教皇ベネディクト十六世の2006年6月11日の「お告げの祈り」のことば 三位一体の祭日にあたって

教皇ベネディクト十六世は、6月11日(日)の正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。 「 […]

教皇ベネディクト十六世は、6月11日(日)の正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、イタリア語で、教皇は6月15日(木)に行う聖体行列への信者の参加を呼びかけました。「来る6月15日の木曜日にローマで恒例の聖体行列が行われます。19時にサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂広場でわたしはミサをささげます。ミサの終わりに、わたしたちはメルラーナ通りを経て、サンタ・マリア・マッジョーレ広場まで聖体とともに歩き、同広場で聖体賛美式を行います。わたしはローマの信者と巡礼者皆様が、多数、この行事に参加してくださることをお願いします。この行事は、聖体のうちにおられる主に対して、キリスト教共同体が信仰と愛を表明するものだからです」。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 聖霊降臨に続いて、今日の日曜日に、わたしたちは三位一体の祭日を祝います。聖霊は、わたしたちがイエスのことばを理解できるように助けてくださり、また、完全な真理へと導いてくださいます(ヨハネ14・26、16・13参照)。この聖霊のおかげで、信者はいわば神ご自身の内なる姿を知ることができます。わたしたちは、神が独りきりでいる無限なかたではなく、光と愛の交わりであり、聖霊において父と子の永遠の対話のうちにいのちを与え合っておられるのを見いだします。聖アウグスチヌスのことばを使えば、神は愛するかたであり、愛されるかたであり、愛だからです。この世では誰も神を見ることができません。しかし、神ご自身が、わたしたちが神ご自身を知ることができるようにしてくださいました。こうしてわたしたちは使徒ヨハネとともに、次のようにいうことができるのです。「神は愛です」(一ヨハネ4・8、16)。「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています」(回勅『神は愛』1。一ヨハネ4・16参照)。キリストと出会い、キリストの友となる人は、自分の心に三位一体の交わりを受け入れます。イエスが次のように弟子たちに約束した通りです。「わたしを愛する人は、わたしのことばを守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」(ヨハネ14・23)。
 信じる者にとって、全世界は、三位一体の神について語っています。星空から微細な粒子に至るまで、存在するすべてのものは存在そのものであるかたを指し示しています。存在そのものであるかたは、あたかも広大な交響曲のように、諸要素の多数性と多様性を通じて自らを伝えるからです。すべての存在者は、調和のとれた動きに従って秩序づけられています。わたしたちはこの調和のとれた動きを、類比的なしかたで「愛」と呼ぶことができます。けれども、自由で理性的な人間の人格によってのみ、この動きは霊的なものとなり、責任を伴う愛となることができます。人間の人格は、真の意味で自己を与えることを通じて、神と隣人に対する応答を行うからです。この愛によって、人間存在は自らの真理と、また自らの幸福を見いだすのです。信者が見ることのできる、三位一体の神の言い表しがたい神秘と類似したさまざまなもののなかで、わたしは家庭を挙げたいと思います。家庭は愛といのちの共同体となるように招かれています。この共同体において、多様性は協力して「交わりの表現」を形づくることをめざさなければなりません。
 すべての被造物のなかで、聖なる三位一体に造られた傑作は、おとめマリアです。神への信仰に満たされた、そのへりくだった心のうちに、神は救いの神秘を実現するための、自分にふさわしい住まいを準備しました。神の愛は、マリアのうちに完全に自分と釣り合うものを見いだしました。そしてマリアの胎内で独り子は人となりました。子としての信頼をもってマリアに向かおうではありませんか。マリアの助けによって、わたしたちが愛において進歩しますように。また、わたしたちの生涯を、御子を通して聖霊のうちに父への賛美の歌とすることができますように。

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