教皇ベネディクト十六世の53回目の一般謁見演説 ポーランド司牧訪問を振り返って

5月31日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の53回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、5月25日(木)から28日(日)まで行われたポーランドへの使徒的訪問を振り返りま […]

5月31日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の53回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、5月25日(木)から28日(日)まで行われたポーランドへの使徒的訪問を振り返りました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、マタイによる福音書7章24-27節が、イタリア語、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、ポーランド語で朗読されました。謁見には35,000人の信者が参加しました。
演説の後、最後にイタリア語で行われた祝福の中で、教皇は、混乱の続く東ティモールの国情に触れ、同国の人心の安定のために祈るよう、次のような呼びかけを行いました。「今、わたしの思いは、愛する国、東ティモールに向かいます。この数日間、緊張と暴力に襲われている、東ティモールでは、犠牲者が生じ、また破壊が行われています。わたしは地域教会とカトリック機関に対し、他の国際機関とともに、避難民への支援の取り組みを続けてくださることを奨励します。また皆様にも聖なるおとめに祈ってくださるようにお願いします。どうか聖なるおとめが、その母としてのご保護をもって、人びとの心を鎮め、平常な生活へ復帰させるために努力する人を支えてくださいますように」。
2002年にインドネシアからの独立を果たした東ティモール民主共和国は、その92万人の人口の大半がカトリック信徒です。三分の一の国軍兵士が政府に解雇されたことをきっかけに、4月末から治安が悪化し、23人の死者が出、首都ディリ市内では6万人の人が避難民としての生活を余儀なくされています。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日わたしは皆様とともに、最近わたしが行ったポーランドへの使徒的訪問の道のりを振り返りたいと思います。わたしはポーランド司教団の皆様、特にワルシャワとクラクフの管区大司教に対して、この訪問を熱意と配慮をもって準備してくださったことを感謝します。わたしは、ポーランド共和国大統領とポーランド国内のさまざまな行政機関、そしてまた、この行事が成功するために協力してくださったすべての人びとにあらためて感謝を表します。
 何よりもわたしは、カトリック信者と全ポーランド国民に対して、心から「有難うございます」といいたいと思います。わたしは彼らが人間的また霊的な暖かさに満ちた歓迎をしてくださったことを感じたからです。多くの皆様がそれをテレビでご覧になりました。この歓迎は、カトリックであることと、教会への愛を、真の意味で表していました。彼らはそれをペトロの後継者に対して、愛をもって示してくださったのです。
 ワルシャワ空港に到着した後、わたしが最初に向かった聖職者たちとの集会は、首都ワルシャワの司教座聖堂で行われました。この日は、ワルシャワ大司教区の司牧者であるヨゼフ・グレンプ枢機卿の司祭叙階50周年を祝う日でした。こうしてわたしの巡礼は司祭職のしるしとともに始まりました。続いて、ルーテル教会の聖三位一体聖堂で、わたしはエキュメニズムへの関心をあかししました。
 このエキュメニカル集会の際に、わたしは、ポーランドにある諸教会・教会共同体の代表者の皆様とともに、キリスト者の間の完全で目に見える一致の再建への努力を、わたしの奉仕職の真の意味での優先課題と考えるという固い決意を確認しました。
 その後、ワルシャワの中心にあるピウスツキ広場で、広場を満たした人びととともに、荘厳な感謝の祭儀を行いました。わたしたちが喜びをもって感謝の祭儀を行ったこの場所は、象徴的な意味をもつ場所でした。それは、ヨハネ・パウロ二世が行った聖なるミサや、首座大司教のステファン・ヴィシンスキ枢機卿の葬儀、また、わたしの敬愛する前任者ヨハネ・パウロ二世の死後、教皇の魂の安息を祈る大規模な祭儀といった、歴史的な行事が行われた場所だからです。 
 今回の訪問は、カロル・ヴォイティワの司祭また司教としての生涯にゆかりのある、いくつかの巡礼所の訪問をはずすわけにはいきませんでした。それは、何よりもチェンストホーヴァ、カルヴァリア・ゼブジドフスカ、神のいつくしみの聖堂の三箇所です。有名なヤスナグラのマリア聖堂への訪問は忘れることができません。ポーランドの心であるこの輝く丘の上に、そこが二階の広間であるかのように、大勢の信者、特に男子・女子修道者、神学生、そして教会の運動団体の代表者のかたがたが、ペトロの後継者を囲んで集まり、わたしとともにマリアに耳を傾けました。
 ヨハネ・パウロ二世が回勅『救い主の母』によって教会に与えたすばらしいマリアに関する考察に力づけられながら、わたしは、信仰が精神のもつ基本的な態度であって、それはたんなる思想や感情にすぎないものではないことを、あらためて示そうと望みました。真の意味での信仰は全人格を含むものです。それは思考、感性、意図、人間関係、身体的な性質、活動、日々の労働をすべて含みます。
 その後、わたしはクラクフ近郊にある、壮麗なカルヴァリア・ゼブジドフスカ聖堂を訪れ、困難と試練のうちにある教会共同体の信仰を支えてくださるように、悲しみの聖母に祈りました。続いて、ワギエフニキにある神のいつくしみ聖堂において、わたしは、神のいつくしみだけが人間の神秘を照らすことを強調することができました。この聖堂の近くにある修道院で、復活したキリストの輝く傷痕を観想していたとき、ファウスティナ・コヴァルスカ修道女は、人類のための信頼のメッセージである、神のいつくしみのメッセージを受けました。ヨハネ・パウロ二世はこのメッセージを繰り返して述べるとともに、その解釈者となりました。いつくしみが神の力であり、世の悪に対して神から与えられた制限であること。これはまことに現代のための重要なメッセージです。
 わたしは他の象徴的な「巡礼所」も訪問することを望みました。すなわち、ワドヴィッツェです。ワドヴィッツェは、カロル・ヴォイティワがそこで生まれ、洗礼を受けた土地として有名になりました。ワドヴィッツェ訪問により、わたしは、この倦むことのない福音の奉仕者を与えてくださったことを主に感謝する機会を得ました。カロル・ヴォイティワの強い信仰、繊細で開かれた人間性、美と真理への愛、おとめマリアへの信心、教会への愛、そして何よりもその聖性への召命の起源は、彼が地上で最初の教育と養育を受けたこの小さな町に見いだすことができます。ヨハネ・パウロ二世が愛したもう一つの場所は、クラクフのヴァヴェル司教座聖堂です。ヴァヴェル司教座聖堂はポーランド国民にとって象徴的な場所です。カロル・ヴォイティワは、この司教座聖堂の地下聖堂で初ミサをささげました。
 もう一つのすばらしい経験は、広大なクラクフのブロニエ公園で行われた青年たちとの集会でした。わたしは、おびただしい青年たちに、象徴的なしるしとして「いつくしみの炎」を手渡しました。それは、彼らが世にあって愛と神のいつくしみを告げ知らせる者となることができるようにするためでした。わたしは青年たちとともに、岩の上に建てられた家について述べた福音の箇所(マタイ7・24-27参照)を黙想しました。この箇所は、今日の謁見の初めにも朗読されました。
 わたしはまた、主の昇天の主日の朝、わたしの訪問をしめくくるミサの中でも、神のことばについて考察しました。この典礼は、前の晩、青年たちとの集会が行われたのと同じ公園で、類を見ない数の信者が参加して行われました。
 わたしはこのミサで、ポーランドの人びとに対して、人間がキリストによって創造され、あがなわれたという、キリスト教が告げ知らせたすばらしい真理を、あらためて告げ知らせることができました。ヨハネ・パウロ二世もまた、すべての人が信仰と希望と愛にしっかりととどまることができるように、この真理をさまざまなときに力強く告げ知らせました。「信仰に基づいてしっかりと立ちなさい」。これが、ヨハネ・パウロ二世がその愛するポーランドの子らに残した教えです。こうしてヨハネ・パウロ二世は、キリストと教会への忠実を守るようにとポーランド人たちを励ましたのです。それは、ヨーロッパと世界が福音のあかしを行い続けることができるためです。すべてのキリスト信者は、このあかしを行う務めを負っていることを自覚しなければなりません。それは、第三千年期の人類が、アウシュヴィッツ=ビルケナウの死の収容所がむごたらしいしかたでもたらしたのと同じ恐怖を、再び経験することがないようにするためです。
 そこでわたしは、ローマに帰る前に、世界中に知られたこの悲しみの地を訪れることを望みました。このアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所と、他の同様の収容所で、ヒトラーは600万人以上のユダヤ人を殺害しました。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所では、約15万人のポーランド人と、ポーランド以外の国の数万人の人も亡くなっています。
 アウシュヴィッツの恐怖を前にして、キリストの十字架以外の答えはありません。キリストは、人間の自由が神に逆らうことのできる、そのもっとも内なるところで人間を救うために、悪の地獄にまで降る、愛そのものであるかただからです。現代の人類がアウシュヴィッツをはじめとする「死の工場」を忘れることがありませんように。この「死の工場」で、ナチ政権は神を排除して、神にとって代わろうとしたのです。現代の人類が民族的な憎しみへの誘惑に屈することがありませんように。この民族的な憎しみこそが、反ユダヤ主義のさまざまな最悪の形態の根源だからです。神がすべての者の父であること、神がわたしたち皆に対して、正義と真理と平和に基づく世界をキリストにおいてともに築いていくよう招いていることを、人びとがあらためて知ることができますように。このことを、マリアの執り成しを通じて、主に願い求めたいと思います。5月の最後の日である今日、わたしたちは、マリアがその年老いた親類のエリサベトを、勤勉さと愛をもって訪問したことを観想するからです。

PAGE TOP