教皇ベネディクト十六世、降誕祭メッセージ(ローマと全世界へ)(2005.12.25)

12月25日(日)正午に、サンピエトロ大聖堂バルコニーから、教皇ベネディクト十六世は、教皇就任後最初の降誕祭のメッセージを発表しました。メッセージは「ローマと全世界へ」(ウルビ・エト・オルビ)と呼ばれ、毎年、降誕祭と復活 […]

12月25日(日)正午に、サンピエトロ大聖堂バルコニーから、教皇ベネディクト十六世は、教皇就任後最初の降誕祭のメッセージを発表しました。メッセージは「ローマと全世界へ」(ウルビ・エト・オルビ)と呼ばれ、毎年、降誕祭と復活祭に発表されています。以下はその全訳です。
メッセージの発表の後、32か国語による祝福が述べられました。教皇は29番目に日本語で次のように述べました。「クリスマスと新年おめでとうございます」。最後の祝福は、メッセージの中でも引用されている次のことばを用いて、ラテン語で行われました。「人よ、目覚めなさい。神はあなたのために人となったからである」(Expergiscere, homo: quia pro te Deus factus est homo!)。これは、教皇が今年のクリスマスのグリーティングカードに書いたことばでもあります。
降誕祭のメッセージの原文はイタリア語ですが、翻訳は、イタリア語原文を参照しつつ、教皇庁が発表した英語訳を底本として用いました。


 「わたしは・・・・大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(ルカ2・10-11)。
 昨夜、わたしたちは、天使が羊飼いたちに告げた知らせをもう一度聞きました。そして、わたしたちは、あの聖なる夜、ベツレヘムの夜の雰囲気をあらためて味わいました。その夜、神の子は人となりました。神の子は、貧しい馬小屋に生まれ、わたしたちの間に宿られました。このおごそかな日に、天使の知らせがもう一度響き渡ります。その知らせは、わたしたち第三千年期の人間に、救い主を迎えるように招いています。現代世界の人々が、ためらうことなく、自分の家、自分の町、自分の国、地上のすべてのところに、救い主を迎え入れることができますように。過ぎ去ったばかりの千年期、特に前世紀に、技術と科学の分野は大きな進歩を遂げました。わたしたちは現代、莫大な物質的資源を利用することができます。けれども、技術の時代に生きる人間は、自らが作り出した知的・技術的成果の犠牲となる危険にさらされています。人々は、霊的な貧困と心の空しさを感じています。だからこそ、わたしたちにとって、自分の思いと心をキリストの誕生に向けて開くことが、とても重要なのです。この救いの出来事は、すべての人の生活に新しい希望を与えることができるからです。
 「人よ、目覚めなさい。神はあなたのために人となったからである」(聖アウグスチヌス『説教185――主の降誕について』)。第三千年期の人よ、目覚めなさい。
 主の降誕のとき、全能の神が幼子となり、わたしたちの助けと保護を求めました。神が自分が神であることを示したしかたは、わたしたちの人間としてのあり方を問いかけます。神はわたしたちの戸をたたいて、わたしたちと、わたしたちのもつ自由について問いかけます。神は、わたしたちが自分の人生をどのように考え、また生きているかを吟味するよう求めます。多くの場合、近代は、理性の眠りからの目覚め、暗黒の時代の後に来た、人類の啓蒙の時代と考えられています。しかし、キリストの光なしに、理性の光だけで人類と世界を十分に照らすことはできません。だから、降誕祭の福音は、現代、これまでにもまして救いの知らせとなるのです。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(ヨハネ1・9)。「実際、人間の秘義は肉となられたみことばの秘義においてでなければ、ほんとうに明らかにはならない」(『現代世界憲章』22)。教会は、40年前に閉幕した、第二バチカン公会議が確認した、この希望の知らせを、うむことなく繰り返して述べます。
 現代に生きる皆様。成人となっても、弱い精神と意志しかもたないことがある人類の皆様。ベツレヘムの幼子に手をとってもらってください。恐れることはありません。ベツレヘムの幼子に信頼してください。ベツレヘムの幼子は、いのちをもたらす光です。この光が、倫理的な意味でも経済的な意味でも、公正な関係に基づく、新しい世界秩序を築く努力をするよう、わたしたちを促します。ベツヘレムの幼子の愛が、地上のすべての人を導き、自分たちが「家族」であるという共通の意識を強めてくださいますように。わたしたちは「家族」として、信頼関係と相互扶助を推進するように招かれているからです。人類が一致することによって、わたしたちは、現在の多くの困難な問題に立ち向かうことができます。すなわち、テロの脅威や、何百万の人を苦しめている貧困、また、武器の増加や、わたしたちの住む地球の未来を脅かしている、流行病と環境破壊といった問題です。
 人となられた神が、人類への愛をもって、アフリカで平和と、完全な発展と、内紛の防止のために活動しているすべての人を強めてくださいますように。彼らは、現在のいまだに不安定な揺れ動く政情を安定化し、ダルフールや他の中央アジアの地域の人々のような、悲惨な人道的状況に置かれた人々の基本的な権利を擁護しています。人となられた神が、ラテンアメリカの人々を、平和と和解のうちに暮らせるように導いてくださいますように。人となられた神が、聖地イラク、またレバノンの善意の人々を力づけてくださいますように。これらの地では、少なからぬ希望のしるしが、公正と知恵から生れる行動によって強められることを必要としています。人となられた神が、朝鮮半島や他のアジアのさまざまな国における対話の流れを進展させてくださいますように。こうして、危険をもたらす分裂を克服して、友愛の精神をもって、持続的かつ平和的な解決がもたらされることができますように。こうした解決こそ、これらの国の人々が心から待ち望んでいるものだからです。
 降誕祭にあたり、わたしたちは、人となられた神を仰ぎ見ます。神の栄光は、布にくるまって飼い葉桶に寝かされている、貧しい幼子のうちに隠されています。宇宙の造り主が、へりくだって、何もできないみどりごとなられたのです。この降誕の逆説を受け入れることによって、わたしたちは、わたしたちに自由をもたらす、真理であるかたと、わたしたちの生活を作り変える、愛であるかたを見いだします。ベツレヘムの夜、あがない主はわたしたちと同じ人間となり、わたしたちとともに、歴史の危険な道のりを歩き始めてくださいました。あがない主がわたしたちに差し伸べる手を、迎え入れようではありませんか。あがない主の差し伸べる手は、わたしたちから何も取り去ることを求めません。それは、ただ与えることだけを望んでいます。
 羊飼いたちとともに、ベツレヘムの馬小屋に入ろうではありませんか。馬小屋は、マリアの優しいまなざしに見守られています。そのまなざしは、驚くべき誕生を沈黙のうちにあかししています。マリアの助けによって、わたしたちが降誕祭を喜びのうちに過ごすことができますように。わたしたちのために人となられた神の神秘を心に収めることができるように、マリアがわたしたちを教え導いてくださいますように。マリアの助けによって、わたしたちが、人となられた神の真理と愛と平和を、現代世界にあかしすることができますように。

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