるための手段です。
 特に、町の通りや広場に飾られたイルミネーションが輝くのを見るときに、それらの光がもう一つの光を示そうとしていることを、思い起こそうではありませんか。その光は、わたしたちの目には見えなくても、心で見ることのできる光です。この光を仰ぎ見ながら、教会のろうそくや、自分の家の馬小屋とクリスマスツリーに明かりをともすときに、わたしたちの心が、すべての善意の人に与えられた、真の意味で霊的な光に開かれますように。ベツレヘムでおとめマリアから生れた、わたしたちとともにおられる神――このかたこそ、わたしたちの人生を導く星です。
 「おお、さしのぼる朝日、永遠の光の輝き、あなたは正義の太陽。日のあたらない陰に生き、闇に埋もれている人を照らしに来てください」。わたしたちも、今日の教会の祈りのこの招きのことばを唱えながら、主が急いでわたしたちのところに、またすべての苦しむ人々のもとに、栄光を帯びて来てくださるよう祈りましょう。人間の心が真に待ち望むことを満たすことができるのは、主だけだからです。
 この沈むことのない太陽の光であるかたが、わたしたちに、常に真理と正義と愛の道を歩む力を与えてくださいますように。沈黙のうちに耳を傾けた、おとめマリアとともに、この降誕祭に先立つ日々を熱心に過ごそうではありませんか。完全なしかたで聖霊の光に包まれたかたであるマリアの助けによって、わたしたちが、キリストの降誕の神秘をすみずみまで理解し、味わうことができますように。
 このような心をもって、わたしは、間もなく祝おうとする主の降誕を心から待ち望みながら、皆様が内的な驚きを生き生きと保ってくださるようお願いします。喜びをもって、ここにお集まりの皆様、皆様のご家族、共同体、そして皆様の愛する人々が、聖なる喜ばしい降誕祭を迎えられますことを心よりお祈りいたします。

 皆様にとって、よい降誕祭となりますように。

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