教皇ベネディクト十六世の2006年4月2日の「お告げの祈り」のことば ヨハネ・パウロ二世逝去後1年を迎えて

教皇ベネディクト十六世は、4月2日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。 「お告 […]

教皇ベネディクト十六世は、4月2日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、イタリア語で、教皇は世界のキリスト信者に向けて、4月3日(月曜日)と4日(火曜日)の2日間、イラクと世界の平和のために祈りと断食を行うことを呼びかけました。教皇の呼びかけは次の通りです。「エマヌエル三世デリー・カルデアのバビロン総大司教とイラクの司教は、宗教者、信者、そして善意の人々に向けて、4月3日の月曜日と4日の火曜日に、イラクと全世界に平和と和解のたまものが与えられることを神に祈るために、祈りと断食を行うことを呼びかけました。これは、わたしたちの心を揺さぶる、重要な呼びかけです。わたしは、苦難に遭っている地域に住むわたしたちの兄弟の呼びかけに応え、この意向を平和の元后である至聖なるマリアに委ねてくださるよう、皆様にお願いします」。
また、教皇は、2日(日)の晩と、6日(木)の夕方、昨年4月2日に逝去したヨハネ・パウロ二世を思い起こすための集いを行うことを述べ、信者を招きました。「さらに今晩、神のしもべヨハネ・パウロ二世を思い起こすために、わたしたちはもう一度集まります。わたしは、今週の木曜の4月6日の午後、サンピエトロ広場で、若者の皆様、特にローマとラツィオ州の若者の皆様とお会いします。わたしは若者の皆様と一緒に、枝の主日(4月9日)に世界中の教区で開催される第21回世界青年の日を迎える準備をしたいと思います」。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 昨年の4月2日、今日のような天気の日に、わたしたちの敬愛する教皇ヨハネ・パウロ二世はこの同じ時間、その地上の旅路の最後の時を過ごしていました。教皇の地上の旅路は、信仰と愛と希望の旅路でした。この旅路は、教会と人類の歴史に大きな足跡を残しています。教皇の苦しみと死は、過越の三日間を延長するものとなりました。
 わたしたちは皆、教皇が聖金曜日に最後の十字架の道行を行った姿を覚えています。コロッセウムに行くことができなかった教皇は、十字架を手にしながら、教皇公邸の聖堂で十字架の道行に参加しました。次いで復活の主日に、教皇は、ことばを発することなしに、ただ手を動かすことのみによって、「ローマと全世界に向けて」祝福を送りました。こうして教皇はわたしたちに、きわめて痛ましくも、また感動的な祝福を残してくださいました。それは、自分の使命を最後まで果たそうとする、教皇の決意の最高のあかしでした。
 ヨハネ・パウロ二世は、生前、いつもしていたのと同じしかたで、死に赴きました。すなわち教皇は、信仰に基づく不屈の勇気に促され、自らを神にささげ、また至聖なるマリアに委ねながら、死んでいきました。わたしたちは今晩、サンピエトロ広場でマリアへの祈りによる晩の祈りを行いながら、教皇を思い起こします。同じサンピエトロ広場で、明日わたしは教皇のためにミサをささげます。
 教皇が地上から父の家に移られてから1年が過ぎて、わたしたちは自らに問いかけることができます。教会を第三千年期へと導いた、この偉大な教皇がわたしたちに残したものは何だったのかと。教皇の遺産は膨大なものです。けれども、そのきわめて長い教皇職のメッセージを、次のことばで要約することができるかもしれません。それは、教皇が1978年10月22日にサンピエトロ広場で教皇職を始めたときに用いたことばです。「キリストに向けて扉を開きなさい」。
 ヨハネ・パウロ二世はこの忘れることのできない呼びかけを、その全人格と、ペトロの後継者としてのその全使命をもって、特に尋常でない使徒的旅行の計画を通して、受肉させました。世界中の国々を訪れ、大勢の人びと、教会共同体、政治家、宗教指導者、社会のさまざまな人びとと出会いながら、教皇は独特なすばらしい行動をもって、その最初のことばを確認しました。
 教皇は常にキリストを告げ知らせました。第二バチカン公会議がしたのと同じように、人間の願いに応えるために、すなわち自由と正義と平和への願いに応えるために、教皇はすべての人にキリストを示しました。教皇は好んで次のように繰り返していいました。キリストは人間のあがない主であり、すべての人、全人類の唯一の救い主であると。
 最後の数年間、主は少しずつ教皇から、教皇が完全に自分のものとしていたすべてのものを取り上げていきました。そして、教皇は旅行ができなくなり、後には歩くことさえできなくなり、ついには話すこともできなくなりました。そのとき、教皇のできること、教皇が宣べ伝えることができることは、基本的なことに限られました。その基本的なこととは、最後まで自分をささげるということでした。
 教皇の死は、一貫した信仰のあかしの完成でした。このあかしが、多くの善意の人の心を揺さぶりました。ヨハネ・パウロ二世は土曜日にわたしたちのもとを去りました。土曜日は特にマリアにささげられた日です。教皇は、マリアに対する子としての信心を常にその糧としていました。わたしたちは天におられる神の母に祈り求めます。この偉大な教皇がわたしたちに与え、また教えたすべてのことを、大切に守っていくことができるように、神の母がわたしたちを助けてくださいますように。

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