教皇ベネディクト十六世の51回目の一般謁見演説 漁師ペトロ

5月17日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の51回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」について […]

5月17日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の51回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の8回目として、「漁師ペトロ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、ルカによる福音書5章4-6、10節が、イタリア語、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、ポーランド語で朗読されました。謁見には60,000人の信者が参加しました。
演説の後行われた、ポーランドの巡礼者へのポーランド語での祝福の中で、教皇は、8日後に迫ったポーランド司牧訪問(5月25日~28日)を前にして、こう述べました。「ここにおられるポーランド人の皆様にごあいさつ申し上げます。もうすぐポーランドを訪問できることをうれしく思います。今回の訪問は『力強く信仰にとどまりなさい』というテーマのもとに行われます。わたしはすでに今日から、皆様と、ポーランド教会全体に、祈ってくださるようにお願いします。どうか今回の訪問の間、神の恵みの助けによって、わたしたちが信仰のあかしによって互いに強められることができますように。神のしもべヨハネ・パウロ二世がわたしたちとともに歩んでくださいますように。イエス・キリストはほめたたえられますように」。
また、最後にイタリア語で行われた祝福の中で、教皇は聖母月にあたって、次のように呼びかけました。「最後にわたしは若者と、病気の人、新たに結婚した人びとに申し上げます。わたしは皆様が、特に、神の母にささげられたこの5月という月に、聖なるロザリオを敬虔に祈るよう努めてくださることを勧めます。親愛なる若者の皆様。この伝統的なマリアへの祈りを大切にしてくださるようにお願いします。この祈りは、わたしたちがキリストの救いのわざの中心となる出来事をいっそう理解することができるように助けてくれるからです。親愛なる、病のうちにある皆様。皆様がこの敬虔な祈りを通じて、信頼をもって聖母に向かい、皆様が必要とすることをすべて聖母に委ねられるように勧めます。親愛なる新たに結婚した皆様。皆様にお願いします。家庭においてロザリオを唱えることを、おとめマリアの母としてのまなざしのもとで霊的に成長するための時としてください」。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 この新しい連続講話の中で、わたしたちは何よりも、教会とは何かということについての理解を深めようと努めてきました。すなわち、この新しい家族についての主の考えはどのようなものだったのかということです。次いで、すでに述べたように、教会は人格の中に存在します。そして、主がこの教会という新しい現実を十二使徒に委ねたことがわかりました。そこでわたしたちは、この十二使徒を一人ずつ考えていきたいと思います。それは、この人びとを通して、教会を生き、キリストに従うとはどういうことであるかを理解するためです。わたしたちは聖ペトロから始めます。
 新約聖書の中で、ペトロはイエスに次いでもっともよく知られ、また述べられる人物です。ペトロは154回、「ペトロス」すなわち「石」、「岩」というあだ名で言及されます。「ペトロス」は、イエスがペトロを直接呼んだアラム語の名前「ケファ」のギリシア語訳です。「ケファ」は9回、特にパウロの手紙の中に見いだされます。さらに頻繁に(75回)用いられる「シモン」という名前のことも付け加えなければなりません。「シモン」は元々のヘブライ語の「シメオン」(使徒言行録15・14と二ペトロ1・1の2回)がギリシア語化した形です。
 ヨハネの子(ヨハネ1・42参照)、あるいは、アラム語形で「バルヨナ」すなわちヨナの子(マタイ16・17参照)であるシモンは、ベトサイダの出身でした(ヨハネ1・44)。ベトサイダはガリラヤ湖の東に位置する町でした。フィリポも、またもちろんのこと、シモンの兄弟アンデレも、ベトサイダの出身でした。ペトロはガリラヤのなまりのあることばで話しました。
 ペトロはその兄弟と同様、漁師でした。ヤコブとヨハネの父ゼベダイの家族とともに、ペトロはゲネサレト湖で小規模な漁業を営む仲間の長でした(ルカ5・10参照)。そのため、ペトロはある程度裕福だったと思われます。そこで彼は、心からの宗教的な関心に促されて、神への望みによって――すなわちペトロは、神が世にあって力を振るうことを望んでいました――、神への望みに促されて、兄弟とともにユダヤに行き、洗礼者ヨハネの説教に聞き従いました(ヨハネ1・35-42)。
 ペトロは信仰深いユダヤ人でした。彼は神がそのわざをもって自分の民の歴史の中に現存することを信じました。ペトロはまた、当時彼が目にしていた出来事の中で、神の力あるわざが行われないことに心を痛めていました。ペトロは結婚しており、後にイエスによっていやされた、そのしゅうとめは、カファルナウムの町に住んでいました。ペトロもこの町にいたとき、このしゅうとめの家に滞在しました(マタイ8・14以下、マルコ1・29以下、ルカ4・38以下参照)。
 最近の発掘調査により、小さな八角形のビザンティン教会のモザイクの床の下に、それより古い時代の教会の遺跡があることが明らかにされました。この古い時代の教会は、ペトロのしゅうとめの家に建てられたものであることを、ペトロへの祈願を含む、壁に刻まれた文字が示していました。福音書が述べているところによれば、ペトロはナザレの最初の四人の弟子の一人でした(ルカ5・1-11参照)。五人の弟子をもつというラビの習慣に従って、この四人に五人目の弟子が加えられました(ルカ5・27のレビの召し出しを参照)。イエスが五人を十二人の弟子にしたとき(ルカ9・1-6参照)、イエスの使命の新しさが明らかになりました。イエスは、多くのラビのうちの一人ではなく、終わりの日のイスラエルを集めるために来られたのです。イスラエルの部族の数である十二という数は、この終わりの日のイスラエルを示す象徴でした。
 福音書の中で、シモンは決断力と行動力に富む人物として登場します。ペトロは自分の意見を場合によって力ずくで示すこともいといません(オリーブの園でペトロは剣を用いました。ヨハネ18・10-11参照)。同時にシモンは、素朴で、怖気づくこともありました。けれども彼は正直であり、最後には心から悔い改めました(マタイ26・75参照)。諸福音書によって、わたしたちはシモンの霊的旅路を順を追ってたどることができます。
 出発点となったのは、イエスによる招きでした。他の弟子と同じように、この招きはある日、ペトロが漁師として忙しく働いているときに行われました。イエスはゲネサレト湖畔におられ、そのことばを聞こうとして群衆がイエスを囲みました。イエスのことばを聞こうとした群衆の数が多かったため、すこし問題が生じました。師であるかたは二そうの舟が岸にあるのをご覧になりました。漁師たちは舟から上がって網を洗っていました。そこでイエスは、一そうの舟、すなわちシモンの持ち舟に乗せてくれるように頼みました。そしてシモンに、岸から漕ぎ出すように願いました。イエスはこの急ごしらえの座に座って、舟から群衆に教えました(ルカ5・1-3参照)。
 こうしてペトロの舟がイエスの座る座となりました。話し終わったとき、イエスはシモンにいいました。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」。するとシモンは答えました。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、おことばですから、網を降ろしてみましょう」(ルカ5・4-5)。イエスは大工でしたが、漁のことはよく知りませんでした。にもかかわらず、漁師シモンはこのラビのことばを信じました。このラビはシモンに何も答えないで、信じるように招いたからです。
 奇跡的に魚がとれたのを見て、シモンは驚きと恐れを感じながらいいます。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」(ルカ5・8)。イエスはシモンに答えて、シモンを招きます。信頼して、あらゆる予想を超える計画に心を開くようにと。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」(ルカ5.10)。しかしシモンはまだ、自分がその後ローマに行き、そこで主のために「人間をとる漁師」になることを想像できませんでした。シモンは、そのような大冒険に加わるようにという、この驚くべき招きを受け入れました。シモンは寛大な心をもっていました。彼は自分の限界を知りながらも、自分を招いたかたを信じて、自分の心が描く夢に従いました。シモンは勇気をもって、寛大な心で、「はい、従います」といって、キリストの弟子になりました。
 ペトロはフィリポ・カイサリア地方で、その霊的な旅路におけるもう一つの重要な経験をしました。それは、イエスが弟子たちに次のようにはっきりと問いかけたときのことでした。「人びとは、わたしのことを何者だといっているか」(マルコ8・27)。しかし、イエスは、どんなうわさが話されているかという答えでは満足できませんでした。イエスは、自分を個人としてイエスにささげることを受け入れる人、個人的に態度を決めることを受け入れる人を望んだのです。そのため、イエスはこういわれました。「それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか」(マルコ8・29)。そして他の弟子たちを代表して答えたのはペトロでした。「あなたは、メシア(キリスト)です」(同)。
 このペトロの答えを「現したのは、人間ではなく」、天の父です(マタイ16・17参照)。そしてこの答えのうちに、教会がこれから行うことになる信仰宣言の種が含まれています。しかしながらペトロは、イエスのメシアとしての使命の深い実質を――すなわち、「メシア」ということばの新しい意味を、まだ理解していませんでした。そのことはこの後すぐに明らかになります。ペトロは、その夢見るメシアが、神の本当の計画とはまったく異なるものであることをわかっていないということが示されるからです。受難のことが告げられると、ペトロは憤慨して抗議します。それはイエスの強い怒りを招きます(マルコ8・32-33参照)。
 ペトロは、メシアが、その力をすべての人に振るって、民の期待を実現する、「神の人」であることを望みました。わたしたちも、主が力を振るって世界をすぐに変革してくれることを期待します。しかしイエスは、ご自身を「人である神」として示し、多くの人の期待を裏切って、へりくだりと苦しみの道を歩みました。それは大いなる別の道です。わたしたちもまた、常にそれをあらためて学ばなければなりません。すなわち、わたしたちは、イエスをないがしろにして、自分の期待を優先するのでしょうか。それとも、そのまことの使命とともにイエスを受け入れて、あまりにも人間的な期待を捨てるのでしょうか。
 行動力のあるペトロは、ためらうことなくイエスをわきへ連れて行き、いさめました。イエスは答えて、すべての間違った期待を砕きながら、ペトロが回心し、自分に従うように招きました。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(マルコ8・33)。あなたがわたしに道を示してはならない。わたしは自分の道を歩むのであり、あなたはわたしの後に従いなさいと。
 こうしてペトロは、イエスに従うとは真の意味でどういうことであるかを学びました。それは二度目の召命でした。ちょうどアブラハムに対して、創世記12章の召命の後に、創世記22章で二度目の召命が行われたのと同じです。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分のいのちを救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のためにいのちを失う者は、それを救うのである」(マルコ8・34-35)。これが、イエスに従うために求められる法則です。真に価値あるものを救うため、魂を救うため、世において神がともにいてくださることを救うために、自分を否定できること、必要であれば全世界をも捨てうることが必要です(マルコ8・36-37参照)。ペトロは、苦労してではありましたが、この招きを受け入れ、師であるかたの足跡に従って自分の道を歩み続けました。
 わたしはこうした聖ペトロのいくつもの回心、またその姿の全体は、わたしたちにとって、大きな慰めとなるとともに、大きな教訓にもなると思います。わたしたちも神を求めます。わたしたちも寛大な心をもちたいと望みます。しかし、わたしたちはまた、自分たちの思いや、自分たちが必要と考えることに従って、神が世界の中で力強い者となり、すぐに世界を変革してくれることを期待します。
 神は違う道を選びました。神は、苦しみとへりくだりによって、人びとの心を変革する道を選びました。わたしたちもペトロと同じように、絶えずあらためて回心しなければなりません。わたしたちはイエスに先立って歩むのではなく、イエスに従わなければなりません。わたしたちに道を示してくださるのは、イエスです。ペトロはわたしたちにこう語りかけます。皆さんは、自分には処方箋があり、自分たちがキリスト教を変革しなければならないと考えています。けれども、道を知っておられるのは主です。そしてわたしにこう語りかけた主は、皆さんにもこう語りかけています。「わたしについて来なさい」。だからわたしたちも、勇気と謙遜な心をもって、イエスに従わなければなりません。イエスは道であり、真理であり、いのちだからです。

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