教皇ベネディクト十六世、復活祭メッセージ(ローマと全世界へ)(2006.4.16)

4月16日(日)正午に、サンピエトロ大聖堂バルコニーから、教皇ベネディクト十六世は、教皇就任後最初の復活祭のメッセージを発表しました。メッセージは「ローマと全世界へ」(ウルビ・エト・オルビ)と呼ばれ、毎年、降誕祭と復活祭 […]

4月16日(日)正午に、サンピエトロ大聖堂バルコニーから、教皇ベネディクト十六世は、教皇就任後最初の復活祭のメッセージを発表しました。メッセージは「ローマと全世界へ」(ウルビ・エト・オルビ)と呼ばれ、毎年、降誕祭と復活祭に発表されています。以下はその全訳です。
メッセージの発表の後、62か国語による祝福が述べられました。教皇は51番目に日本語で次のように述べました。「ご復活祭おめでとうございます」。最後の祝福は、ラテン語で行われました。「あのかたは、ここにはおられない。復活なさったのだ」(Non est hic, sed resurrexit!)。このルカによる福音書24章6節からとられたことばは、復活祭メッセージ本文にも引用されています。最後に全世界の人々への祝福が行われました。
この日は午前10時30分からサンピエトロ広場で復活の主日の日中のミサが行われ、10万人の信者がミサに参加しました。さらに65か国102局のテレビが祝福の模様を中継しました。
4月16日はベネディクト十六世の79歳の誕生日でもありました。4月16日付の『オッセルバトーレ・ロマーノ』紙イタリア語版は、教皇が誕生日に最初の復活祭を祝ったことを「喜ばしい偶然の一致」と呼んで、祝意を表しました。
復活祭メッセージの原文はイタリア語ですが、翻訳に際して、教皇庁が発表した英語訳を参照しました。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 「キリストは復活されました」(Christus resurrexit!)。
 昨夜の荘厳な復活徹夜祭の間、わたしたちは、復活という、決定的に重要でありながら、いつも変わることなく新しい出来事を再体験しました。復活はキリスト教信仰の中心にある神秘です。諸教会には数え切れない数の復活のろうそくがともされました。それは、キリストの光を象徴的に表すためです。キリストの光はかつて人類を照らし、また今も照らし続けています。キリストの光は、罪と悪の闇にとこしえに打ち勝つからです。安息日の後の週の最初の日の朝、婦人たちを驚かせたことばは、今日もあらためて力強くこだましています。婦人たちは、十字架から急いで降ろしたキリストのからだを納めた墓に行きました。自分たちの師がいなくなった悲しみに沈みながら、婦人たちが墓に来てみると、大きな石がわきに転がしてありました。墓の中に入ると、キリストのからだは見当たりませんでした。婦人たちがどうしたらよいかわからずに、途方に暮れてそこに立っていると、輝く衣を着た二人の人がこういって彼女たちを驚かせました。「なぜ、生きておられるかたを死者の中に捜すのか。あのかたは、ここにはおられない。復活なさったのだ」(ルカ24・5-6)。「あのかたは、ここにはおられない。復活なさったのだ(Non est hic, sed resurrexit)」(ルカ24・6)。この朝以来、このことばは、喜びを告げ知らせるために、全世界にあらためてこだまし続けています。この喜びは、世々に変わることがありません。同時にこの喜びは、限りのない、常に新しいこだまを響かせています。
 「あのかたは、ここにはおられない。復活なさったのだ」。天の使いはまず、何よりも、イエスが「ここにおられない」ことを伝えました。神の子は墓の中にとどまっていませんでした。なぜなら、神の子が死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです(使徒言行録2・24参照)。だから墓は「生きている者」(黙示録1・18)をとどめておくことができませんでした。「生きている者」はいのちを与える源そのものだからです。ヨナが大魚の腹の中にいたように、十字架につけられたキリストも、安息日の間、大地の中に呑み込まれました(マタイ12・40参照)。福音書記者ヨハネが述べているように、まことにそれは「特別な安息日」、歴史の頂点となる日でした。その日、「安息日の主」(マタイ12・8)が創造のわざを完成したからです(創世記2・1-4a)。すなわち、「安息日の主」は、人間と全世界を高めて、神の子どもたちの栄光に輝く自由にあずからせたのです(ローマ8・21参照)。この特別なわざを成し遂げると、死んだからだは神の生きた息に満たされました。そして、墓の壁がこわされて、「安息日の主」は栄光のうちに復活しました。だから天使たちは「あのかたはここにおられない」と告げたのです。キリストを墓の中に見いだすことはできません。キリストは人間として地上の旅を歩み、すべての人と同じように墓の中でその旅路を終えました。しかしキリストは、まったく新しいしかたで、すなわち完全な愛によって、死に打ち勝ちました。こうしてキリストは大地を天に向けて開きました。
 キリストの復活は、洗礼を通して、わたしたちの復活となります。洗礼によって、わたしたちはキリストと一つのからだになるからです。預言者エゼキエルが前もってこう告げた通りです。「わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く」(エゼキエル37・12)。この預言のことばは、復活祭にあたって特別な意味をもちます。なぜなら、今日、この造り主の約束が実現されたからです。今日、不安と不確実さを特徴とする現代においても、わたしたちは復活の出来事をあらためて経験します。復活の出来事はわたしたちの人生の姿を変え、人類の歴史を変えたからです。復活したキリストによって、今も苦しみと死の鎖につながれたすべての人が、場合によっては、そのことを意識もせずに、希望が与えられることを待ち望みます。
 復活したかたの霊が、救いの手と安全とをもたらしてくださいますように。特にアフリカにおいて、耐えがたいほどの悲惨な状況の中で生きているダルフールの人びとに。また、多くの傷が今なお癒されていないアフリカ中東部の大湖群の地域に。そして、和解と正義と発展を渇望しているソマリアコートジボワールウガンダジンバブエやその他の国の人びとに。イラクにおいて、最終的に平和がもたらされ、無慈悲にも犠牲者を生み出し続けている悲惨な暴力がなくなりますように。わたしはまた聖地における紛争の当事者が和平に達することができるように心から祈ります。そのためにわたしは、すべての人が忍耐をもって継続的な対話を行い、昔からある障害と新しい障害を取り除いてくださるようにお願いします。復讐への誘惑に打ち勝ち、若い世代を相互の尊重に向けて教育してください。国際社会は、イスラエルが平和のうちに存続することをあらためて保障しながら、パレスチナの人びとが、その置かれている不安定な状況を克服して、未来を築き、固有の国家の設立に向けて歩むことができるように支援してくださいますように。復活したかたの霊に促されて、ラテンアメリカの諸国が、数百万の市民の生活条件の改善と、憎むべき誘拐問題の根絶と、和解の精神と連帯の実現による民主的政治体制の安定化のために、あらためて熱心な取り組みを行うことができますように。核の力による国際的な緊張に関しては、真剣で誠実な交渉を通してすべての国にとってふさわしい解決を生み出すことができますように。また、テロの脅威を取り去るために、国家と国際機関の指導者が、異なる民族、文化、宗教間の平和的な共存への望みを強められますように。
 復活した主が、すべての地でそのいのちと平和と自由の力を味わう恵みを与えてくださいますように。今日、復活の朝、恐れる婦人たちの心を力づけた天使のことばが、すべての人に語りかけられています。「恐れることはない。・・・・あのかたは、ここにはおられない。復活なさったのだ」(マタイ28・5-6)。イエスは復活されました。イエスはわたしたちに平和を与えてくださいます。イエスご自身が平和だからです。だから教会は繰り返して力強くこう述べるのです。「キリストは復活された(クリストス・アネスティ)」。第三千年期の皆様。恐れることなくキリストに向けて心を開こうではありませんか。キリストの福音は、すべての人の心にある平和と幸福への望みを完全に満たしてくださいます。キリストは今生きておられ、わたしたちとともに歩んでおられます。愛の神秘はなんと偉大なものでしょうか。「キリストは復活されました。神は愛だからです。アレルヤ」(Christus resurrexit, quia Deus caritas est! Alleluia!)。

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