教皇ベネディクト十六世の52回目の一般謁見演説 使徒ペトロ

5月24日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の52回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」について […]

5月24日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の52回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の9回目として、「使徒ペトロ」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、ヨハネによる福音書6章66-69節が、イタリア語、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、ポーランド語で朗読されました。謁見には35,000人の信者が参加しました。
演説の後、最後にイタリア語で行われた祝福の中で、教皇は、翌日5月25日(木)から28日(日)まで行う予定のポーランド司牧訪問について、次のように述べました。「明日、わたしは敬愛する教皇ヨハネ・パウロ二世の祖国ポーランドを訪問します。わたしはヨハネ・パウロ二世の生涯とその司祭職・司教職ゆかりの地をたどります。わたしが長い間心に抱いていた望みを実現する機会を与えてくださったことを、主に感謝しています。親愛なる兄弟姉妹の皆様。この使徒的訪問の間、祈りをもってわたしとともにいてくださるようにお願いします。わたしはこの使徒的訪問を大きな希望をもって始めるにあたり、それをポーランドで大いに崇敬されている聖なるおとめに委ねます。聖なるおとめがわたしの歩みを導いてくださいますように。こうしてわたしが、敬愛するポーランドのカトリック共同体の信仰を強め、はっきりとした福音的行動をもって現在の諸問題に立ち向かう力を与えることができますように。どうかマリアによって、ポーランド全体が、わたしの偉大な前任者の記憶を常に生き生きと保ちながら、新たな信仰の春と国家の発展を与えられますように」。
今回のポーランド訪問は「信仰に基づいてしっかり立ちなさい」(一コリント16・13)というテーマで行われます。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 この連続講話の中で、わたしたちは教会について考察しています。すでに述べた通り、教会は人格の中に生きています。そのため、前回の講話から、わたしたちは聖ペトロから始めて、一人ひとりの使徒の姿を考察することにしました。わたしたちは聖ペトロの生涯の中に二つの決定的な段階を認めました。すなわち、ガリラヤ湖での召し出しと、その後行われた信仰の告白です。「あなたは、メシア(キリスト)です」。すでに述べたように、この告白はまだ不十分なものでした。それは最初の告白でしたが、発展の余地のあるものだったのです。
 聖ペトロはキリストに従う道を歩み出しました。こうして、この最初の信仰告白は、それ自体の内に、将来の教会の信仰の種を含むことになりました。今日わたしたちは、聖ペトロの生涯の他の二つの出来事について考えてみたいと思います。一つは、パンの増加です。すこし前に、わたしたちは主の問いかけとペトロの答えが朗読されたのを聞きました。それから、主は、全教会の牧者となるようにとペトロを招きます。
 パンの増加の出来事から始めましょう。ご存じのように、人びとは何時間も主のことばを聞いていました。終わりに、イエスはこういわれました。「彼らは疲れて、腹をすかせている。わたしたちはこの人びとに何か食べるものを与えなければならない」。使徒たちはイエスに尋ねました。「しかし、どうすればよいでしょうか」。するとペトロの兄弟アンデレは、一人の少年がパン五つと魚二匹とをもっていることに、イエスの注意を促します。「けれども、こんなに大勢の人に対して、これだけのパンと魚が何の役に立つのでしょうか」と、使徒たちは尋ねました。
 しかし主は人々を座らせ、五つのパンと二匹の魚を分け与えさせました。そして、すべての人が満腹しました。そればかりか、主はペトロをはじめとする使徒たちに残ったパンを集めるように言いつけます。パンは十二の籠(かご)にいっぱいになりました(ヨハネ6・12-13参照)。このしるしを見た人びとは、主を自分たちの王にしようとします。このしるしは、彼らが待ち望んでいた、新しい「マンナ」、「天から与えられるパン」の再現であるように思われたからです。
 しかしイエスはそれを断り、独りで祈るために山に退きました。翌日、湖の向こう岸のカファルナウムの会堂で、イエスはこのしるしの意味を解き明かしました。このしるしは、群衆が期待するような、この世の権力によってイスラエルを王として治めることではなく、自分をささげることを意味します。「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」(ヨハネ6・51)。イエスは十字架のことを告げました。この十字架による、真の意味でのパンの増加を告げたのです。すなわち、聖体のパンの増加です。これが、イエスが完全に新しいしかたで――すなわち民の期待とはまったく反対のあり方で、王となることでした。
 師であるかたは、パンの増加を毎日行うことを望みませんでした。また、イスラエルにこの世の力を与えることをも望みませんでした。師であるかたが述べたこれらのことばが、民にとって本当にわかりづらいもので、受け入れがたいものでさえあったことを、わたしたちは理解できます。「わたしの肉を与える」とは何をいおうとしているのか。弟子たちにとっても、イエスが述べたことは、この時点では、受け入れがたいものに思われました。イエスのことばは、かつてと同じく、今も、わたしたちの心と頭にとって「ひどい」話であり、信仰を試します(ヨハネ6・60参照)。弟子たちの多くが離れ去りました。彼らが望んだのは、イスラエルの国と民を現実に新たにしてくれる者であり、「わたしはわたしの肉を与える」と語るような人ではなかったからです。
 わたしたちは、イエスの話したことばがペトロにとってもむずかしいものだったことを想像できます。ペトロはフィリポ・カイサリア地方で、十字架の予告に反対したからです。にもかかわらず、イエスが十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と尋ねたとき、ペトロは聖霊に導かれながら、寛大な心でただちに答えました。ペトロはすべての人を代表して、不滅のことばで答えたのです。それはわたしたちのことばでもあります。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠のいのちのことばをもっておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」(ヨハネ6・66-69参照)。
 カイサリア地方でしたのと同じように、ここでペトロはそのことばによって、初めて教会としてキリストへの信仰告白を行いました。こうしてペトロは、他の使徒とすべての時代のわたしたち信者の声となりました。だからといって、ペトロがキリストの神秘を深い意味で理解していたということではありません。ペトロの信仰は、まだ信仰の始まり、信仰の途上でした。この信仰が真の意味で完全なものとなるために、ペトロは過越の出来事を経験しなければなりませんでした。
 しかし、にもかかわらず、ペトロの信仰はすでに信仰だといえます。それは、いっそう大きな現実へと開かれたものだったからです。なぜなら、何よりもペトロの信仰は、「何か」を信じる信仰ではなく、「あるかた」を――すなわち、キリストというかたを信じる信仰だったからです。わたしたちの信仰も、信仰の始まりにすぎません。わたしたちはなお長い道のりを歩まなければならないのです。けれども、根本的なことは、わたしたちの信仰が、イエスによって導いていただけるように、開かれたものでなければならないということです。イエスは道を知っておられるかたであるだけでなく、道そのものだからです。
 しかし、ペトロの激しく寛大な心は、人間的な弱さに由来する危険から彼を守ってくれませんでした。わたしたちもそのことを、自分の人生に基づいて知ることができます。ペトロはただちにイエスに従いました。ペトロは信仰の試練を乗り越えて、自分をイエスにささげました。けれども、そのペトロも、恐れと失敗に屈する時が訪れます。ペトロは師であるかたを裏切りました(マルコ14・66-72参照)。信仰の学びやは、凱旋(がいせん)行進ではありません。わたしたちは、数々の苦しみと愛、試練と忠実を日々繰り返しながら、旅路を歩まなければならないのです。
 完全な忠実を約束していたペトロは、主を否んだことの辛さと恥ずかしさを味わいました。高ぶる者は、その代償として、辱めを味わいます。ペトロも、自分が弱く、ゆるしを必要とする者であることを学ばなければなりませんでした。ついに仮面がはがされ、信じる者であると同時に罪人である、自分の真の意味での心の弱さを知ったとき、ペトロはひたすら後悔の涙を流しました。この涙の後、ペトロはようやく自分の使命を果たす準備ができたのです。
 ある春の朝、復活したイエスによって、この使命がペトロに委ねられます。イエスとの出会いはティベリアス湖畔で行われました。このときイエスとペトロの間で交わされた対話について述べているのは、福音書記者ヨハネです。そこではきわめて意味深いことば遣いが行われていることに気づきます。ギリシア語で「フィレオー(愛する)」は友愛を表します。この愛は優しい愛ですが、完全な愛ではありません。これに対して、「アガパオー(愛する)」は、制約のない、完全で無条件の愛を表します。
 イエスは最初、ペトロにこう尋ねます。「シモン、・・・・わたしを愛しているか(アガパース・メ)」。すなわち、完全かつ無条件に愛しているかと(ヨハネ21・15参照)。裏切りを経験していなければ、使徒ペトロは、もちろんこう答えたことでしょう。「わたしはあなたを――無条件に――愛しています(アガパオー・セ)」。今、ペトロは、忠実に従わなかった辛い悲しみを、すなわち自分の弱さがもたらした悲しみを知っています。そこで彼は謙遜にこう答えます。「主よ、わたしはあなたを愛しています(フィロー・セ)」。すなわち、「わたしはわたしの人間としての貧しい愛をもってあなたを愛しています」。キリストはなおも尋ねます。「シモン、わたしが望むこの完全な愛をもってわたしを愛しているか」。ペトロは、人間としての謙遜な愛をもって愛していますと答えます。「キュリエ・フィロー・セ」。すなわち、「主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。
 三度目にイエスはシモンにただこう尋ねます。「わたしを愛しているか(フィレイス・メ)」。シモンは理解しました。イエスにとっては、自分の貧しい愛で、すなわち自分に唯一可能なこの愛で、十分なのだということを。にもかかわらずシモンは、主がこのようないいかたをしなければならなかったことを悲しく思いました。それでシモンはこう答えました。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していること(フィロー・セ)を、あなたはよく知っておられます」。
 イエスは、ペトロが自分をイエスに合わせようとした以上に、ご自分をペトロに合わせようとしたように思われます。このように、神がご自分を人に合わせてくださったことが、忠実に従わなかった苦しみを知るこの弟子に希望を与えました。そこから信頼が生まれ、この信頼によって、この弟子は最後までイエスに従うことができました。「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこういわれたのである。このように話してから、ペトロに、『わたしに従いなさい』といわれた」(ヨハネ21・19)。
 この日からペトロは、自分の弱さをはっきりと自覚しながら、師であるかたに「従い」ました。しかし、この自覚が、ペトロの気持ちをくじけさせることはありませんでした。実際ペトロは、自分のそばにともにいてくださる復活したかたに信頼できることを知っていました。ペトロは初め、素朴で熱烈な思いをもってイエスについて行きました。それから、イエスを否むという辛い経験をし、回心の涙を流したことを経て、ペトロはイエスに自分を委ねるに至りました。イエスは、ペトロがもっていた、愛するための貧しい力に、ご自分を合わせてくださったからです。イエスはまた、わたしたちがどれほど弱い者であっても、わたしたちに道を示してくださいます。
 わたしたちは、イエスがご自分をわたしたちの弱さに合わせてくださることを知っています。わたしたちは、わたしたちがもっている、愛するための貧しい力で、イエスに従います。そしてわたしたちは、イエスがいつくしみ深いかたで、わたしたちを受け入れてくださることを知っています。ペトロは長い道のりを経て、より頼むことのできるあかしとなり、教会の「岩」となり、イエスの霊のわざに常に心を開くことができるようになりました。ペトロは自分のことをこう述べています。「キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者」(一ペトロ5・1)。
 このことばを書いたとき、ペトロはすでに年老い、生涯の終わりに近づいていました。ペトロはその生涯を殉教によって閉じることになります。今やペトロは、真の意味での喜びについて述べることができます。また彼は、どうすればこの喜びに達することができるかを示すことができました。この喜びの源は、キリストです。わたしたちはこのキリストを、自分たちの弱さにもかかわらず、弱いながらも心からの信仰をもって、信じ、愛します。だからペトロは自分の共同体のキリスト信者に宛てて次のように書いたのです。ペトロはわたしたちにも同じことを語りかけています。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、ことばでは言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです」(一ペトロ1・8-9)。

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