教皇ベネディクト十六世の2006年3月5日の「お告げの祈り」のことば 荒れ野について

教皇ベネディクト十六世は、3月5日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。 この日 […]

教皇ベネディクト十六世は、3月5日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
この日、3月5日夕方から、11日(土)朝まで、教皇庁内の黙想会が始まります。黙想会は5日午後6時の聖体顕示・晩の祈り・黙想・聖体礼拝と聖体賛美式をもって始まります。6日以降の日程は、午前9時、朝の祈りと黙想。10時15分、三時課と黙想。午後5時、黙想。5時45分、晩の祈り・聖体礼拝と聖体賛美式です。最終日の11日は、午前9時に朝の祈りと結びの黙想が行われます。今回の黙想会は、3月1日の41回目の一般謁見演説の際にすでにお知らせした通り、ヴェネツィア名誉総大司教のマルコ・ツェ枢機卿の説教により、「マルコによる福音書に導かれて、イエスとともに復活祭に向けて歩む」のテーマで行われます。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 先週の水曜日から、わたしたちは四旬節を始めました。そして今日、わたしたちは四旬節第1主日を祝います。四旬節第1主日は、キリスト信者に、復活祭を準備する旅をしっかり歩むよう促します。今日の福音はこう述べています。ヨルダン川で洗礼を受けた後、イエスは――イエスの上にとどまり、イエスがキリストであることを現した聖霊に導かれて――40日間ユダの荒れ野に赴きました。そこで、イエスはサタンからの誘惑を退けました(マルコ1・12-13参照)。自分たちの師であり主であるかたに従って、キリスト信者も、イエスとともに「悪霊との戦い」に臨むために、霊的な意味で四旬節の荒れ野に入ります。
 荒れ野ということばは、人間の置かれた条件をきわめて雄弁に語るたとえです。出エジプト記は、イスラエルの民の経験を物語っています。イスラエルの民は、エジプトを脱出してから約束の地に着くまで、40年の間、シナイの荒れ野をさまよいました。
 この長い旅の間、ユダヤ人は、ありとあらゆる執拗な誘惑の力を体験しました。この誘惑の力により、ユダヤ人は、主への信頼を失って、引き返すように促されました。しかし、同時にユダヤ人は、モーセの執り成しのおかげで、主の声に聞くことを学びました。主は、ユダヤ人が主の聖なる民となるように招いたからです。
 この聖書のことばを黙想することによって、わたしたちが自由を用いて自分の人生を完全なしかたで実現するには、自由そのものがもたらす試練、すなわち誘惑を乗り越えなければならないことがわかります。人間の人格は、偽りと罪から解放されて、信仰への従順のうちに真理へと開かれます。こうして初めて、人間は自分の人生の意味を完全な意味で見いだし、平和と愛と喜びに満たされます。
 だからこそ、四旬節は、精神の集中と、祈りと、悔い改めを通じて、生活を注意深く見直すための絶好の機会なのです。今日の午後から今週の土曜日まで、ここ教皇公邸において、恒例の黙想会が行われます。黙想会は、わたしと教皇庁におけるわたしの協力者たちが、いっそう意識的に四旬節にふさわしい雰囲気に入るのを助けてくれることでしょう。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。祈りをもってわたしを支えてくださるよう、皆様にお願いします。わたしも主の前で祈ることを約束いたします。すべてのキリスト信者にとって、四旬節が、回心をもたらし、聖性へといっそう大胆に駆り立てられる機会となりますように。この意向のために、おとめマリアの母としての執り成しを祈り求めましょう。

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