教皇ベネディクト十六世の2006年5月14日の「アレルヤの祈り」のことば 復活節第5主日にあたって

教皇ベネディクト十六世は、5月14日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日まで「お告げの祈り」の代わりに唱えられる祈り)を行いました。以下は […]

教皇ベネディクト十六世は、5月14日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日まで「お告げの祈り」の代わりに唱えられる祈り)を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
前日の5月13日(土)はファティマの聖母の記念日でした。サンピエトロ大聖堂では、120午後5時から、1981年のこの日、教皇ヨハネ・パウロ二世が一般謁見の際に狙撃されてから25周年になるのを記念して、ファティマから聖母像のレプリカを迎え、ミサがささげられました。
5月14日はイタリアや世界各国で「母の日」が祝われました。教皇はこの日、特に「母親と子どもたち」のために聖母の執り成しを願いました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日の復活節第5主日に、典礼ではヨハネによる福音書の箇所が朗読されました。この箇所で、イエスは、最後の晩餐での弟子たちへの説教の中で、弟子たちに、ぶどうの木の枝のように自分とつながっているようにと勧めます。これはまことに重要なたとえです。なぜなら、このたとえは、キリスト信者の生活がイエスとの交わりの神秘であることをきわめて生き生きと述べているからです。「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」(ヨハネ15・5)。
 霊的な実を結ぶための秘訣は、神との一致にあります。この一致は、何よりも聖体によって実現します。聖体が「交わり」とも呼ばれるのは適切なことです。わたしは一年のこの時期にあたって、この一致と愛の神秘を強調したいと思います。この時期に多くの小教区共同体で、子どもたちの初聖体が行われるからです。
 わたしは、この数週間に、聖体のうちにおられるイエス・キリストと初めて出会うすべての子どもたちに特別なあいさつを申し上げたいと思います。そしてわたしは、この子どもたちが、イエスというぶどうの木の枝となり、成長して、真の意味でのイエスの弟子となることを願います。
 ぶどうの木の枝としてキリストにつながっている一つの方法は、マリアの執り成しにより頼むことです。わたしたちは昨日の5月13日に、ファティマでの出現を思い起こしながら、マリアに特別なしかたで崇敬をささげました。1917年、ファティマで、マリアは数回にわたり、3名の子どもたちに現れました。この子どもたちとは、幼い牧童のフランシスコ、ジャシンタ、ルチアです。
 ルルドのメッセージに続いて、マリアがこの3名の子どもに委ねたメッセージは、祈りと回心への強い招きでした。それはまことに預言的なメッセージでした。そのことは、何より20世紀が未曾有の破壊の被害に遭ったことを考えればわかります。この破壊は、戦争と全体主義体制、またカトリック教会に対する大規模な迫害によって起こりました。
 さらに25年前の1981年5月13日、神のしもべヨハネ・パウロ二世は、教皇自身が述べているように、「母の手」の執り成しによって、奇跡的に死から救われたと感じました。また、ヨハネ・パウロ二世の教皇職全体は、おとめマリアがファティマで前もって述べたことを示していました。
 今も不安や苦しみは存在します。人類の未来に対する気がかりの種は今も尽きません。しかし、「白衣の聖母」が幼い牧童たちに約束したことばは慰めです。「けれども、最後には、わたしの汚れない心が勝利するでしょう」(教皇庁教理省『ファティマ 第三の秘密 教皇庁発表によるファティマ「第三の秘密」に関する最終公文書(2000年6月26日)』カトリック中央協議会、2001年、19頁)。
 この確信をもって、わたしたちは今、至聖なるマリアに向かいます。わたしたちは、マリアの絶えることのない執り成しに感謝するとともに、教会と人類、特に家庭、母親、子どもたちの歩む道に、マリアが目をとめ続けてくださるように願います。

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