教皇ベネディクト十六世の49回目の一般謁見演説 使徒伝承

5月3日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の49回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の6回目として、「使徒伝承」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、前回と同じく、マタイによる福音書28章18-20節が朗読されました。謁見には52,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 この講話の中でわたしたちは、教会が何であるかについて多少とも理解を深めたいと望んでいます。前回、わたしたちは使徒伝承というテーマについて考察しました。すでに述べたように、使徒伝承は、死んだ物を箱に入れるように、物やことばを集めることではありません。聖伝は新しいいのちの川です。この川は、キリストという源泉から流れ出て、わたしたちのところに達し、わたしたちを神と人類との歴史に参加させます。この聖伝というテーマはとても重要なので、わたしは今日、もう一度このテーマについて考察したいと思います。実際、使徒伝承は、教会生活にとってきわめて重要な意味をもっています。
 このことに関連して、第二バチカン公会議は、聖伝が何よりもまずその源泉において使徒的であることを次のように述べています。「神は、万民の救いのために啓示したことが、永久に、かつ完全に保たれ、あらゆる世代に伝えられるよう、いともやさしく取り計らった。それゆえ、主キリストは、至高の神の全啓示が自らにおいてまっとうされるため(二コリント1・20、3・16-4・6参照)、福音を救いに関するあらゆる真理と道徳との源として、すべての人に宣べるよう、また彼らに神のたまものを与えるよう使徒たちに命じた」(第二バチカン公会議『神の啓示に関する教義憲章』7)。
 公会議はさらにこう述べています。「この命令は、キリストのことばを聞き、キリストとともに生活し、そのわざを通して知ったこと、あるいは聖霊の示唆から学んだことを説教と模範と制度をもって伝えた使徒たちによっても、また同じ聖霊の霊感により救いの知らせを書き物にした使徒たちとその回りの人たちによっても忠実に遂行された」(同)。
 使徒たちは、選ばれた民の部族の数と同じく十二人でした。この終わりの日のイスラエルの指導者たちは、主が始めた「集会」を続けました。そして彼らは、何よりもまず、与えられたたまものを忠実に伝えることを通して、この「集会」を続けました。与えられたたまものとは、イエス・キリストによって人びとの間に神の国が実現したという、よい知らせです。使徒たちの数は、十二部族から成るイスラエルという、彼らの聖なる祖先との継続性を表すだけでなく、地の果てにまで救いをもたらすという、彼らの奉仕職の普遍的な目的をも表します。これは、セム人の世界で数がもっている象徴的な意味に基づきます。十二は完全数である三の倍数です。また十二は三の四倍ですが、四は、四つの枢軸、すなわち全世界を示します。
 福音を告げ知らされることによって生まれた共同体は、自分たちは、主を体験し、主から派遣された最初の人びとのことばによって招かれた者だと考えました。この共同体は、十二人の指導と、後にみことばの奉仕職と交わりの務めのために後継者として加えられた人びとの指導とに、信頼することができました。
 ですから、この共同体は、聖霊の働きのうちに、主が現実にともにいてくださるという「喜ばしい知らせ」を、また主の過越の神秘という「喜ばしい知らせ」を、他の人びとに伝えなければならないと感じました。このことが、パウロの手紙のいくつかの箇所ではっきりと示されています。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」(一コリント15・3)。大切なのは、この、パウロが受けたことです。
 ご存知のように、聖パウロは、もともとキリストによって個人として招かれた者なので、本来の意味での使徒だといえます。にもかかわらず、パウロも、根本的なのは、自分が受けたことに対して忠実であることだと考えました。パウロは、新しいキリスト教を創立することを――いうならば「パウロの」キリスト教を創立することを望みませんでした。だから、パウロはこう断言したのです。「わたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」と。パウロは、主から与えられた最初のたまものを伝えました。救いをもたらすのは真理だからです。後に、その生涯を終える頃、パウロはテモテにこう書き送っています。「あなたに委ねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい」(二テモテ1・14)。
 このことは、キリスト教信仰の古代の証言でもはっきりと示されています。すなわち、200年頃、テルトゥリアヌスは次のように述べています。「(使徒たちは)イエス・キリストへの信仰をまずユダヤ全土とその近辺であかしした後、すぐに世界に出かけていき、同じ信仰に関する同じ教えを諸国の民に告げ知らせ、すべての町に教会を建てた。この教会から他の教会は、信仰の伝承と教えの種を受け、また常に受け続けている。それは彼らがまさに教会となることができるためである。こうして初めて彼らは使徒的と――すなわち、使徒の教会を受け継ぐ者とみなされることができるのである」(テルトゥリアヌス『異端者への抗弁』De praescriptione haereticorum, 20:PL 2, 32)。
 このことについて、第二バチカン公会議は次のように述べています。「使徒たちによる聖伝は、神の民が聖なる生活を営み、かつ信仰を強めるのに役立つすべてのものを含んでいる。このようにして、教会は、その教義と生活と典礼とにおいて、自らあるがままのすべてと、信じることのすべてを永続させ、あらゆる世代に伝えるのである」(第二バチカン公会議『神の啓示に関する教義憲章』8)。教会は、自らあるがままのすべてと、信じることのすべてを伝えます。教会はそれを典礼と生活と教義において伝えるのです。
 ですから聖伝は、生きた福音です。この生きた福音は、使徒たちによって、使徒たちの唯一でかけがえのない満ちあふれる体験に基づいて、完全な形で告げ知らされたものです。使徒たちの働きによって、信仰は他の人びとに伝えられ、ついにわたしたちにまで伝わりました。さらにそれは世の終わりに至るまで伝えられていきます。ですから聖伝は、聖霊の歴史です。聖霊は、教会の歴史の中で、使徒とその後継者の仲介を通して、源泉の経験を忠実に継続させながら働くからです。
 1世紀末にローマの教皇聖クレメンスがいおうとしたのは、まさにこのことです。「使徒たちは、わたしたちのために主イエス・キリストから福音を聞かされた。キリスト・イエスは、神から遣わされた。それゆえキリストは神から、使徒たちはキリストから出ている。両者はともに、神の意志により、すばらしい順序に従って生じたのだ。・・・・わたしたちの使徒たちも、わたしたちの主イエス・キリストを通して、司教職の名に関していさかいが起こるだろうと知っていた。このために、完全な予知の知識を得ていた彼らであるから、先に言及した人たちを立て、その後に遺言を補足して、もし彼らが眠りについたなら、吟味の結果信用のおけるとされた他の男が、彼らの任務を継承するようにと命じた」(『クレメンスの手紙――コリントのキリスト者へ一』42、44:PG 1, 292; 296〔邦訳、小河陽訳、『使徒教父文書』講談社、1974年、79-80頁〕)。
 この任務の連鎖は、現代にまで続いています。またその連鎖は世の終わりまで続きます。実際、イエスから使徒たちに委ねられた使命は、使徒たちから彼らの後継者に伝えられました。キリストと個人的に触れるという、唯一でかけがえのない体験を超えて、使徒たちは、師であるかたから与えられた世への荘厳な派遣を、自分たちの後継者に伝えました。実際、「使徒(アポストロス)」ということばは、ギリシア語の「アポステレイン」に由来します。「アポステレイン」は「遣わす」という意味です。
 マタイによる福音書28章19節以下の箇所が示しているように、使徒の派遣は、司牧の務め(「すべての民をわたしの弟子にしなさい」)と、典礼の務め(「洗礼を授け」)と、預言の務め(「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」)を含んでいます。それは、世の終わりに至るまで主との親しい関係を守るためです(「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」)。
 こうして、使徒と体験のしかたは異なるとはいえ、わたしたちもまた、復活した主がともにいてくださることを、真の意味で、また個人的に体験します。使徒的奉仕職によって、キリストご自身が、信仰に招かれた者のもとに来られます。復活した主は、時代の隔たりを超えて、今も、教会と世界の中で、わたしたちのためにご自身をささげながら、生きて働いておられるからです。
 これこそ、わたしたちの大きな喜びです。聖伝という生きた川の中で、キリストは2000年の彼方におられることなく、本当にわたしたちとともにいて、わたしたちに真理を与え、わたしたちに光を与え、わたしたちを生かし、未来に導く道を見いださせてくださるのです。

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