教皇ベネディクト十六世の43回目の一般謁見演説 キリストの証人・使者としての使徒

3月22日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の43回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、「キリストの証人・使者としての使徒」について解説しました。以下はその全訳です(原 […]

3月22日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の43回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、「キリストの証人・使者としての使徒」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、マルコによる福音書1章16-20節が朗読されました。謁見には35,000人の信者が参加しました。
演説の後、行われた各国語での祝福の最後に、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。「明後日の3月24日は世界結核デーです。わたしは、わたしたちの病気の兄弟姉妹の治療のために必要な物資が供給されるように、国際的な次元での取り組みがあらためてなされることを願います。これらの兄弟姉妹はしばしばきわめて貧しい生活を送っているからです。わたしは、これらの病気の兄弟姉妹への支援と援助が計画されることを促します。そして、彼らに常にふさわしい生活条件が保証されることを希望します」。
世界結核デーは、1882年3月24日にロベルト・コッホ(1843-1910年)が結核菌の発見を発表したことにちなんで、定められました。現在も世界の結核による死者は年間170万人に上ります。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 エフェソの信徒への手紙が示しているように、教会は「使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエスご自身です」(エフェソ2・20)。ヨハネの黙示録では、使徒――より正確にいえば十二使徒の役割は、終わりの日の天のエルサレムという観点から説明されています。そこで示される天のエルサレムという都の「城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の名前が刻みつけてあった」(黙示録21・14)。福音書は皆一致して、使徒の召し出しが、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後の、イエスの宣教活動の最初の段階で行われたと述べています。
 マルコ(マルコ1・16-20)とマタイ(マタイ4・18-22)の記述によれば、最初の使徒の召し出しが行われた場所は、ガリラヤ湖でした。イエスは、神の国を告げ知らせ始めたばかりのときに、二組の兄弟に目を向けました。シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネです。彼らは漁師で、日々の労働に従事していました。彼らは網を打ち、また網の手入れをしていました。けれども、別な漁が彼らを待っていました。イエスははっきりと彼らを招き、彼らはすぐにイエスに従いました。こうして彼らは「人間をとる漁師」(マルコ1・17、マタイ4・19参照)となりました。
 同じ伝承に従いながら、ルカはもっと詳しく物語ります(ルカ5・1-11)。ルカは最初の弟子たちの信仰の歩みを示しています。ルカによれば、イエスに従うようにという招きは、弟子たちがイエスの最初の説教を聞き、さらに最初の奇跡によるしるしを体験した後に行われます。特に、不思議な漁が、弟子の招きと、文脈上、直接つながっています。この不思議な漁は、弟子たちに委ねられた、人間をとる漁師の使命を表すしるしとなっています。これらの「招かれた者たち」は、その後、イエスに属する者と深いつながりをもつようになります。使徒とは、遣わされた者です。けれども使徒は、すでに遣わされる前から、イエスを「よく知る者」なのです。
 福音書記者ヨハネはこのことを、将来の使徒とイエスの最初の出会いのときから、強調しています。ヨハネでは、状況が他の福音書と違います。使徒とイエスの出会いは、ヨルダン川のほとりで行われます。将来の弟子たちは、イエスと同じように、ヨハネが授けていた洗礼を受けるためにガリラヤからやって来ました。この弟子たちの姿は、彼らが置かれていた精神状況を示しています。弟子たちは神の国の到来を待ち望む人びとでした。彼らは、間もなく到来するといわれていた、メシアと出会うことを心から望んでいました。 
 洗礼者ヨハネがイエスを「神の小羊」(ヨハネ1・36参照)だというだけで、彼らは、師であるかたと自ら出会うことを望みました。最初の二人の弟子とイエスが行った対話はとても印象的なものです。イエスは「何を求めているのか」と尋ねます。これに対して、二人の弟子は別な問いで答えます。「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」。イエスの答えは彼らへの招きでした。「来なさい。そうすればわかる」(ヨハネ1・38-39参照)。わかるために来なさいと。
 こうして使徒の冒険が始まりました。使徒は、互いに自分の心を開き合う人びとの集まりです。使徒たちは、師を直接に知り始めました。彼らは師がどこに住んでおられるかを見て、師を知り始めました。使徒たちは思想を告げ知らせる必要はありませんでした。ただ、イエスという人をあかしすればよかったのです。福音を告げ知らせるために派遣される前に、使徒たちはイエスの「そばに置」かれなければなりませんでした(マルコ3・14参照)。それは、イエスと個人的な関係を築くためです。福音宣教は、このイエスとの個人的な関係を土台として行われます。福音宣教とは、自分が体験したことを告げ知らせ、キリストとの交わりの神秘に入るように招くことにほかならないのです(一ヨハネ1・1-3参照)。
 使徒は誰のもとに派遣されるのでしょうか。福音書の中で、イエスは使徒の派遣先をイスラエルに限定しているように思われます。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(マタイ15・24)。同じく、イエスは十二人に委ねた使命に限界を設けているように思われます。「イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。『異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい』」(マタイ10・5-6)。合理主義の影響を受けたある近代の批判者は、この表現はナザレの人イエスの普遍性の欠如を示すものだと考えました。
 実際には、わたしたちはイエスのこれらのことばを、契約の共同体であるイスラエルとの特別な関係から、救いの歴史とのつながりにおいて理解しなければなりません。メシア待望によれば、イスラエルに直接なされた神の約束は、神ご自身が、選ばれたかたを通して、自分の民を集めることによって実現します。それは、羊飼いがその群れを集めるように行われます。「わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。・・・・わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わがしもべダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。また、主であるわたしが彼らの神となり、わがしもべダビデが彼らの真ん中で君主となる」(エゼキエル34・22-24)。
 イエスは終わりの日の羊飼いです。この羊飼いは、イスラエルの家の失われた羊を集め、また羊を捜しに出かけます。なぜなら、羊飼いは羊を知っており、また羊を愛するからです(ルカ15・4-7、マタイ18・12-14参照。ヨハネ10・11以下の良い羊飼いの姿も参照)。このように羊を「集める」ことによって、神の国がすべての国の民に告げ知らされます。「わたしは国々の間にわが栄光を現し、国々はすべてわたしの行う裁きと、彼らの上に置くわたしの手を見る」(エゼキエル39・21)。イエスもまさにこの預言に従いました。イエスが最初にしたのはイスラエルを「集める」ことでした。それは、主との交わりへと集まるように招かれたすべての国の民が、生き、信じることができるようになるためです。
 こうしてイエスと同じ使命にあずかるように招かれた十二人は、終わりの世の羊飼いと協力します。十二人もまた、何よりもイスラエルの家の失われた羊、すなわち約束の民に呼びかけます。この約束の民を集めることが、すべての国の民が救われるしるしであり、契約がすべての人と結ばれることの始まりだからです。イエスの宣教と十二人の宣教の始まりにおいて行われた制限は、ナザレの人イエスのメシアとしての活動が全世界に開かれたものであることと矛盾するどころか、預言的しるしとして有効な意味をもつのです。
 キリストの受難と復活の後、このしるしが明らかにされます。すなわち、使徒の派遣が全世界に向けて行われたものであることが示されます。キリストは使徒たちを派遣します。「全世界」(マルコ16・15)と「すべての民」(マタイ28・19、ルカ24・47)に向けて。そして「地の果てに至るまで」(使徒言行録1・8)。そしてこの派遣は今も続いています。主は、主の愛による一致のうちに諸国の民を集めるように、常に命じ続けます。わたしたちのまことの主イエス・キリストとの交わりのうちに、救いがすべての人のものとなり、文化の豊かさのうちにこの真の意味での一致が実現するよう、力を尽くすこと――これが、わたしたちの希望でもあり、また務めでもあるのです。

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