教皇ベネディクト十六世の54回目の一般謁見演説 ペトロ――キリストがその上に教会を建てた岩

6月7日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の54回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月15日から開始した「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話の10回目として、「ペトロ――キリストがその上に教会を建てた岩」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。
演説に先立って、マタイによる福音書16章15-19節が朗読されました。謁見には50,000人の信者が参加しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 この春から始めた毎週の連続講話を続けたいと思います。2週間前の前回、わたしは最初の使徒としてのペトロについてお話ししました。今日わたしたちはもう一度、教会のこの偉大で重要な人物に戻りたいと思います。福音書記者ヨハネは、イエスが最初にアンデレの兄弟シモンに出会ったときのことを述べる際に、それを特別に次のように記しています。「イエスは彼を見つめて、『あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――「岩」という意味――と呼ぶことにする』といわれた」(ヨハネ1・42)。イエスは通常、弟子の名前を変えることがありませんでした。
 ゼべダイの子たちに特別な場合に「雷の子ら」というあだ名がつけられた例外を除いて(マルコ3・17参照)――そしてその後、このあだ名が用いられることはありませんでした――、イエスが弟子の一人に新しい名前を与えることはありませんでした。しかしイエスはシモンには新しい名前を与えました。イエスはシモンを「ケファ」と呼んだのです。「ケファ」はその後、ギリシア語で「ペトロス」、ラテン語で「ペトルス」と訳されました。この名前が訳されたのは、それがたんなる名前ではなかったからにほかなりません。それは
ペトロがこのようなしかたで主から与えられた「命令」でした。「ペトロ」という新しい名前は、四福音書の中でさまざまな機会に用いられますが、最後に元の「シモン」という名前に取って代わられます。
 旧約聖書の中で、名前の変更が一般に使命の付与を告げるものであったことを思い起こせば(創世記17・5、32・28以下など参照)、このことは特別に重要な意味をもっています。実際、キリストがペトロに使徒団の中で特別に高い位置を与えようと望んだことは、多くのしるしによって示されます。カファルナウムで、師であるかたはペトロの家に泊まりました(マルコ1・29)。ゲネサレト湖畔で群衆が押し寄せてきたとき、岸につながれた二そうの舟のうちからイエスはシモンの舟を選びました(ルカ5・3)。特別な場面でイエスが三人の弟子だけを伴ったとき、このグループの最初の者として挙げられるのはいつもペトロです。ヤイロの娘の復活のときも(マルコ5・37、ルカ8・51参照)、主の変容のときも(マルコ9・2、マタイ17・1、ルカ9・28参照)、また最後にゲツセマネの園で主が苦しんでいる間もそうです(マルコ14・33、マタイ26・37参照)。
 神殿税を集める者たちがペトロのところに来たとき、師であるかたは自分とペトロの分だけを納めます(マタイ17・24-27参照)。最後の晩餐で、師であるかたが最初に足を洗ったのはペトロです(ヨハネ13・6参照)。また、師であるかたはペトロのためだけに、信仰がなくならないように、またその信仰によって後で他の弟子を力づけることができるように祈りました(ルカ22・31-32参照)。
 またペトロ自身も、自分が有するこの特別な位置を自覚していました。ペトロはしばしば他の弟子たちを代表して発言します。ペトロは、むずかしいたとえの意味を説明してくれるように求め(マタイ15・15)、おきての正確な意味や(マタイ18・21)、報いとして正式に約束されているものについて尋ねます(マタイ19・27)。特にペトロは、困難な事態を打開するために皆を代表して発言しました。
 ですから、群衆が「いのちのパン」の話を理解しないことに悲しみながら、イエスは尋ねました。「あなたがたも離れて行きたいか」。ペトロは確固としてこれに答えました。「主よ、わたしたちは誰のところへ行きましょうか。あなたは永遠のいのちのことばをもっておられます」(ヨハネ6・67-69参照)。ペトロはフィリポ・カイサリア地方でも、十二人を代表して、同じようにはっきりと信仰を宣言しました。イエスが「それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか」と尋ねると、ペトロは答えました。「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16・15-16)。そこでイエスは、教会におけるペトロの役割をはっきりと定めた、荘厳な宣言を行います。「わたしもいっておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。・・・・わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ16・18-19)。
 イエスが用いた三つのたとえの意味は、それ自体としてきわめて明らかです。ペトロは土台としての岩となり、この岩を基盤として教会は建てられます。ペトロは天の国の鍵を手にし、自分が正しいと考えることに従って、開き、また閉じることができます。最後に、ペトロはつなぎ、また解くことができるようになります。すなわちペトロは、教会生活に必要と考えることを定め、また禁じることができます。教会はキリストのものであり、またキリストのものであり続けるからです。教会は常にキリストの教会であって、ペトロの教会ではありません。この「思うようにできる」というわかりやすいイメージで語られたことは、後に「裁治権の首位権」ということばを用いて考察されることになります。
 イエスがペトロにこのような卓越した位置づけを与えることを望んだことは、復活の後においても認められます。イエスは婦人たちに向けて、他の使徒たちとは別に、ペトロに告げるようにと頼みます(マルコ16・7参照)。マグダラのマリアはペトロのところへ、またヨハネのところへ走って行って、墓の入口から石が取りのけてあったと告げました(ヨハネ20・2参照)。ヨハネは二人が空の墓に着いたとき、ペトロの後から墓に入ります(ヨハネ20・4-6参照)。後にペトロは、使徒たちの中で、復活した主の現れの最初の証人となりました(ルカ24・34、一コリント15・5参照)。
 このはっきりと強調されている役割は(ヨハネ20・3-10参照)、使徒のグループにおけるペトロの卓越性と、使徒言行録に述べられているような(使徒言行録1・15-26、2・14-40、3・12-26、4・8-12、5・1-11、29、8・14-17、10など参照)、過越の出来事によって生まれた共同体においてペトロがもち続けた卓越性の間の連続性を示しています。ペトロの行動は決定的なものと考えられていたため、それは批判や非難の対象にもなりました(使徒言行録11・1-18、ガラテヤ2・11-14参照)。
 いわゆるエルサレムの使徒会議で、ペトロは指導的な役割を果たしました(使徒言行録15およびガラテヤ2・1-10参照)。また、まさにペトロが正統な信仰の証人であることにより、パウロ自身もペトロが「首位者」であることを認めました(一コリント15・5、ガラテヤ1・18、2・7以下など参照)。さらに、ペトロに言及する鍵となる箇所は、最後の晩餐の文脈の枠の中に置かれています。この最後の晩餐において、キリストはペトロに兄弟を力づける奉仕職を委ねます(ルカ22・31以下参照)。このことは、感謝の祭儀によって過越を記念することから生まれた教会が、ペトロに委ねられた奉仕職を本質的な要素の一つと考えていることを示しています。
 このようにペトロの首位権が、最後の晩餐、すなわち主の過越である聖体の制定の時との関連で位置づけられていることは、この首位権のもつ究極的な意味をも示しています。すなわち、すべての時代において、ペトロはキリストとの交わりを守る者でなければならないということです。ペトロはキリストとの交わりのうちに人びとを導かなければなりません。ペトロは、網が破れることなく、普遍的な交わりを支えることができるように配慮しなければなりません。わたしたちは一緒になることによって、初めてキリストとともにいることができます。キリストはすべての人の主だからです。それゆえペトロの責務は、キリストの愛によってキリストとの交わりを保障することです。そのためにペトロは、この愛が日常生活の中で実現されるように導きます。貧しい人間に委ねられたペトロの首位権が、主が望まれたこの本来の意味で常に行使されることができるように、祈りたいと思います。この首位権の真の意味が、わたしたちとまだ完全な交わりをもたない兄弟たちによってますます認められることができますように。

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